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ヒマラヤ山麓の山道を下り、ヒンドスタン平原を走り抜けて、インド北東部に向かった。
平地に降りてくると、空気の質ががらりと変わった。つい数日前まで寒さに震えていたのが嘘のように、強烈な日差しと乾燥した熱風が容赦なく襲いかかってきたのだ。4月初旬。いよいよインド全土が本格的な暑季に入ろうとしていた。
ビハール州で目にしたのは圧倒的な貧しさだった。泥を固めて作った家はここに10人もの大家族が住んでいるとは到底信じられないほど小さかったし、竹とわらで作った家は風が吹けば飛びそうなほどやわだった。電気が来ていない村も多いし、子供たちが着ている服も穴だらけだった。
ビハール州は住民一人あたりの経済水準がインド28州の中で最低である。主な産業はガンジス川の水を利用した小麦や米の栽培だが、河川の氾濫を防ぐための堤防や灌漑設備、道路や電気などのインフラ整備が遅れているために経済成長から取り残されているのだ。
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貧しい村の「青空学校」。校舎を建てる余裕がないので外で授業を行っている。晴れた日はいいが、雨の日はどうするのだろう。 |
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日本の面積の4分の1しかない土地に9000万人もの過大な人口を抱えているのも大きな問題である。貧しい農家の多くは6、7人の子供を持ち、小学生のうちから農作業を手伝わせている。土地改革が遅れたビハール州ではいまだに大地主制度が残っているという。相続させる土地を持たない小作農は「子供が増える=働き手が増える=一家の収入が増える」という考えにとらわれていて、それが貧困のスパイラルから抜け出すのをいっそう困難にしているのだ。
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刈り取りの終わった田んぼで草を食む水牛と、その背中に乗る子供たち。 |
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ビハールの貧しさがはっきりと目に見えるかたちで表れているのが道路である。どの道も交通量が多いのに道幅が狭く、舗装ははがれまくっていて穴ぼこだらけという悲惨な状態だった。
ハジプールからサマスティプールへ向かう国道103号線はインドでもっともひどい国道だと断言してもいいだろう。国道とは名ばかりの荒れ放題の道に、トラックやバスなどの大型車両が行き交うので、常に砂埃がもうもうと舞い上る砂嵐状態なのだ。その中をバイクで走ろうものならたちまち全身が埃まみれになり、目に入る埃のせいで涙が止まらなくなるのだった。
もはや崩落寸前状態の橋もあった。木製の橋桁の一部が老朽化し、橋の真ん中に大きな穴を空けていたのだ。本来なら二台の車が余裕を持ってすれ違えるはずなのに、この穴のせいでバス一台通過するのもひやひやものだった。強い雨が降ったり重いトラックが通ったりしたら、すぐにでも崩落しそうだった。あぁ恐ろしや、恐ろしや。
国道103号線の東にある国道57号線は、この悲惨な状態を改善すべく大規模な改修工事が行われていた。工事は1年前からスタートし、完成したあかつきには片道2車線のハイウェーと長い鉄橋によって快適なドライブが約束されるという。
「ここらへんの道は雨季になると決まって流されてしまうんだ」と土木技術者の男が教えてくれた。「大雨が降ると川が溢れて洪水を起こすんだよ。壊れた道路を直したところで、雨季になるとまた流される。それを毎年繰り返してきたんだよ」
彼によれば、この道路工事で一番厄介なのは地面の柔らかさだという。ガンジス川の支流であるコシ川流域の柔らかい砂地の上に道路を通さなければいけないので、ただ地面をならして固めただけでは強度が足りず、まずコンクリートで頑丈な基礎を作ってからアスファルトを敷く必要があるというのだ。工事は大がかりなものになり、費用もかさんでしまう。
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柔らかい砂地の上にコンクリート製の橋脚をつくっている |
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「この道路はいつ完成する予定なんですか?」と僕は訊ねた。
「政府は来年には開通させると言っているよ」
と技術者は言ったが、彼自身その目標を信じていないような口ぶりだった。あと2ヶ月もすると雨季が始まり、その後数ヶ月は工事がストップする。残された時間はわずかしかないのに、まだ基礎部分の工事も終わっていない状況なのだ。あと1年で道路を開通させ、さらに川に橋を架けるなんて可能なのだろうか。
「まぁ目標は目標だよ」と彼は笑って言った。「我々はベストを尽くすだけだ。あとは神様が決めてくださるだろう」
ビハール州で快適なドライブを楽しむのは、まだ当分先のことになりそうだった。
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牛のエサ用に麦わらを細かくせん断する老人と孫娘。老人は高齢で目が見えないが、カッターを回す姿は力強かった。 |
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昼食をとったのはナラヒアという小さな町だった。掘っ立て小屋といってもいいような安食堂で、ご飯と豆スープと野菜カレーの定食を食べた。インド北部はチャパティ(無発酵パン)が主食だが、このあたりから主食の座がチャワール(ご飯)に取って代わる。
定食と一緒に出てきた水は鉄のにおいがした。ここでは外にある手押しポンプで汲み上げた井戸水を飲用に使っているらしく、どこかで鉄さびが混入したのだろう。お世辞にも清潔とは言い難い水だったが、喉も渇いていたので気にせずにごくごく飲んだ。
前にも書いたように、インドではミネラルウォーターを一切飲まなかった。このように現地の水を平気で飲むようになったのは、観光地ではない場所をバイクで旅するようになってからだ。田舎にはボトル入りのミネラルウォーターなんて売っていないから、やむを得ず飲み始めたのだが、やってみると案外平気だったのである。すでにある程度免疫ができていたのだろう。そしていつしか「積極的に」現地の水を飲むようになった。食堂でミネラルウォーターを出されても断って、生水を飲むようになったのである。現地の水を体に取り込んだ方が、むしろ体調が良くなることに気が付いたのだ。
もちろんインドの水は清潔ではない。得体の知れない細菌が紛れ込んでいることもあるだろう。でもヒトの免疫システムというのはその得体の知れない細菌と出会うことではじめて「敵」を知り、その対策を講じるようになるものであるから、その土地の生水を飲み、生野菜を食べることで学習を重ねた免疫は、きっと以前よりパワーアップしているはずだ・・・というのが僕の持論なのだが、これはあくまでも個人的な経験に基づいた仮説であって、医学的根拠などないことをご理解いただきたい。もちろん数日あるいは数週間しか滞在しない短期旅行者にはお勧めしない。あくまでも時間をかけて少しずつ慣らしていくのがポイントなのだ。
ナラヒアから先はコシ川の川底を走ることになった。雨季になって増水すれば不通になるが、乾季には通行可能という「期間限定」の道のようだ。地図の上ではこの道も国道57号線ということになっているのだが、舗装もされていないただの砂地なので、すさまじく走りにくかった。他の車が通った轍から少しでも外れると、たちまちタイヤが空回りしてスタックしてしまうのだ。まさにアリ地獄の中でもがき苦しむアリ状態。いったい誰がこんな罰ゲームを考えたんだよ、と呪いたくなるような悪路であった。
そのアリ地獄街道を1時間ほど進んだところに、小さな船着き場があった。ここから先は渡し船に乗って川を渡らなければいけないようだ。普通の乗客は5ルピーだが、バイクを乗せると20ルピーだという。昼食が15ルピーだったことを考えると少々高い気もしたが、まぁ仕方ない。船頭に手伝ってもらって、船の上にバイクを引っ張り上げた。
渡し船は10人の乗客と3台のバイクを乗せて、ゆっくりと岸を離れた。船頭が竹竿で川底をぐいっと押すと、その反動で船が前進する。実にのどかな乗り物である。川はほとんど干上がっており、一番深いところでも大人の胸ぐらいまでしかない。多少無理をすれば歩いて渡ることも可能で、実際にそうしている人もいた。対岸には何十頭もの水牛がいて、「こりゃたまらん」という表情で水浴びを満喫していた。
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