それにしても、大晦日の北ラオスの冷え込みは予想以上だった。ラオスという国は、緯度としては沖縄の遙か南、ハワイと同じぐらいに位置していて、亜熱帯気候に属しているのだが、どういうわけかこの日から急に寒気がやってきたのである。普段はシャツ一枚でぶらぶらしている地元の人々も、大晦日から新年にかけての数日は、分厚いジャンパーを(ちょっと嬉しそうに)着込んで、両手を擦り合わせていた。
 もちろん、いくら「寒い」とは言っても、日本の冬の寒さとは次元が違う。せいぜい3月頃の日本並みというところだろう。それでも、真夏のような陽気に慣れていた体には、この程度の寒さでも十分こたえたのだった。

急な冷え込みに、たき火をして暖をとる少年僧。このお寺では、大きな木をくり抜いて太鼓を作っていた。

 大晦日は移動日だった。首都のビエンチャンから北部のウドムサイという町まで、ローカルバスに16時間も揺られて一気に移動した。
 道はそれほど悪くないのだが、治安はあまり良くないらしい。この道を通るバスは数年に一度、武装した山賊に襲われていて、外国人旅行者を含めて何人もの人が殺されている。
 その山賊対策のつもりなのか、このバスの車掌は小型のマシンガンを肩に提げていた(もしかしたら私服の警官なのかとも思ったが、彼がバスの運賃を集めていたから、やはり車掌なのだろう)。ただの護身用なのか、本気で応戦するつもりなのかはわからなかったが、いずれにしても撃ち合いにだけは巻き込まれたくないと思った。

 そのようなひやりとする現実とは対照的に、窓の外の景色はのどかなものだった。深い森と曲がりくねった山道が続き、家が十軒ほど集まった小さな集落が思い出したようにときどき現れた。集落にいる人々は、僕らのバスを穴が空くほどじっと眺めていた。車もあまり通らない土地なのだろう。

 日が暮れると、車内の気温はどんどん下がっていった。ラオスを走るバスの大半がそうであるように、このバスも何十年も前に作られたオンボロバスだったので、窓を完全に閉めることができず、すきま風が容赦なく吹き込んできたのである。僕はウィンドブレーカーのチャックを一番上まで上げ、膝を抱えてその冷たい夜風に耐え続けたが、寒さが骨の髄までずきずきと染み込んでくるのを止めることはできなかった。

 ウドムサイのバスターミナルに着いたのは夜の11時だった。当然のことながら町はしんと静まりかえっていたが、いくつかの商店や家には明かりが灯っていたので少しほっとした。ラオス北部の町の多くは、電気が通っていても使用時間が制限されているのだが、ウドムサイは24時間電気が使える町であるようだった。きっとそれなりに大きな町なのだろう。

 とにかく一刻も早く宿を見つけようと、僕はバックパックを背負って夜道を歩き始めた。温かいベッドに潜り込み、冷え切った体を温める。そのことだけを考えていた。
 最初に目についたのが「温馨旅館 WARM・HOTEL」と書かれた看板だった。どうやら中国人が経営している宿らしい。温かい宿。そのネーミングはとても魅力的だった。まるで寒さに震える旅人の心を見透かしているようにも思えた。

 宿のフロントには30過ぎの女性が一人で座っていた。彼女は中国人で中国語しか話せないらしく、中国人でもラオス人でもな旅行者がやってきたことに驚いている様子だったが、「部屋を見せてくれないか」と身振りで頼むと、快く応じてくれた。

 おそらく営業を始めてから一年も経っていないのだろう。建物はとても新しく、部屋も清潔だった。難点を挙げるとすれば、部屋があまりにもシンプルすぎるということぐらいだ。ベッドが二つ並んでいるだけで、後は何もないのである。椅子も机もクローゼットも、何もない。テレビだけはなぜかあるのだが、置く台がないものだから、床の上に直接置いてあった。部屋代は400円。リーズナブルな値段だった。

 僕がここに泊まることに決めてお金を払うと、フロントの女が「食事もできるけど、どうする?」と身振りで聞いてきたが断った。とにかく、今すぐにベッドに入って体を温めたかったのだ。
「ものすごく寒いんだよ」
 と僕が両手で肩をさする仕草をすると、彼女はわかったと頷いて、花柄の魔法瓶を持ってきてくれた。そしてガラスのコップにひとつかみの茶葉を入れ、その上から魔法瓶のお湯を注いで、僕に渡してくれた。中国式のラフなお茶の入れ方だった。
「謝々」
 僕が言うと、彼女はにっこりと笑った。その一杯の緑茶は、冷え切った体を少し温めてくれた。温かい宿――看板に偽りはなさそうだなと思った。

 ベッドに潜り込んで腕時計を見ると、11時半を指していた。このまま眠ってしまうと、2005年の新年は夢の中で迎えることになるな、とぼんやりと思った。今頃日本では、「紅白歌合戦」が終わり、「行く年来る年」が始まっているんだろうな・・・いや、2時間の時差があるから、日本ではもう年が明けているんだった・・・。
 そこまで考えたところで、僕は温かく深い眠りに落ちていった。



メルマガで「たびそら」を読もう→ Email :