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人影のない海岸にバイクを止めた。右を見て、左を見て、そして正面の水平線を眺めてみるが、どこにも人の気配はない。車も全然見かけない。数分おきに一度通るか通らないかだ。誰かが住んでいる痕跡もない。古びた木製のボートが遠くにあるマングローブの根元に引っかかっているだけだ。
波は穏やかで、水は限りなく澄んでいる。遠くの丘の上から見下ろしても、海底の小石のひとつひとつがはっきりとわかるぐらいだ。本当の意味で手付かずの自然、何ものにも汚されていない無垢のままの自然が残されている。
波打ち際まで歩いていくと、寄せては返す波の音に混じって、微かに「プチッ、プチッ」という音が聞こえてきた。小さな泡が弾けるような音だった。何だろうと思った。今までに聞いたことのない不思議な音だった。
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しばらく耳を澄ませていると、その音がマングローブの根元から聞こえてくるのだとわかった。マングローブは海水の中でも生きられる熱帯特有の樹木で、根の先が普通の木とは逆に空中へと突き出ている。これは「気根」といって、海水が満ちている場所でも呼吸するための仕組みなのだ――そんなことを何かの本で読んだことがあった。
この「プチッ、プチッ」という小さな音は、マングローブが呼吸するときに出す音なのかもしれない。僕は時の経つのも忘れて、その音に聞き入った。剣山のような格好で海面から突き出ている気根は、ひとつひとつが個性を持っているかのように、微妙に違う音を発していた。そしてその音が重なり合うとき、そこに言葉が生まれるのだった。自然から生まれた不思議なつぶやきが。
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マングローブの根元から無数の気根が突き出していた。 |
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それにしても、なんて静かなんだろう。
マングローブのつぶやきが聞こえる国。命の小さな響き合いがこだまする国。それが東ティモールという国の第一印象だった。
「静かな国」という印象は、この国で唯一「街」と呼ぶことのできる首都のディリにおいても変わらなかった。首都といっても人口はわずかに15万人しかおらず、街の賑わいはごく一部だけに限られていたのだ。
ディリの街は実に歩きやすかった。東ティモールを訪れる前に旅していたインドネシアの地方都市に比べると、車や人の量が桁違いに少ないし、建物の密集度も低いので、すいすい歩くことができた。排気ガスにうんざりすることもなければ、行き交う車の間を縫うようにして道路を横断する必要もなかった。
とはいえ、ディリの街歩きは決して面白いものではなかった。歩きやすいのは確かだが、どこまで行っても同じようにのっぺりとした町並みが続くばかりで、全然楽しくないのだ。
ディリには街の中心になるようなやかましく猥雑な繁華街というものはなく、商店街と呼べるような場所もなかった。この町にあるのはポルトガル植民地時代に建てられた古びたコロニアル風の建物と、物流の中心である港と、道端に座り込んで話をしている失業中の男たちだけだった。モノの流れも、お金の流れも、時間の流れすらも緩慢な街。それがディリだった。
首都の活気はその国の人口規模に依存する。国の人口が少なければ中心に集まろうとする人の流れは緩やかになり、首都が持つエネルギーも低くなる。その意味では人口100万人足らずの小国である東ティモールの首都が閑散としているのは、ごく自然なことなのだ。
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