写真家 三井昌志「たびそら」 アジア旅行記 フォトギャラリー 通信販売 写真家・三井昌志プロフィール ブログ


素焼きの大きな瓶がロキシーの蒸留装置である。瓶の下で薪を燃やしてロキシーを蒸発させ、てっぺんに入れた水で冷やして蒸留する。水を頻繁に交換してやらないと、いいロキシーはできないのだそうだ。
 ネパール最大の祭りダサインにおいて、山羊肉と共に欠かせないのが「ロキシー」である。ロキシーは粟を原料にした自家製のお酒で、粉にした粟と水を混ぜ、発酵させた後に専用の壺を使って蒸留して作る。祝い事には欠かせない酒なので、ダサイン前には薪を焚いてロキシーを蒸留する人の姿があちこちで見られるようになる。

 村の男たちは朝からロキシーを飲み、世間話をしたりトランプをしたりしながら、ダサインをのんびりと過ごしていた。もちろん僕にも「一杯飲んで行けや」と声が掛かった。外国人がぶらぶらと歩いていることなんて珍しいので、歓待してくれているのである。

「まぁ座んなさいよ」
 すっかりお酒が入って鼻が赤くなったおじさんが僕にゴザを勧めてくれる。そしてロキシーの入ったコップを僕に渡しながら、申し訳なさそうに付け加えるのだった。
「ここにはビールもないし、ウィスキーもないんだ。悪いけど、ロキシーでいいかい?」
「もちろん、ロキシーで構いませんよ」
 僕が笑顔で頷くと、おじさんは安心したように顔をほころばせた。どうやら彼らの中には、「外国人はビールかウィスキーといった洋酒を飲むものだ」という思い込みがあるようだった。

 ロキシーはたいてい車のオイルが入っていたプラスチックのボトルか、ビールの空き瓶などに詰めてある。それをアルミ製のコップになみなみと注いでくれるのは、その家の奥さんの役目だった。

 アルコールの強さは蒸留の度合いによって違うのだが、だいたい日本酒とビールの中間ぐらいだった。決して強い酒ではないのだが、一杯飲み干すと「もっといかが?」としつこく勧められるので、調子に乗って飲み過ぎないように気を付けなければいけない。男たちは酔っぱらったまま家でぐーぐー寝ていればいいのだが、旅をしている僕の場合はそういうわけにもいかない。酒を上手く断る技術が必要になってくるのだ。

「プクチャ! プクチャ!(結構です、結構です)」
 と言いながら、右手でグラスの口を覆うポーズを取るのが、礼儀正しいロキシーの断り方である。しかし、それだと強引にグラスを奪われて、勝手にロキシーを注がれてしまうこともある。だから「本当にこれ以上は飲めない」という場合には、自分のグラスをしっかりと抱きかかえて、グラスの口を手の平でぴったりと塞いで、断固たる拒否の意思を表す必要があった。ネパール人は本当に酒好きだし、もてなし好きなので、ここまでやらないと諦めてくれないのである。


ロキシーが出来上がるのをのんびりと待つ。



大木にロープを括り付けてブランコにする。
 お酒の飲めない子供たちにとって、ダサイン最大の楽しみにはブランコに乗ることである。ダサインの時期に前後して、多くの家には即席のブランコ――軒下や家畜小屋にロープを取り付けただけのもの――が登場し、子供たちがそれを漕いで遊ぶ姿が見られるようになる。

 そのようなプライベートなブランコとは別に、村一番の大木にロープを結びつけた巨大なブランコも登場する。綱の長さが7,8mあるような大きなブランコの登場に、村の子供たちは大いに興奮し、順番待ちの行列ができるほどの人気となっていた。

 特にブランコに熱中しているのは女の子だった。普段はシャイでおとなしいネパールの女の子たちだが、この時ばかりはスカートの乱れも気にせずに、目一杯ブランコを漕いでいた。

 少女は綱をぎゅっと握りしめ、腰をかがめて重心を低くして、ブランコに加速をつけていく。ひと漕ぎするごとに、体はより高く、より遠くに飛んでいく。樹齢百年を軽く超えるという大木の枝は、彼女の体重を軽く受け止め、しなりの力でさらに勢いをつけていく。

 ブランコが半円の軌道を描いて、ちょうど90度の位置に達し、そこで彼女の体が一瞬停止する。ポニーテイルの髪も、スカートの裾も、裸足の足先も、笑顔も、時間が止まったように全てが静止する。木々の間からこぼれてくる光が、その様子をスポットライトのように照らしている。

 そして落下が始まる。長い髪は風に揺れ、体が弓のように大きくしなる。彼女は重力に抗うように目一杯足を踏ん張る。ブランコは更にスピードを上げ、彼女の体は空の中へと投げ出されていく。


こちらは軒下に取り付けられた簡易ブランコ。


 女の子たちが無邪気にブランコを漕いでいる様子を写真に撮っていると、「あなたもやってみる?」と誘われたので、僕もカメラを置いて大ブランコに乗ってみることにした。

 それは圧倒的な爽快感だった。スピードは速く、視界は広く、吹き抜けていく風も強烈だった。僕は女の子たちと同じように目一杯ブランコを漕いだ。体の振れ幅が大きくなるにしたがって、眼下の景色は雄大さを増した。まず足元に村の棚田が広がり、次に大きな川の流れが見え、更に大きく漕ぎ出すと、万年雪をいただいたヒマラヤの尾根までが見通せた。

 まるで大空を手に入れたみたいだった。あまりの爽快感と、ロキシーでほろ酔い加減だったことが重なって、僕は自然に歌をうたいはじめた。曲はもちろんあの「ジャパン・トキオ」である。僕は足を踏ん張ってブランコを漕ぎながら、腹の底から声を出して歌った。子供たちも手拍子を打ち、一緒に歌ってくれた。

「ジャーパン・トキオー・モイレチティ・ポターコイ・ティエーニ・コタロキオー(東京にいるあなたに手紙を出したのよ。でもそれはあなたの元には届かない)」
 どうして手紙は届かなかったのだろう。郵便屋が配達し忘れたのだろうか。仕分けの途中で紛失したのだろうか。あるいは白山羊さんが頭を切り落とされる前に食べてしまったのだろうか・・・。

 手紙は届かなかった。でもこの歌声は、あの高い山を越え、空を伝わって、はるか彼方にある東京にまで届くんじゃないだろうか。ふと、そんな空想が頭をよぎった。
 僕は綱をぎゅっと強く握り締め、しっかりと足を踏ん張って、大空へ飛び出していった。


赤く着色したお米を額につける「ティカ」もダサインには欠かせない。
ティカは年長者につけてもらうのが習わしである。子供たちはこのときに少額のお小遣いをもらう。お年玉みたいなものだ。



 ネパール旅行記の公開はここで終了します。
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