上海・大阪間は船で46時間かかる。運賃も安くはない。それでも船を選んだのは「旅の終わりに時間をかけること」が必要だったからだ。
内モンゴルでは広大な砂漠地帯を走り抜け、チベット高原の山道を登り、雲南省では亜熱帯の植物が生い茂る地域を通った。
宿から銭湯へ向かう道は、貴陽の町でもとりわけディープな界隈だった。庶民のための気の置けない下町である。
バスの車掌はサービスのために乗っているのではなく、お客と対決し、大声で怒鳴ることを仕事としている。
中国人にガイジンだとわかってもらうためにどうすればいいか。僕が出した結論は「パーマをかける」だった。
麗江の町は細い路地が複雑に入り組んでいて、ぶらぶらと「町迷い」するにはうってつけだった。
1000万もの人々がひしめき合う大都市・成都も、わずか数十人が住むだけの天空の村も、同じ四川省の一部だ。
空は見たこともないような青さだった。汚れというものを知らない、純粋な青が頭上に広がっていた。
パンダの檻は意外なほど注目度が低かった。きっと中国人はパンダなんて見慣れているのだろう。
死が新たな生への再生を意味する輪廻転生の視点から見れば、火葬よりも鳥葬の方がより自然な葬送なのかもしれない。