9125 麗江は古き良き中国の町並みを残す山間の町である。細い道には石畳が敷き詰められ、古い土塀に囲まれた木造家屋が建ち並び、苔生した黒い屋根瓦がしっとりとした雰囲気を醸し出している。かつては中国全土どこでも見られたものが、現代にも受け継がれ、保存されているのが麗江だった。

 しかし、世界遺産に登録され、観光地としての価値が見直されてからというもの、この小さな町にも中国各地から観光客がどっと押し寄せるようになり、麗江の中心部は急速な観光地化の波にさらされていた。昔ながらの古い民家も、その大半が土産物屋か食べ物屋に姿を変え、煌びやかな民族衣装を着た若いナシ族の女性が、客寄せの為に店の前に立って笑顔を振りまいていた。

9082 上海から来たという若い観光客のカップルは、僕にこんなことを言った。
「麗江は素晴らしい町ですよ。とても静かだし、古くて美しい建物がたくさんある。僕らは上海で生まれて上海で育ったから、こういう町並みを歩くことはほとんどないけど、何だか懐かしい感じがします」

 経済発展に沸く中国では、豊かになった中産階級の間で、国内旅行がブームになっている。有名な史跡や霊峰といったメジャー観光地に行くだけでなく、麗江のような少数民族の多く住む田舎の町にまで足を伸ばす人も増えつつあるという。

 経済的な豊かさを手に入れた都市部の人々が、自分たちが失いつつある故郷の風景を思い出すために、まだ開発が及んでいない田舎町を訪れる。麗江は中国人にとってノスタルジックなテーマパーク的存在になっているのである。

 中心部では急速な観光地化が進展している麗江ではあったが、その喧噪から少し離れたところにある住宅街には、庶民の穏やかな暮らしぶりがそのまま残っていた。観光客がある一点に集中的に集まるという現象は、世界のどこにでも見られることなのだ。

 
 

夕方の親密な風景

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9103 麗江の町は、細い路地が複雑に入り組んでいて、ぶらぶらと「町迷い」するにはうってつけだった。町には毛細血管のような細い水路が縦横に張り巡らされていて、人々はそこで洗濯をしたり、野菜を洗ったりしている。中国では人工的に区画整理された町並みにがっかりさせられることが多かったのだが、麗江はそうではなかった。歩くたびに違う風景に出会うことができるので、全く飽きなかった。

 夕方の麗江は特に印象的だった。赤ん坊をおぶった老人がゆっくりとした足取りで散歩していたり、ひと仕事終えた男達が柳の木陰に置かれた石のテーブルを囲んで世間話に興じていたり、学校帰りの子供達が路地裏を走り回っていたりする。町の素顔が覗く時間。町全体が親密な空気に包まれる一瞬。それが日暮れ前だった。

9128 子供達の遊びは、日本のものとよく似ていた。「ビー玉」や「かくれんぼ」や、「ダルマさんが転んだ」などである(関西地方ではどういうわけかこの「ダルマさんが転んだ」を「坊さんが屁をこいた」というけったいな名前で呼んでいる)。古い土塀に頭を付けた「鬼」役の子供が、「一、二、三、四・・・」と大声を張り上げている姿は、日本人の僕にとっても懐かしさを感じるものだった。

 僕が鬼ごっこをしている子供達にカメラを向けると、全員が「ワーッ」と歓声を上げながら建物の陰に隠れてしまった。中には便所の屋根に登る子供までいる。中国の田舎の子供達は、結構シャイなのである。これじゃ写真は撮れないね、と諦めて立ち去ろうとすると、逃げ回っていた子供達が今度はそろりそろりと後をつけてくる。振り向いてカメラを構えると、また「ワーッ」と言って逃げ出す。そんなことを何度も繰り返した。いつの間にか、僕が「鬼」役になって、子供達の遊びに巻き込まれていたのだった。

9170 中国では大都市であっても、田舎町であっても、ダイナミックな変化の途上にあった。古いものは容赦なく取り壊され、そこに経済性だけを追求した安っぽい高層建築が次々と建てられていた。川は堰き止められ、山は削られ、海は埋め立てられていた。かつて日本の高度成長期を覆った「列島改造」が、この国でも再現されているのだった。

 近い将来、中国に残された古い町並みの多くは取り壊され、その代わりに「ミニ香港」や「ミニ上海」のような町が新たに出現するだろう。そのような大きな流れは、おそらく誰にも止めることは出来ない。

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麗江の町で見かけた派手な葬列。墓地に棺を運ぶ途中のようだ。

 そして、麗江のような歴史ある町並みの一部は、観光地として、ノスタルジックなテーマパークとして、辛うじて生き延びるだろう。おそらくそのようなかたちでしか、生き延びることはできないだろう。それは哀しい予感だった。

 もし世界中の町が、清潔で便利で無表情で、変わり映えのしない都市空間になってしまったら。そう考えると、憂鬱な気分になった。もしそうなったら、僕はどこを旅するべきかわからずに、途方に暮れることになるだろうと思った。

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