写真家 三井昌志「たびそら」 アジア旅行記 フォトギャラリー 通信販売 写真家・三井昌志プロフィール ブログ


 教育と同じように、あるいはそれ以上に遅れているのが、医療の普及だった。ネパールの山村で病気にかかった場合、軽いものなら薬局で薬を手に入れることもできるのだが、重いものだと町の診療所まで行かなければならず、場所によっては徒歩で数時間、あるいは数日かかる場合もあるという。町の診療所にしても設備が十分に整っているとは言えず、生死に関わるような深刻な病気になれば、首都カトマンズにある大きな病院に行くしかないのだ。

 カニゴンという村に滞在しているときに、病気になった女性を病院に連れて行くか行かないかで家族がもめている場面に出くわした。その55歳の女性は、病気のせいでひどくやつれていた。一週間以上、激しい頭痛と高熱が続いているという。顔は土色で、唇は乾ききっていて、両目には全く生気がなかった。誰が見ても深刻な病状だとわかるのに、彼女の家族は病院に行くことをまだためらっていた。病院で治療を受けるとなると、お金がいくらかかるかわからない。それを心配しているのである。

 そこに現れたのが、この村の祈祷師だった。村で誰かが病気になると、まずこの祈祷師に診せ、伝統的な治癒方法を試してみるのが習わしなのだという。




 祈祷師の男はまず油を染み込ませた糸に火をつけ、それを病気の女性の頭にかざした。そして低い声で呪文のようなものを唱え続けた。それが済むと特別な油を女性の額や腕に塗り込んだ。治療は30分以上に及んだが、女性の容態は全く変わらなかった。

 祈祷師は「これで一日様子を見なさい」と言った。しかし、一日後に彼女が回復する望みは低いように思われた。症状は日に日に悪くなっているのである。病院に行くのが一日遅れれば、命取りにもなりかねない。

 彼女の家族は祈祷師の助言に納得できなかったのか、「あなたはどう思いますか?」と僕に訊ねてきた。
「一刻も早く病院に連れて行くべきだと思います」
 と僕は言った。すると祈祷師の男が鋭い目で僕を睨みつけ、大きな声で何ごとか怒鳴った。
「そんな必要はない! 私が治療をしたのだから大丈夫だ!」
 そんなことを言っているようだった。

 ガイドのアルンによれば、彼のような祈祷師はどの村にもいて、病院や診療所が全くなかった時代には一定の効果を上げていたという。しかし村の近くに(と言っても片道3時間もかかるのだが)診療所ができた今は、村人の多くが近代医療に頼るようになっている。祈祷師はそのことを快く思っていないらしい。

籠に乗せられた女性は、険しい山道を下って診療所に向かった。
 彼にも村の祈祷師としてのプライドがあることはわかるし、伝統的な治療法を否定するわけではないけれど、この場において尊重されるべきなのは女性の命である。仮に病状が悪化しても、祈祷師には責任が取れないのだから、彼が自分のプライドのために病院に行くという選択肢を奪うべきではない。

 悩んだ末に、僕は女性の家族に通常の治療を受けるのに十分な額のお金を渡すことにした。僕にできることはそれぐらいしかなかった。結局、そのお金が最後の一押しとなって、女性は診療所に行くことになった。

 彼女はとても衰弱していて、自力で山道を下ることができないので、竹製の籠にクッションを敷いたものに座り、それを男たちが交代で背負って歩くことになった。籠に乗せられた女性は、土色の顔をこちらに向けて、「ダンネバード(ありがとう)」と言った。虚ろだった目に少しだけ力が戻ったようにも見えた。

 しかし僕の気持ちは複雑だった。僕が診療所に行くことを勧め、お金を渡したことによって、祈祷師のプライドは大きく傷つけられ、伝統医療の価値が揺らぐことにもなったのだ。それは僕の方を睨みつける祈祷師の目を見ていれば明らかだった。



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