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  たびそら > 旅行記 > 東南アジア編


 東ティモールという国と水牛の歩みとを重ね合わせて語ってくれたのは、ジュヴィナルという名の若者だった。
 彼と出会ったのはティモール島の東の果てにあるトゥトゥアラという町だった。海を望む高台にあるベンチに座って一休みしている僕に、英語で話し掛けてきたのだ。

 ジュヴィナルはディリの大学で農業を勉強していたのだが、ディリではいい仕事が見つからないので、実家に戻って農作業を手伝っているという。要するに半失業者なのだ。
「東ティモールの経済ははっきり言って良くないね」と彼は言った。「この国には農業以外の産業がほとんどないから働く場所がないし、生活必需品もみんな輸入に頼っているから物価が高いんだ。失業率? そうだなぁ、よくは知らないけど50%を超えているのは間違いないよ」
 インドネシアから独立した後、東ティモールでは経済の混乱が続いていると聞いていたが、ここまでひどい状態だとは知らなかった。半分以上の人が仕事を見つけられないというのは、どう考えても異常である。

「日本ではどうなんだい?」
「日本じゃつい最近、失業率が5%を超えたことで大騒ぎになっていたよ」
 僕がそう答えると、彼は肩をすくめてみせた。確かにあまりにも違いすぎる状況だった。
「この国の経済は、ちょうどあの水牛の歩みみたいなものさ」
 ジュヴィナルは原っぱの隅で黙々と草を食べている水牛たちを見ながら言った。
「アメリカや日本の車みたいに時速100キロで突っ走ったりはしない。水牛みたいにゆっくりしか前に進めないんだ」

 東ティモール人の生活リズムはとてものんびりしている。時間に追われているような人はまずいない。そもそも誰も腕時計をしていないのだ。高性能のクォーツ時計が安く手に入るようになったこの時代、「時間にルーズだ」と言われる東南アジアの人々でさえ腕時計のひとつぐらいは身につけているのだが、この国にはそういう習慣がないらしい。

 ジュヴィナルも時計を持っていなかった。だいたいの時刻は太陽の位置でわかるから、特に問題はないという。みんながそんな風だと困ったことも出てくるとは思うのだが(集合時間を決めても誰も守らないとか)、その点は誰も気にしていないのだろう。

「スローライフだね」と僕は言った。
「その通りさ」と彼は笑った。「ここでは、ものごとは全てゆっくりとしか進まない。でも僕はそんな生活がけっこう気に入っているんだ。田んぼではお米がとれるし、海に行けば魚がとれるからね。食べるものには困っていないんだ」
 ジュヴィナルは「ちょっと待っていろ」と言い残して家に帰り、干した小魚とペットボトルに入った地酒・トゥアを抱えて戻ってきた。これから即席の酒盛りを開こうというのだ。

「新しい友人ができたらトゥアで歓迎するのが、東ティモールの習わしなんだ」と彼は言った。
 僕らはプラスチック製のコップになみなみとトゥアを注ぎ、小魚をつまみながらそれを飲んだ。程良い塩味が効いた干し魚は、さっぱりした酸味が特徴のトゥアと実によく合った。1リットルのペットボトルがすぐに空になったので、2本目を開けた。


「君はキューバには行ったことがある?」
 頬を赤く染めたジュヴィナルが言った。
「キューバ? 行ったことはないな」
「そうか。僕は外国って一度も行ったことがないんだけど、もし行けるのならキューバに行ってみたいんだ」
 意外な答えだった。東ティモール人なら普通、隣国のインドネシアやオーストラリア、あるいは豊かなアメリカや日本などに憧れるのではないかと思ったからだ。

「どうしてキューバなんだい?」
「キューバは東ティモールに似ているからね。国は豊かじゃないけど人々が陽気に暮らしているところや、アメリカという大国の隣にいながらも独立を保っているところなんかが」
 そういえば、キューバ革命の英雄チェ・ゲバラのTシャツを着た若者が東ティモールには多かった。ソ連が崩壊し、中国が資本主義経済の元で高度成長を続ける今、真の意味でコミュニストの象徴たり得るのはキューバをおいて他にはないのかもしれない。

「でも、僕は東ティモールが社会主義の国になればいいと思っているわけじゃない。大切なのは助け合いの精神なんだ。お金さえあれば豊かに暮らせるけれど、お金がなければとことん貧しい。そういうアメリカのような国になって欲しくはないんだ。ここでは、たとえお金がなくても、みんながひとつの家族のように食べ物を分け合って生きていける。そういう精神を失いたくないんだよ」

 僕らは海を眺めながら酒を飲み、干し魚を食べた。南国の午後の日差しは強烈だったが、海に面した高台にいるせいで、吹き抜ける風は心地良かった。僕らが座っている場所からは、エメラルドグリーンに輝く海が一望できた。それは、どれだけ目を凝らしても汚れというものが見当たらないほど美しい海だった。沖合に目をやると、小さな手こぎボート二、三隻が穏やかな波に揺られているのが見えた。



 ジュヴィナルは家から古いギターを持ってくると、それを弾きながら歌をうたった。水牛を追っていた男たちが出していたのと同じ、伸びやかな歌声だった。
「水牛って好きだよ」と僕は言った。「とてもクールだって思っていたんだ。それにこの国にとても似合っている」
「僕もそう思うんだ。水牛ってとてもいい奴なんだよ」

 彼はギターの手を休めてトゥアで喉を潤すと、自分の夢を語り始めた。牛をたくさん飼って、ここで酪農を始めたい。そのために大学で農業を学んでいた。でも牛を買うのに必要な資金の目処が立たないので、計画はなかなか前進しない。
「何ごとにもお金は必要さ。それはよくわかっている。でもそれだけじゃない。僕らはお金が無くても幸せになれる方法を知っているんだ。簡単だよ。家族や仲間と一緒にご飯を食べ、お酒を飲み、歌をうたう。それだけで十分に幸せな気持ちになれるんだ。ここでは、食べ物も飲み物も、楽しいことも辛いことも、何でも分け合うんだ。たとえば僕が今死んだら、たくさんの友達が葬式にやって来るだろう。僕の死を悼んで涙を流し、歌をうたってくれるだろう。たぶん、そういうのが幸せってことなんじゃないかな」


 お金が無くても幸せになれる方法を知っている――東ティモールの人々の豊かな表情を目の当たりにしてきた僕には、その言葉が強がりや誇張ではなく、ありのままの真実なのだと信じることができた。

 水牛の歩みのようにゆっくり、しかし確実に前に進む。
 この国の人々は、そのような生き方を誇りにしているに違いなかった。



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