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学校の校庭には、村一番の大木が枝を広げていた。樹齢は200年を超えるだろうということである。
 ネパールの教育事情は、他のアジアの国々と比較しても、決して良いとは言えなかった。特に山村では校舎の数も先生の数も大幅に不足しているので、低学年のクラスでは託児所のようにただ子供を預かっているだけという状態のところも珍しくなかった。

 日本の学校のように、1年生のクラスにいるのが6歳と7歳の子供だけとは限らなかった。家庭の事情で、8歳や9歳から小学校に通い始める子もいるし、1年か2年通っただけで辞めてしまう子供も多いのである。まだ小学校に上がっていない幼い弟や妹を教室に連れてきて、子守をしながら勉強する子供もいた。

「我々の子供の頃は、この村に学校はなかったんだ」とゴータレ村に住む老人は言った。「初めて学校に行ったのは、12歳の頃だったかな。ノートや教科書というものはなくて、石盤と黒鉛で勉強した。けれど、長くは続かなかった。家の仕事を手伝わなくちゃいけなかったんだ。だから私は字が読めない。でも今の子供たちは違うよ。みんな学校へ行く。いいことだね。時代が変わったんだ」

 僕はネパールの村を数多く訪れたが、どの村でも教育の大切さを疑う人はほとんどいなかった。自分が学校に通えなかった分、子供たちには最低限の知識を授けたいと願っていた。最近になって、農作物を町に売る仕組みが整ってきたので、農家も現金収入が得られるようになったということも、教育へ目を向ける一因となっているようだ。


子供たちは着古してヨレヨレになったブルーの制服を着て、学校に通っている。


 人々の教育への強い思いを感じる光景に出会ったのは、アダマラという村を訪れたときだった。その村にも電気がなく、日が暮れるとお喋りをする以外には何もやることがなくなってしまうのだが、そんな村の一角で子供たちのために夜の補習授業が行われていたのだ。

 村の小学生を教えているのは、10代後半の若者たちだった。もちろん有志のボランティアである。彼らは低学年の子供たちにネパール語の「あいうえお」を教え、高学年の子供たちの算数の宿題を見てあげたりしていた。灯油ランプの小さな明かりでは、部屋中を明るく照らすことはできないので、子供たちはランプの周りに集まり、頭を寄せ合うようにして課題に取り組んでいた。

 それは本当に小さな世界だった。ランプが照らし出す限られた円の中にあっては、ノートに書かれたひと文字が、一行の計算式が、かけがえのない呪文のように輝いていた。






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