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 僕は退屈なディリに見切りをつけて、旧式のバイクを借りて東ティモールをぐるりと一周する旅に出た。東ティモールは公共交通機関というものが極めて貧弱なので、自由に旅をするためには車かバイクを借りるしかなかったのである。


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 ディリで借りたバイクは大変なオンボロだった。バイクを貸してくれた安宿のオーナーによれば、このホンダ製バイクは30年近く前にオーストラリアで郵便配達人が使っていたものだという。本当は新しくて性能の良いバイクが欲しかったのだが、東ティモールでバイクを借りられる場所はここしかないということなので、これで我慢するしかなかった。オンボロのくせにレンタル料は1日10ドルもした。他のアジア諸国に比べると2倍から3倍だが、これも値切る余地はなかった。独占商売の強みというやつである。

旅のパートナー。オーストラリアで郵便配達人が使っていたバイク。

 安宿のオーナーはこのバイクの信頼性の高さを力説した。きっとそれ以外に自慢できる部分なんてないのだろう。
「俺は2年間この商売をやっているけど、壊れて走れなくなった人なんて誰もいない。このバイクはとにかくタフなんだ。わかるかい。信頼性が重要なんだよ。何しろ東ティモールにはバイク修理屋なんてほとんどないんだからね」

 しかしその言葉とは裏腹に、このバイクはディリの外に出た直後から次々とトラブルに見舞われることになった。最初に直面した問題はキックスタートのかかりが悪く、10回も20回もキックし続けないとエンジンがかからないことだった。次に発生したトラブルは、方向指示ランプの点滅が止まらなくなったこと。山道を走っているときには、サイドミラーが何の前触れもなくぽろっと脱落した。どれも深刻なトラブルではなかったが、このまま走り続けると昔のディズニー映画みたいにあらゆる部品が片っ端から外れてしまうのではないかと心配になってしまった。

 一番困ったのは、バイクを止めるときに使うスタンドが壊れてしまったことだった。海岸線の道を走っているときにスタンドとバイク本体とを繋ぐバネが外れてしまったらしく、走行中もスタンドが出たままの状態になってしまったのである。

 走行にはあまり影響がなかった。せいぜい左カーブを曲がる時にスタンドが地面と擦れて「ガガガッ」という不快な音を響かせる程度だった。問題なのは東ティモール人がこぞってそのことを僕に知らせてくることだった。道を歩いている人や、バイクですれ違う人、トラックの荷台に乗っている若者や、ただ道端で走る車を眺めている子供たちが、僕のバイクを見ると一斉に大声で「スタンド!」「スタンド!」と連呼するのである。

 もちろんこれは純粋な親切心の表れである。スタンドを戻し忘れたままうっかり発進するミスは誰にでもあるから、人々はそれを注意しようとしてくれているわけだ。日本にもフロントライトの消し忘れを知らせてくれる親切なドライバーがいるが、それと同様の気くばりなのである。そのことは僕にも十分わかっているのだが、それが一度や二度ではなく、何十回も続くとさすがにうんざりしてくるのだった。

 バイクで追い越していった若者なんて、わざわざ僕の方を振り返って「スタンド!」「スタンド!」「スタンド!」と三度叫び、その間に前方のカーブから現れたトラックと危うく衝突しそうになっていた。どうして命を危険に晒してまでスタンドの指摘に執着するのか、僕にはまったく理解できなかった。

 なにはともあれ、このスタンドの一件によってはっきりしたのは、東ティモール人の視力と反射神経の良さである。なにしろ時速50kmで走っているバイクの横にちょろっと出ている部品を一瞬にして見つけて、即座にそれを指摘できるわけだから。

 というわけで、これから東ティモールをバイクで旅される方には、「スタンドが壊れた場合には、できるだけ早く修理せよ」とご忠告申し上げたい。



 スタンドの一件にも表れているように、東ティモール人は親切で陽気な(そしてちょっとお節介な)人々だった。それは国自体の静けさとはまったく対照的だった。

 バイク旅行初日はスタンドの故障があって、道行く人から次々と声を掛けられる羽目になったのだが、故障を直した翌日以降も、僕とバイクが人々の注目を浴びる状況は変わらなかった。バイクで走っている僕を見ると、多くの人がさっと右手を挙げた。「やあ、久しぶりだね」というような気楽な感じで。

 最初はその意味がよくわからず、「ヒッチハイクをしているのか?」とか、「僕のバイクがまた故障したっていうのか?」などと考えていたのだが、しばらく走るうちに、この国ではすれ違う人に対してごく当たり前に手を挙げるらしい、ということがわかってきた。相手が外国人であろうがなかろうが、遠方からやって来た人にはにこやかに手を挙げて挨拶をする。それがこの国の習慣なのである。

 東ティモールの田舎道には車やバイクといった騒々しい乗り物は滅多に通らず、もっぱら水牛や馬などの家畜がゆったりと行き来していた。何かを焦る理由はなく、誰かを急かす人もいない。そのような穏やかな時間が流れる土地では、人々はすれ違う人ひとりひとりの顔を見て、挨拶を交わしながら暮らすことができるのだ。

 さりげなく右手を挙げる大人とは違って、子供たちの反応はもっとストレートでエネルギッシュだった。彼らは外国人がやってきたのを目ざとく見つけると、「マライ! マライ!」と叫びながら大きく手を振った。「マライ」というのは現地の言葉で「外国人」を意味していて、そう言われてもどう返したらいいのか困ってしまうのだが、こちらも「ハーイ!」とにこやかに手を振り返すと、また嬉しそうな笑顔を返してくれるのである。


 それだけならいいのだが、学校帰りの子供たちが何十人も集まっているところを通りかかったときには、興奮した子供たちに頭や腕をバシバシ叩かれるというひどい目にも遭った。子供たちに悪意はないのだとは思う。プロ野球でサヨナラホームランを打った選手がホームベース上で受ける「勝利の洗礼」に近いノリなのである。しかし子供というのはどの国でも大人数になると調子に乗りすぎて収拾がつかなくなる傾向があるので、この時ばかりはバイクのスロットルを目一杯回して、バイクにしがみつこうとする子供たちを振り払いながら前に進まなければいけなかった。

こういうときの子供たちは危険だ。

 僕は東ティモールという国に対する具体的なイメージをまったく描けないまま、首都ディリにある空港に降り立った。
 21世紀最初の独立国であり、内戦を経てインドネシアから別れた小さな国――東ティモールについて僕が持ち合わせている知識はそれぐらいだった。その国についての情報をほとんど持たないまま旅を始めるのはいつものことだったが、治安や交通事情や宿の有無といった旅に必要な基本的な事柄でさえ知らないまま空港に降り立つというのは、やはり少し不安だった。

 しかし、そんな不安は人々の笑顔によってすぐに消えてしまった。道行く人が手を挙げて微笑みかけてくると、僕も手を挙げて笑顔を返した。そんなシンプルなコミュニケーションが、未知の土地にいることの緊張感を和らげてくれた。



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