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ウドムサイという町が、新年1月1日を迎えるのに相応しいかどうかは、かなり疑問の余地があるだろう。特に何があるというわけでもないこの辺境の町で、新年を祝う特別なイベントが開かれているはずもなかったからだ。
もっとも、1月1日という日は、もともとラオス人にとってそれほど大きな意味を持っているわけではない。一応学校や役場は休日になるのだが、ラオスには4月半ばに行われる独自の正月「ピーマイ・ラーオ」があるので、1月1日はあまり重要視されていないのである。
それでも、ウドムサイの町をぶらぶらと歩いていると、家の前にテーブルと椅子を並べて、新年の宴会を開いている人の姿をあちこちで見かけた。ラオス人はとにかく宴会好きであり、昼間から酒を飲むのは何も正月に限ったことではないのだが、この日の人々の表情にはいつもとは違う晴れがましさのようなものが確かに感じられた。
「おーい、あんた何やってるんだい? こっちへ来て飲みなよ!」
早くも酔っぱらって顔の赤いおじさんたちが、そう声を掛けてきた。もてなし好きのラオス人が、こんなところをノコノコ歩いている外国人を無視できるはずがないのである。
そんな風にして、僕はたちまち宴会の席に引っ張り込まれ、「ラオラーオ」を飲まされることになった。ラオラーオは米から作った蒸留酒である。別名ラオ・ウィスキー。40度ぐらいある強い酒だ。それをガラス製の小さなおちょこに少し注いで、みんなで回し飲みをしていくのが、ラオス流の宴会スタイルなのだ。
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ラオラーオを飲み下すと喉がカッと熱くなり、胃袋のあたりがキュッと収縮するのがわかった。相当に強い酒なのは体が教えてくれるのだが、グラス一杯の量がほんの少しなので、ついつい調子に乗って飲み過ぎてしまう傾向があった。
ラオラーオを飲んでいるのは、男ばかりでなかった。東南アジアの他の国では、女性と男性が一緒に酒を飲む姿はほとんど目にしないのだが、ラオスでは若い女の子もおばさんもごく当たり前に酒を飲み、人目を気にせずに酔っぱらっていた。
ラオスの女は酔っぱらうと人に絡むタチの人が多かった。「飲みが足りないんだよ!」と言いながら僕に強引に酒を勧めてきたり、「ほら、あんたも一緒に踊ろう!」とダンスに誘ってきたりと、やりたい放題だった。普段はおとなしくシャイであるはずのラオス人女性が、酒を飲むとセクハラオヤジみたいに豹変していく姿には、かなり驚かされた。何か見てはいけないものを見てしまったような気持ちになった。
高校生ばかり十人ほどが集まっている宴会にも呼ばれた。その中に片言ながら英語を話す男の子がいたので、年を尋ねてみると、全員が16歳から18歳だという。
「こんな時間から酒を飲んでいても大丈夫なのかい?」
と僕は彼に訊ねてみた。日本でも高校生が酒を飲むことは珍しくないが、真っ昼間から堂々と外で宴会を開くことはまずあり得ない。しかも彼らが飲んでいるのは、あの強い酒ラオラーオである。若者が飲むにはちょっとヘビーすぎる酒のようにも思ったのだ。
「もちろん何も問題ありませんよ」と彼は言った。「僕らはいつも学校帰りにこうやってラオラーオを飲んでいるんです」
「いつも?」
「ええ、だいたい毎日」
どうやらラオスには「未成年は酒を飲んではいけない」という決まりはないようだった。あるいは「未成年」の定義自体が、日本よりもかなり低いのかもしれない。
いずれにせよ、高校生の時分からこんなに強い酒を飲んでいたら、それは酒好きにもなるわなぁと思う。酒飲み大国ラオスはこのようにして作られているのである。
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