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インドはどちらかと言えば苦手な国だった。相性のよしあしで言えば、間違いなく悪い方の国だった。
山の民のひっそりとした営みがすてきなネパール。やたら暑苦しいが面白い人間のるつぼであるバングラデシュ。美しい海と山に恵まれた島国スリランカ。インドと国境を接する国々はどれも大好きなのだけど、肝心のインドそのものにはずっと苦手意識を持っていたのだ。
僕の苦手意識は初インドで刻まれたものだった。散々な旅だった。地元の子供たちに電子手帳を盗まれ、あまりの暑さに体調を崩して寝込み、詐欺まがいの男にしつこく絡まれた。まぁどれもこれもインドではよくあることなのだが、そのときは旅の経験値も少なかったので、「インドなんて嫌いだ。二度と行くもんか!」と思ってしまったのである。
「インドを嫌う者はインドに嫌われる。インドを好む者はインドに好かれる」
以前、ある旅人にそう教わったことがあるのだが、それは本当だった。そして僕は残念ながら前者なのだと思っていた。
僕が何よりも苦手だったのは、「何を考えているのかわからないインド人」の存在だった。インドにはどう考えても理屈に合わないことを平気でやったり、先の行動が全然読めなかったりする人が多いのだ。
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杖を手にした老婆が大勢の人々を前にして大声を張り上げていた。神のお告げを伝えているのだろうか。 |
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今回もプリーの漁村で遭遇したのも、実にインドらしい理不尽な出来事だった。
僕はA4サイズにプリントした写真を持って漁村を歩き回っていた。以前、この村を訪れたときに撮った写真を被写体となってくれた人にプレゼントするためだった。僕は二度三度と同じ場所を訪れるときには、ささやかな感謝の気持ちとして、過去に撮った写真を手渡すことにしていたのだ。
大きく引き延ばされた写真を受け取ると、たいていの人は驚いて目を見張り、とても喜んでくれる。嬉し恥ずかしという表情を浮かべて走り出す少女もいたし、お礼にチャイをご馳走してくれるおばさんもいた。
しかし中には予想外の反応を見せる人もいた。そのとき僕は笑顔がとても素敵な少女に写真を渡した。彼女ははにかみながらそれを受け取った。そこまではいつもと同じだ。ところが、それを見ていた彼女の親戚らしい男が、「パイサ! パイサ!」と言いながら右手を出してきたのである。
「パイサだって?」
僕はまじまじと男の顔を見つめた。おいおい、いったい何を言い出すんだ、こいつは。
パイサとは「お金をくれ」というような意味で、ホテルのボーイがチップを要求したり、物乞いが施しを求めるときなどによく使われる言葉である。普通に考えれば、この状況で使うような言葉ではない。
<あんたはこの子に写真をプレゼントした → だからこの子にお金をあげろ>
どう考えても筋が通らなかった。
確かにプリーの漁村の子供たちは、外国人旅行者に対してよくモノやお金をねだってくる。「ハロー!」の次に、「パイサ!」と言ってきたり、「エクルピ!(1ルピー)」とか「ペン!」などと言ったりする。しかしそれは冗談半分の軽いノリのもので、「もらえればラッキー」みたいな感覚で言っているに過ぎなかった。だから僕はそのような要求に対しては、いつもにこやかな無視を貫いていた。
「パイサ! パイサ!」
しかし男の目は真剣だった。彼はおなかに手を当てて、苦しそうな表情を浮かべた。食べ物を口に入れる身振りも付け加えた。物乞いがよくやる仕草だった。我々はおなかが減っているんだ。食べ物を買うお金もないんだ。恵んで欲しい。そう言っているのだ。それは子供たちがやる冗談半分の「パイサ」ではなかった。
完全な不意打ちだった。写真をプレゼントしたあとにお金を要求されるなんて、想像すらしていなかったのだ。実際、これまで数々の国で何百枚もの写真を渡してきたが、こんな状況は一度もなかった。確かにプリーの漁村は貧しい。でも、ここよりもずっと貧しい場所、例えばバングラデシュのスラム街やネパールの山村であっても、このような反応に出くわすことはなかったのだ。
僕をさらに困惑させたのは、周りの村人たちが男の行為をとがめようとせず、むしろ積極的に支持していることだった。「そうだ。パイサだ!」と叫ぶ若者も現れた。少女の母親もそれに同調した。母親は「ほら、あなたもパイサって言いなさい」と娘をけしかけ始めた。母親は娘の手首を握って、僕の方へぐいっと突き出した。それが当然の権利なのだと言わんばかりに。少女は戸惑いの表情を浮かべながらも、母親に従った。
我慢の限界だった。僕はきびすを返して、足早にその場から立ち去った。少女が「パイサ」と言うのだけは絶対に耳にしたくはなかった。この子は物乞いじゃない。そんなことさせるべきじゃないんだ。僕は母親に対してそう訴えたかったが、それを伝える術がなかった。背後では人々が「パイサ!」「パイサ!」と口々に叫んでいたが、二度と振り返らなかった。その場から逃げ出す以外、どうすることもできなかった。やっぱりインド人はわからない。僕はそう心の中で呟いていた。
一年前に写真を撮ったとき、少女は本当に楽しそうに笑っていた。外国人のカメラが自分に向けられていることを素直に喜んでいた。一点の曇りのない笑顔だった。君の笑顔はこんなにも素敵なんだよ。そのことを伝えたくて、僕は再び少女の元を訪れたのだ。
しかし僕が写真を持ってきたことが、逆に彼女の笑顔を曇らせてしまった。「豊かな国から来た外国人旅行者」という存在が、村人に「パイサ!」と口走らせ、少女を混乱させてしまったのだ。全てが逆効果だった。そう思うと、僕はやり場のない徒労感に襲われた。
これが一度だけであれば、「あの家族は例外だったんだ」と考えることもできたのだが、残念ながらインドでは同じようなことが三度も起こったのである。いずれの場合も場面展開まで同じだった。まずはじめに誰かが「パイサ」と言い出す。すると周りの人間もつられて「パイサ」「パイサ」と連呼する。そうなるともう僕の手には負えず、ため息をついてその場を離れるしかないのだった。
三度目はさらに奇妙だった。僕に「パイサ」要求を拒否されると、その相手は一転して「お前、飯はもう食べたのか? まだだったら食ってけよ」と誘ってきたのである。どないやねん!
まったくもってわけがわからなかったが、断る理由もないので有り難くご馳走になった。パイサの件はそれっきり二度と出てこなかった。どないやねん!
どうやらインドでは誰かにものをねだることも、誰かにものを与えることも、それほど特別なことではないらしい。そのときの気分次第で与える側に回ることもあるし、受け取る側に回ることもある。そしてそれが拒否されたところで、別に気にもとめないのだ。気まずい関係にはならないのだ。
しかし、いくら「インド人はそういうものだ」と考えようとしても、実際に予想もしない場面で「お金くれ」と言われると、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。すごくフレンドリーに話し掛けてきた人に突然「パイサ」と言われたらがっかりするし、パイサ目的だと思っていた子供の右手が、実は握手を求めていただけだったわかったときにはやはり自己嫌悪に襲われてしまうのだ。
言ってみれば、それは伏せられたトランプを一枚一枚めくっていくみたいなものだった。絵札が出ることもあるし、ジョーカーが出ることもある。インドでは目の前の人がどんな反応を示すのか全く予想できないのだ。
それならば、この状況を楽しんでしまおう。こちらの思惑や期待はひとまず脇に置いて、目の前の人の出方に正面から向き合おうじゃないか。そう思えるようになったのは、旅をはじめてからかなりの日数が経ってからのことだった。
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