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  たびそら > 旅行記 > インド編


 ウッタルカシから聖地ガンゴートリーに向かった。全長2506kmにも及ぶガンジス川の源流がこの地にあるからだ。標高およそ3000m。70ccのスクーターで行けるかどうかは微妙だったが、せっかくここまで来たのだから、あの大河の「最初の一滴」をこの目で確かめに行くのもいいなと思ったのだ。


 快晴の朝だった。昨日までの曇天が嘘のように、スコーンと青空が広がっている。気温もぐんぐん上昇。絶好のバイク日和となった。
 しかしこの高揚した気分も、出発から2時間ほどであっけなくしぼんだ。ガンゴートリーへと繋がる一本道・国道108号線が土砂崩れで不通になっていたのだ。最近降り続いた雨のせいで斜面の上の方が崩れ、大量の土砂が道をふさいでいた。ブルドーザーが復旧作業に当たっていたが、まだかなり時間がかかりそうだった。

崖崩れの現場は大渋滞だった

「まぁ今日中には通れるようになると思うどね」
 四輪駆動車を運転している男は淡々と言った。聖地ガンゴートリーに参詣するために、休暇を取ってデリーから車を走らせてきたという。108号線ではこの手の事故がしょっちゅう起きているようだが、まだ雨季が始まって間もないこの時期には珍しいようだ。運が悪かったとしか言いようがない。思わぬ渋滞に巻き込まれた他のドライバーやバスの乗客たちも、あきらめ顔で復旧作業を見守っていた。

 しばらく待ってから引き返すことに決めた。源流まで行けないのは残念だが、そういう巡り合わせなのだと諦めたのだ。今回はガンガーの神様に呼ばれていないのだろう。インドを長く旅していると、否応なしにこの種の諦観を身につけることになる。こうして内面からのインド化が進んでいくわけだ。

 ウッタルカシに戻る途中で、不思議な僧院を見かけた。ヒンドゥー教の神様をかたどった巨大なコンクリートの像が敷地内にいくつも立っているのだ。金ピカに光る象の神様ガネーシャや、シヴァ神を踏みつける凶暴なカーリー神など、いずれの像も派手な色に塗られている。神様のごった煮状態。まさにヒンドゥー・ワンダーランドだった。

金ピカに光る象の神様ガネーシャ

コブラの神?

寺院の横には新しい像も建設中

 僕が写真を撮っていると、オレンジ色の袈裟をまとった修行僧が現れた。
「あなたは日本人ですか?」
「そうです」
「それは素晴らしい。このアシュラムのマスターは日本人なのです。ケイコ・アイカワといいます」
 彼はそう言うと、一枚のポスターを指さした。そこには「KEIKO AIKAWA」という文字と共に、日本人らしき女性の姿があった。ケイコ・アイカワ氏は「ヨグマタ(ヨガの母)」と呼ばれる有名なヨガの先生で、日本とインドとのあいだを往復しながら、ヨガの普及に力を尽くしているという。

 こんな辺鄙なところに日本人が設立に関わった施設があるとは驚きだった。しかしヨガのアシュラム(修行道場)がこれほど派手な彫像で飾られる必要があるのだろうか。金ピカの神様なんて瞑想の邪魔になりそうだけど。

 ウッタルカシからチャンバまで一気に南下する。リシュケシュへ向かう国道94号線に入ると、ガンジス川の源流は急に川幅を広げた。上流では歩いて渡れるほどだった流れが、数十メートルの川幅を持つまでに成長したのだ。

ガンジス川の源流が一気に川幅を広げる

 チャンバの町に到着したのは5時。特に何があるというわけではないジャンクションタウンだ。町外れに宿がいくつかあったので、適当なところに泊まることにした。大きな谷を一望にできる眺めの良い宿だった。温水器はないが、シャワーのときにはバケツに熱湯を入れて持ってきてくれるという。最初は400ルピーだと言われたが、250ルピーにまで値切ることができた。

 バイクにくくりつけてある荷物を解いているときに、三人組の外国人旅行者がバイクに乗って現れた。彼らもここに泊まるつもりのようだった。三人ともイスラエル人で、ゴアで手に入れた350ccの中古バイクに乗って、ここまでやってきたという。

イスラエル人が乗っていたのはロイヤル・エンフィールドという古いインド製のバイクだった。

 僕が70ccのスクーターでオリッサから旅を続けていると言うと、三人は「アンビリーバブル!」と目を丸くした。
「本当だよ。ジョークじゃない」
「僕らだって相当クレイジーだけど、あなたには負けるな。ハードコアだよ」
「ありがとう。でもそれほどじゃないんだ」
 と僕は謙遜した。実際、普通だしさ。
「日本人って変わってるのかな。ゴアで一緒だった日本人も超ハードコアな奴だった。ガンジャだけじゃなくてLSDとかもバンバンやってて、完全にラリってた。無茶苦茶だった。あれで日本人のイメージが変わっちゃったもんな」
 そういうラリパッパな奴と同じ括りにされるのはご免被りたいのだが、麻薬目当てでインドを旅する日本人が多いのは事実である。国内の取り締まりが異様に厳しいために、海外に出るとタガが外れてしまうのだろう。やらなきゃ損だ、みたいな気持ちになるのかもしれない。

 イスラエル人の三人はインドに来てから知り合って意気投合し、一緒に旅を続けていた。どういうわけかインドにはイスラエル人旅行者が多い。特に辺鄙な場所になればなるほどイスラエル人の姿が目立つように感じる。なぜだろう?
「イスラエルでは18歳になると全員が兵役につかなければいけないんだ」
 23歳のイダンは眉をひそめた。
「男は3年、女は2年。そこで規則やらなんやらを徹底的に叩き込まれる。自由なんてまったくない生活が続くんだ。その反動で、兵役が終わるとすぐに外国に行く人が多いみたいだね」

 他の二人も似たような経緯でインドにやってきたようだ。18歳で徴兵、21歳で解放され、しばらく働いてお金を貯めて、旅に出る。しかしなぜ行き先がインドだったのか。そこには何か特別な理由があるのだろうか。
「安いからだよ。インドは南米やヨーロッパなんかに比べると、はるかに安く旅ができる。それに僕らはイスラムの国には行けないからね」
 そうだった。未解決のパレスチナ問題を抱えるイスラエルのパスポートを持つ人間は、シリアやイランやパキスタンなどの中東イスラム諸国には入国できない。だから自ずと行き先がインドに集中する。なるほど。

「それにインドはとてつもなく広いし、刺激的なんだ。毎日が驚きの連続だよ。出会うのはイスラエルには絶対いないような人たちばかり。この国は本当にアウト・オブ・プラネットだよ」
「それは違う」と僕は笑った。「インドは驚くべき国だけど、ここもまたこの星の一部(パート・オブ・プラネット)なんだよ」
「そうだね。僕が知らなかっただけなんだ。この世界のリアルな姿を」とイダンは言った。「イスラエルはこのウッタラカンド州よりもずっと小さい国なんだよ。車で2時間も走ればすぐに国境に出てしまう。本当に狭いんだ。その小さな国土を守るために、まわりの国と何度も戦争をしなければいけなかった。僕らはそういう国で育ったんだ」
 彼らは窮屈な母国から逃げ出そうともがいていた。なんとかして狭い「プラネット」の外へ出たいと願っていた。その気持ちが彼らを母国とは何もかもが異なるインドに向かわせたのだろう。


 イダンは1970年代のヒッピーみたいに長髪を後ろで束ね、無精髭であごを覆っていた。遅れて来たイージーライダー。しかしそのスタイルは彼にはあまり馴染んでいなかった。かなり無理をしてアウトサイダーのイメージに自分を合わせているようにも見えた。

 イダンの目は健康な好奇心に溢れていた。旅で見たものすべてに驚き、すべてに呆れ、すべてを吸収しようとしていた。そこがドラッグにおぼれる「すれた」バックパッカーたちとの違いだった。

 イダンの夢はプロのミュージシャンになること。だからバイクにギターケースを括りつけて旅をしている。スナフキンみたいに思い立ったときにいつでもメロディーを奏でられるように。
「でも、イスラエルではプロのミュージシャンになるのは難しい。人口が650万人しかいないから、国内のマーケットがものすごく小さいんだ」
 他の二人も長旅を終えた後のことは何も考えていないという。
「未来が見えてしまうのが怖いんだ。まわりの大人たちの頭にあるのはお金、お金、お金。それだけだ。僕はそんな大人にはなりたくない。ありきたりの人生は嫌なんだ」

 青臭いセリフだと笑うことはできなかった。8年前の僕もやはり彼と同じような思いを抱いていたからだ。
 レールの上に乗っかって進むような人生はもうご免だ。そう思って僕は旅に出た。それから10ヶ月、頭の先からつま先までどっぷりと旅に浸かった。驚いたり、喜んだり、疲れたり、恐れたり、困ったり、毎日が夢中だった。将来の自分がどうなるかなんて全く考えなかった。考えたくなかったのだ。


「なんとかなるさ」と僕は言った。「実際、こうやってまだ旅をしている人間もいる」
「あなたはハードコアだからな」
 イダンはそう言うと髭に囲まれた口元に親しげな笑みを浮かべた。
「僕もあと何ヶ月かしたら、ハードコアな旅人になれるかもしれない。なれなかったらイスラエルに戻るよ」
 無限の可能性と底なしの不安とのあいだで揺れる23歳。彼の若さがちょっとだけ羨ましかった。

「今は旅を楽しむときだ。精一杯楽しめばいい。死なない程度に」
「ああ、このプラネットを精一杯楽しむよ」
「クレイジーなトラックドライバーには注意しろよ。奴らは我々の敵だ」
「わかったよ。ありがとう」
 そして僕らは握手を交わして、それぞれの部屋に引き上げた。


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