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ネパールの農村はいま大きく変わりつつある。
その変化の担い手は「出稼ぎ労働者」であり、原動力は「オイルマネー」である。ネパールの農村には昔から出稼ぎの伝統があったのだが、最近の原油価格の高止まりを背景にした産油国の経済成長によって多くの労働力需要が生まれた結果、数百万人規模のネパール人が仕事を求めて湾岸諸国に渡ったのである。イラクで働いたサンク君はその典型例のひとつだと言っていいだろう。
「村の生活は変わったよ」
と出稼ぎ先のカタールから帰ってきたばかりの男が言った。
「10年前、いや5年前までは誰もテレビなんて見たことがなかった。それが1年前に村に電気が通ったら、毎日衛星放送でインドの番組を見られるようになったんだ」
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今でも電気がない村では、夜になれば家族が灯油ランプのまわりに集まる。 |
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5年前までは、夜になれば灯油ランプをともす生活だった。それが今ではテレビを持ち、携帯電話を持てるようになった。日本だと100年を要した変化が、わずか5年の間に起きてしまったのだ。
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衛星放送受信用の大きなパラボラアンテナも目にするようになった。 |
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家畜の糞などをメタンガスに変える「バイオガス」も注目されたことがあったのだが、設備が大がかりなわりに火力が安定しないので、次第に使われなくなったという。環境にいいのは確かなのだが、プロパンガスの便利さにはかなわなかったようだ。
ネパールの山村で進行する変化の象徴が「バス道」だ。
バスが通れるだけの広い道ができれば、徒歩でしか行けなかった場所にも簡単に行けるようになる。重い荷物を背負いながら険しい山道を何時間も歩くのが当たり前だった農家の暮らしが、これで一気に楽になるわけだ。
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バスの屋根の上にまで乗客が乗るのは、ネパールでは当たり前だ。 |
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道をつくれば村が変わる。
ここでも変化の原動力となっているのは、キャッシュが持つ力だ。田舎のバス道の整備に政府が使える予算は限られている。それを待っていたら何年経っても道なんてできない。だったら自分たちの手でさっさと道をつくってしまおう。そう考える人が増えたのも、現金収入が増えたためだ。村人からお金を集めて重機を呼べば、バス道をつくるのはさほど難しいことではないのである。
ビルチェット村では村人総出でバス道をつくっている現場に遭遇した。かり出された村人は100人あまり。それぞれ手にシャベルやハンマーやバールなどを持ち、それで木の根っこや岩を取り除いて、以前からあった細い峠道を車が通れる幅にまで広げていた。
大変な重労働だし、危険な仕事でもある。突然地面が崩れて大きな岩が足下に落ちてきたら、間違いなく大怪我をする。それでも人々は陽気だった。笑いながら、ときには歌をうたいながら、額に汗して働いていた。彼らは昔からこのようにして道をつくり、棚田を広げてきたわけで、こういった作業には慣れているのだろう。
ある程度広い道が出来上がると、今度はパワーショベルを呼んで本格的な道づくりに入る。パワーショベルは一台で何百人分もの仕事を効率的にこなしてくれるが、使用料も高い。1日に3万ルピーもかかるという。だからこの村では、全家庭に2000ルピーずつの負担金を払ってもらうことにした。
人力とパワーショベルで作られた道は、決して「いい道」ではない。もちろん舗装もされていないし、そこらじゅう穴ぼこだらけだから、バスの乗り心地は笑うしかないほど悪い。洗濯機の脱水槽の中にいるみたいに揺れる。雨季になると通行止めになるし、ときどきバスの転落事故も起きる。
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田舎のバス道は穴ぼこだらけで、まともに走れないことも多い。 |
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それでも田舎にバス道が通ることの意味はとてつもなく大きい。町でしか手に入らなかった商品がトラックに載せられて村に運ばれてくるようになるし、反対に村でつくった作物を町に売りに行くことも容易になる。病気になったときも、すぐに町の病院に行くことができる。生活がより便利に豊かになるわけだ。
アジアの貧困国ネパールには、「援助」の名のもとに外国の政府や民間からたくさんのお金が流れ込んでいた。しかし、それらはあまりうまく機能していなかった。投入したお金に比べて、効果は限定的なものにとどまっていたのだ。腐敗した役人の懐を潤すばかりで、本当に援助を必要としていた人の元にはなかなか届かない、という現実があったのである。
今、ネパールの山村を変えつつあるのは、国際援助のような「上から与えられるお金」ではなくて、出稼ぎ労働者が自らの手で得たお金である。そのお金は自分たちのニーズに合わせて自由に使うことができる。そこが大きな違いだ。
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オイルマネーは貪欲で搾取的で差別的で鼻持ちならないアラブのお金持ちが吸い上げたお金である。しかしお金それ自体には善いも悪いもない。よく言われるように「お金に色はない」のだ。
グローバル市場経済が生む血も涙もないマネーは、極めて合理的で効率的なものでもある。その事実は(渋々ながらも)認めなければいけない。
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