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ムルー族が持つ風習の中でも際だって特徴的なのは、婚姻制度である。一般的にムルー族の妻は、自分より10歳から15歳も「年下」の男を夫にするのだ。超が付くほどの「姉さん女房婚」なのである。配偶者を選ぶのも女性の側で、女の方から自分の好みの男にアプローチする。ちなみにムルー族の女たちにとっての「良い男」とは、「思いやりがある男」や「歌や踊りが上手な男」だという。外見はさほど重要ではない。
女に選ばれた「年下の男の子」は、結婚に応じる気があるなら、お金を貯めなければいけない。両家に二人の結婚を認めてもらうには、日本円にして4万円ほどの結婚資金が必要なのだ。言うまでもなく、現金収入に乏しいこの村で4万円ものお金を貯めるのはかなりの難関である。どうしても用意できない場合には、夫の親が援助することもあるようだ。育てていた家畜を売ったりして、なんとか婚礼資金が準備できると、そのお金で新妻のために腕輪やイヤリングなどの装飾具を買う。
バングラデシュに住むビルマ系の少数民族には、いわゆる「母系社会」の伝統を持つ人々が多いのだが、ムルー族は単純な母系社会ではない。夫を選ぶ権利は妻の方にあるのだが、選ばれた夫は持参金と妻を「交換」するかたちを取り、妻は夫の実家に「嫁入り」することになるのだ。
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ムルー族の女はとてもよく働く。川で水を汲むのも、山に入って山菜や芋をとってくるのも、家畜の世話も、炊事や洗濯や掃除などの家事も、ほとんどが女の仕事なのだ。男たちはあまり働かない。たまに森に狩猟に出かけて鳥やリスなどをとってくることもあるが、だいたいは家にいる。基本、「主夫」なのである。
男たちが担当するのは竹籠を編んだり、子供の面倒を見たりといった「内向き」の仕事で、他に何もすることがないときは、床に寝っ転がってのんびりとタバコを吹かせている。はっきり言ってぐうたらである。しかし、そんな夫を見ても、「あんた少しは働きなさいよ」と妻が文句を言うことはない。ここではそれが当たり前だし、逆に夫がきびきび働くような夫婦は世間体が良くないのかもしれない。「あの家の旦那さん、働き者なんですってよ。イヤねぇ」みたいに。ここは「働きたくない男」にとってのパラダイスなのかもしれないなぁなんて思ってしまう。
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あけっぴろげな女たちは、こんな表情も見せてくれる。 |
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夫よりも年上で、かつ働き者であるムルー族の女は、当然のことながら気が強い。性格的にもあけっぴろげで陽気だ。シャイな人が多い山の民にしては珍しい性格である。村で女たちにカメラを向けたときにも、ニコッと笑ってくれたり、「あっかんべー」と舌を突き出してくる人が多かった。
ムルー族は男女を問わずヘビースモーカーなのだが、より豪快に吸うのは女の方だった。生後間もない赤ん坊に乳を吸わせつつ、煙を「ぷはー」っと鼻から吹き出している女の姿は、豪快というか「男らしいなぁ」と感じさせるものだった。
女が外で働き、タバコを吸い、夫を選び、豪快に笑う。この村は、妻が家庭を守るのが普通であるムスリム家庭とは何から何まで正反対の社会だった。僕らが普段何げなく感じている「女らしさ」や「男らしさ」、つまりジェンダー(社会的性差)というものが、実は周りの環境によってオセロの白と黒のように変わりうるという事実を、改めて思い知らされたのだった。
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僕らに同行してくれたカンさんは興味深い視点で、この村の「姉さん女房婚」の習慣が持つ意味を説明してくれた。曰く「生物学的には、セックスの相性が一番いいのが19歳の男性と38歳の女性のカップルなんだ」というのだ。
カンさんはいくつもの会社や私立大学を設立した実業家で、外国人とのビジネスの経験から得た幅広い知識を持つ人だった。外国生活が長かったこともあって、イスラムの因習に囚われない公平なものの見方ができる人で、アッパークラスの人にありがちな押し出しの強さや傲慢さもなく、冗談好きで気さくなおじさんだった。イスラム社会ではタブー視されている下ネタも気軽に話してくる。若い頃はいろいろと遊んでいたのだろう。
「女性の性欲が一番高まるのは30代後半なんだ」とカンさんは続けた。「子供を作るラストチャンスだからね。男の場合は十代後半が一番性欲が高い。君もよく知っているようにね」
「ということは、ムルー族の結婚スタイルは理想的なんですね?」
「セックスの相性だけを見ればね。彼らがそれを知っているかどうかは私にもわからないが。でもムルー族の結婚がどれほど我々の社会通念と違っていようとも、そこには何らかの合理的な理由があると考えるべきだよ」
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陽気で働き者の女たちに比べて、村の男たちはおとなしく、影が薄かった。 |
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カンさんは一般的なベンガル人のセックスに対する固定観念にも大いに問題があると言った。大半の夫婦が男の都合ばかりが優先される幼稚な性生活を送っている。男は自分がやりたいようにやるだけで、女性の喜びについて配慮することがない。女が性欲を持っていることすら認めない人が多い。
「これは男にとっても女にとっても悲劇だよ」とカンさんは言う。「会話だって同じだよ。バングラ人の男は妻の話をまともに聞かない。コミュニケーションが取れていないんだ。女の人はたいてい話したいから話しているんであって、結論を求めているわけじゃないんだ。そこのところをわかっていない男が多すぎるんだよ」
これまでのバングラデシュでは、細やかなコミュニケーションや相互理解といったものがなくても「制度」としての夫婦を維持することはできた。伝統的な家族観や宗教的道徳規範が強い影響力を持っていたからだが、これからはそうも行かなくなる。都市部では核家族化も進み、離婚も増えている。近代化が進むと、どこも同じような問題に直面するようだ。
ムルー族の結婚制度がどのような背景から生まれたのかはわからない。カンさんの「セックスの相性を重視した」という説は確かに興味深いが、本当にそうだったのかは確かめようがない。女性が10歳以上も年上であることのメリットとしてすぐに思い付くのは「初婚年齢が上がることによる出生率の抑制」だが、村の現状を見る限り、この説を支持するのは難しい。この村には子供がやたらと多いからだ。
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村はベビーブームのピークを迎えていると言ってもいいような状態で、どの家にも6人から8人の子供がいた。仮に妻が30歳の時に結婚したとして、8人の子供をもうけるためには、ほぼ毎年のように産み続けなければいけない。言うまでもなく、これは相当に大変なことである。
次から次へと子供が生まれてくるからなのだろうが、村の子育てはかなりアバウトだった。自由放任というか、基本的にほったらかしなのである。忙しい母親には子供たち一人一人に構っている暇などないのだろう。まだハイハイしかできない赤ん坊が家畜と一緒に泥んこになって遊んでいたりする。糞だらけの豚や、たき火の灰にまみれた子犬や、エサを求めて歩き回る鶏たちと同じ土の上で這いずり回っているのだ。なんでも口に入れちゃう時期だから、鶏や豚の糞も間違いなく口に入っているだろう。しかしそれを気にかける人は誰もいない。タフな環境である。「か弱きベビーをあらゆるばい菌から守らなくては」と考える潔癖症のお母さんが見たら卒倒するんじゃないかと思う。
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それは僕の娘が置かれている環境とはあまりにも違う世界だった。一定の温度に保たれた快適なマンションで、清潔な布団と温かいお湯とウェットティッシュに囲まれた暮らし。それが東京に住む赤ちゃんにとってごく当たり前の現実だ。その一方で、同じ月齢の子供が豚の糞にまみれて暮らしている。二つの異なる現実の途方もない落差に、僕は軽い目まいを覚えずにはいられなかった。
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