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砂漠が決して単調な世界などではなく、様々な表情を持つ変化に富んだ土地なのだということを、僕はサハラに来て初めて知った。僕らがテレビや映画で目にする優美な曲線を持つ砂丘は、実はサハラ砂漠の一部分でしかない。それ以外の多くの部分は、石っころが一面に散らばる砂礫――旅情をかき立てる要素の少ない不毛な土地――なのである。
僕らはそのあまりぱっとしない砂礫をレンタカーで走った。通常、砂漠を走るのに使われるのは大型の四輪駆動ジープ(パリ・ダカール・ラリーを走れるような勇ましいヤツ)なのだが、僕らは予算の都合もあって普通乗用車を使うことにした。はっきり言って乗り心地は最悪だったが、砂の深い場所を注意深く避けて走れば、普通乗用車でも砂漠をドライブすることは可能なのである。
石ころだらけの黒い砂漠を1時間ほど走ったところに、人の住む集落があった。集落と言っても、たった三軒の農家とひとつの学校があるだけである。あとは見渡す限り不毛な大地が広がるばかり。それは「地の果て」とか「月の静かの海」といった言葉が相応しいような世界、ダリの絵に出てきてもおかしくないような現実離れした光景だった。
ここに暮らす人々は、集落から少し離れた場所にある泉の周囲で、麦や野菜を細々と育てて生活の糧を得ていた。彼らは昔からここに暮らしていたわけではなく、他の土地から移ってきたのだという。わざわざこんな土地を選んで移ってきたわけだから、それ以前の暮らしはもっと大変だったのだろう。
日干しレンガ造りの粗末な家屋とは対照的に、政府が半年前に建て直したという小学校は立派だった。3家族9人の子供たちのためだけに建てられた学校である。先生はここからバイクで1時間以上かかるメルズーガの町から、週に4日通ってくるのだそうだ。サハラ砂漠の過疎集落にはいまだに学校に通ったことのない子供も多いと聞いたが、それに比べればここの教育環境は恵まれていると言えるだろう。
校舎の中も見せてもらったが、建ってからまだ半年しか経っていないので、机も椅子も黒板も真新しく、塗り立てのペンキの白い色も眩しかった。僕が教壇に立つと、子供たちがニコニコしながら席に座ったので、これは何かの授業をしなきゃいけないのかなと思い、黒板に算数の数式を書いてみた。足し算と引き算は全員が応えられたのだけど、かけ算や割り算はまだ習っていないようだった。一人の先生が全学年を見なくちゃいけないのだから、勉強の進み具合が遅くなるのは仕方ないのだろう。
ここの子供はみんなとてもシャイだったが、それは彼らが旅行者の来訪に慣れていないからだった。3年前にヨーロッパ人の旅行者を乗せた四輪駆動車が(おそらく道に迷って)やって来たことがあるのだが、僕らはそれ以来二組目の訪問者であるらしい。まぁこんな地の果てみたいな場所に好きこのんでやってくる人間は滅多にいないだろう。
僕らはのんびりとお茶を飲みながら、子供たちと一緒に遊んで過ごした。ウィリアムは石ころでジャグリングをやって見せ、僕は女の子たちと一緒に折り鶴を折った。折り紙をした経験のない彼女たちに一から折り方を教えるのは至難の業だったが、それよりも問題だったのは彼女たちの指が全く折り紙向きではないことだった。どの子の指も大人の男性みたいに太くてごつごつしているのだ。おそらく砂漠の中にあっては、繊細な指先よりも力仕事に適した分厚い手の方が役に立つのだろう。
節くれだった手、潤いがなくかさかさとした肌、顔に刻まれた深い皺。これらはいずれもサハラに住む人々に共通する特徴だった。日差しの強さは半端ではないし、空気は非常に乾燥しているし、砂混じりの強い風も吹く。子供も大人もタフでなければ、砂漠で生きていくことなんてできないのである。
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雨が一年に二度しか降らないという砂漠の町で、人々に水を供給しているのが地下水である。汲み上げた地下水を使って農業を行い、砂色の世界に緑の彩りを作り出した場所。それがオアシスである。
メルズーガのオアシスは、穏やかな時間が流れる空間だった。背の高いナツメヤシが作る木陰の間を用水路がまっすぐに伸び、その両側に麦や野菜が植えられた畑が広がっている。足を止めると、椰子の葉が風に揺れる音や小鳥のさえずりが聞こえてくる。黙々と畑の手入れをしているのは女や老人である。大半の男は外へ働きに出ているか、観光業に携わっているのだ。
オアシスにとって欠かせない植物がナツメヤシである。わずかな雨でも生き続けることができるナツメヤシは、砂漠から吹きつける砂を含んだ強風から、オアシスの緑を守るフェンスのような役割を担っているのだ。ナツメヤシの実であるデーツは、日持ちのする栄養源として重宝されてもいる。
しかし年々進みつつある砂漠化の波は、このナツメヤシにも大きなダメージを与えている。オアシスと砂漠との境目にある最前線のナツメヤシの多くは、葉が茶色くなり、徐々に枯れ始めていた。5,6年に一度襲って来るというバッタの大群が、乾燥し弱り始めているナツメヤシに更なる追い打ちをかけているという。
「私が子供の頃は、ずっと向こうの方まで緑が広がっていたんですよ」
とガイドのオマールは言った。今、彼の視線の先にあるのは、乾ききった砂だけである。サハラ砂漠は毎年2〜3mずつ拡大していて、メルズーガのオアシスはそれに飲み込まれようとしている。地下水の量も年々減り続け、畑を維持するのも徐々に難しくなっている。
砂漠化を食い止める有効な手だては見つかっていない。おそらく僕が目にしているオアシスの風景も、そう遠くない将来消滅する運命にあるのだろう。地下水が涸れ、ナツメヤシは倒れ、人々は別の町に移り住むことになる。
水がなくては人は生きていけない。サハラに飲み込まれつつあるオアシスでは、そのシンプルな事実が切実な重みを持っていた。
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子供たちが水を汲みにやってくる井戸が涸れるのも時間の問題だろう。 |
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