「一号線を北上せよ」は2003年に出版された沢木耕太郎の旅行記です。沢木耕太郎は言うまでもなく「深夜特急」の著者です。ほんと、言うまでもないことですが。
「深夜特急」は1974年、沢木が26歳の時にユーラシアを横断した旅を描いた傑作旅行記です。今でもたくさんの若者が読み継いでいるし、これを超える青春紀行文というものは、ちょっと見当たらない。それに僕がユーラシアを一周したのも沢木と同じ26歳でしたから、常に意識してしまう存在です。
ところで「一号線を北上せよ」にはベトナム旅行記が収録されているのですが、これが「深夜特急」なのです。いきなり「深夜特急なのです」と言われても何のことやら、という感じですが、一読して、この旅が「深夜特急」以外の何ものでもないことは、沢木の読者なら誰でもわかることではないかと思います。
バックパックを背負い、オンボロバスに揺られ、一泊10ドルほどの安宿を転々とする。屋台のおばちゃんにおつりを誤魔化されそうになり、ホテルのボーイに「女は要らないか?」と言われ、ファックス料金をぼろうとするホテルの従業員と喧嘩をし、そんな自分に自嘲気味になる。「深夜特急」の旅で、「私」が香港やインドで遭遇したエピソードが、そのまま繰り返されているのです。
でも、僕はこのベトナム旅行記を深夜特急と同じようには楽しめなかったのです。より正確に言うなら、読んでいるのが辛かった。的確な描写、硬質な文体、旅に対するストイックな姿勢。そのどれもが沢木耕太郎らしさに満ちあふれている。でも、何かが足りないという気がするのです。何か決定的なものが、欠けている。
それは若さなのかもしれません。旅する若者のみずみずしさのようなもの。旅から、文章から、作者自身から、そのようなみずみずしさが失われてしまっているのに、敢えてバックパックを背負って一人旅をする。その理由はいったい何だったのでしょうか。
「深夜特急」当時26才だった沢木は、すでに50才を超えていて、ノンフィクション作家としての地位も名声も手に入れているという立場にあります。おそらく彼自身自分も「自分はもう若くはない」という自覚はあったのでしょう。でも敢えてそれに逆らいたいという気持ちもあったのだと思います。
だから飛行機の墜落事故で背中を怪我しているにもかかわらず、キツいバスの旅を選んだ。そういうストイックなところが僕は好きなのですが、でもやっぱり50をとうに過ぎた作家が、キムカフェのツアーバスに乗っている姿は、かなり違和感があるのは事実です。何というか、「不自然」なのです。8ドルの宿の泊まる必然性がないのに、無理にそうしている。そういう違和感が、紀行文に入っていけない壁になっているのです。
沢木自身もベトナムの旅の中で、日本人の団体旅行者に遭遇したとき、「いいなあ」と思い始めている、と書いています。そして古いペルシャの書「カーブス・ナーメ」を引用するのです。
<若いうちは若者らしく、年を取ったら年寄りらしくせよ>
あるいは僕は、この30年後の「深夜特急」に、自分の未来を垣間見たような気がして、いたたまれない気持ちになったのかもしれません。もしかしたら、今から20数年後に、自分が同じようなことをしていないとも限らないから。
同じ場所に行って、同じことをしても、そこで感じることは変わっていく。ある種のみずみずしさは失われてしまう。青春というものは不可逆的に失われゆくものだ。そういう哀しみのようなものを、僕はこの「一号線を北上せよ」から感じてしまうのです。