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スタンドの一件にも表れているように、東ティモール人は親切で陽気な(そしてちょっとお節介な)人々だった。それは国自体の静けさとはまったく対照的だった。
バイク旅行初日はスタンドの故障があって、道行く人から次々と声を掛けられる羽目になったのだが、故障を直した翌日以降も、僕とバイクが人々の注目を浴びる状況は変わらなかった。バイクで走っている僕を見ると、多くの人がさっと右手を挙げた。「やあ、久しぶりだね」というような気楽な感じで。
最初はその意味がよくわからず、「ヒッチハイクをしているのか?」とか、「僕のバイクがまた故障したっていうのか?」などと考えていたのだが、しばらく走るうちに、この国ではすれ違う人に対してごく当たり前に手を挙げるらしい、ということがわかってきた。相手が外国人であろうがなかろうが、遠方からやって来た人にはにこやかに手を挙げて挨拶をする。それがこの国の習慣なのである。
東ティモールの田舎道には車やバイクといった騒々しい乗り物は滅多に通らず、もっぱら水牛や馬などの家畜がゆったりと行き来していた。何かを焦る理由はなく、誰かを急かす人もいない。そのような穏やかな時間が流れる土地では、人々はすれ違う人ひとりひとりの顔を見て、挨拶を交わしながら暮らすことができるのだ。
さりげなく右手を挙げる大人とは違って、子供たちの反応はもっとストレートでエネルギッシュだった。彼らは外国人がやってきたのを目ざとく見つけると、「マライ! マライ!」と叫びながら大きく手を振った。「マライ」というのは現地の言葉で「外国人」を意味していて、そう言われてもどう返したらいいのか困ってしまうのだが、こちらも「ハーイ!」とにこやかに手を振り返すと、また嬉しそうな笑顔を返してくれるのである。
それだけならいいのだが、学校帰りの子供たちが何十人も集まっているところを通りかかったときには、興奮した子供たちに頭や腕をバシバシ叩かれるというひどい目にも遭った。子供たちに悪意はないのだとは思う。プロ野球でサヨナラホームランを打った選手がホームベース上で受ける「勝利の洗礼」に近いノリなのである。しかし子供というのはどの国でも大人数になると調子に乗りすぎて収拾がつかなくなる傾向があるので、この時ばかりはバイクのスロットルを目一杯回して、バイクにしがみつこうとする子供たちを振り払いながら前に進まなければいけなかった。
僕は東ティモールという国に対する具体的なイメージをまったく描けないまま、首都ディリにある空港に降り立った。
21世紀最初の独立国であり、内戦を経てインドネシアから別れた小さな国――東ティモールについて僕が持ち合わせている知識はそれぐらいだった。その国についての情報をほとんど持たないまま旅を始めるのはいつものことだったが、治安や交通事情や宿の有無といった旅に必要な基本的な事柄でさえ知らないまま空港に降り立つというのは、やはり少し不安だった。
しかし、そんな不安は人々の笑顔によってすぐに消えてしまった。道行く人が手を挙げて微笑みかけてくると、僕も手を挙げて笑顔を返した。そんなシンプルなコミュニケーションが、未知の土地にいることの緊張感を和らげてくれた。
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