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 イフガオ州バナウェ周辺には、世界遺産にも登録された美しい棚田が広がっている。
 まるで地図の等高線のように緻密で優美な曲線。削げる部分を全て削ぎ落としたシンプルなかたち。バナウェの棚田は繊細さと力強さを併せ持っていた。「天国への階段」という別称も決して誇張ではなかった。

バナウェ周辺には美しい棚田が広がっている。

 棚田は人と自然とのせめぎ合いの中で生み出されたものだ。傾斜のきつい斜面をクワ一本で切り開き、雨季に降る強い雨に土壌が流出しないよう、あぜの部分にひとつひとつ石を積み上げていく。親から子へ、子から孫へ、何世代にもわたって受け継がれてきた膨大な時間の集積が、棚田というかたちに結実しているのだ。棚田には人が持つ本質的なたくましさが表れていた。



 もともとバナウェは少数民族イフガオ族が暮らす辺境の寒村に過ぎなかった。フィリピンでももっとも交通の便が悪い場所のひとつなので、20年前までは旅行者もほとんど訪れることのなく、電気も通っていなかったという。道路はしょっちゅう崖崩れを起こして不通になるので、村人がよその町に出るだけでも一苦労だったのだ。

 バナウェが変わるきっかけとなったのが世界遺産への登録だった。棚田の観光地的価値が改めて認められると、外国人旅行者が訪れるようになり、フィリピン人旅行者も大幅に増えた。町には旅行者向けのホテルが次々と建てられ、土産物屋とレストランとツーリスト・インフォメーションができた。道路も以前に比べればマシになった(とはいえ今でも十分にひどい状態だが)。

「将来はバナウェにロープウェーを作る計画があるのよ」
 と教えてくれたのは食堂のおばさんである。彼女の夫は土木設計の仕事をしており、このロープウェー建設のプロジェクトにも関わっているという。
「今は棚田に行くのに何時間も歩かなくちゃいけないでしょう。でもロープウェーを作れば、すぐにビューポイントへ移動できるというわけ。山頂に遊園地を作る計画もあるのよ。観覧車とかゴンドラとかがあるやつね。十年以内には完成すると夫は言っているわ」

 棚田に展望用のロープウェーや遊園地を作るというのは、ずいぶん突飛な計画である。他ではあまり聞いたことがない。そもそも棚田を訪れる旅行者が期待しているのは、そのような近代的な設備ではなく、昔ながらの暮らしや景観ではないのだろうか。
「ここに来る外国人が歩いて棚田を見たがっているのはよく知っているわ」とおばさんは言った。「でもフィリピン人は怠け者だから歩きたくないのよ。楽をして棚田を見たいの。そのためにロープウェーが要るのよ」



 棚田は周囲から隔絶された環境に住む民族が、長い時間をかけて受け継いできたものだ。彼らのたゆまぬ努力は、ひとえに「我々はここに住むしかない」という強い思いによって支えられてきた。言い方を変えれば、棚田とは「貧しさの産物」なのだ。

 ここに棚田を観光地化することの根本的な矛盾がある。棚田は都市からのアクセスが難しく、不便で閉鎖的な場所だからこそ生まれたものである。だから観光客を呼ぶためにインフラが整備され、観光業が栄え、地域に農業以外の雇用が創出されたら、村人は別の仕事を求めるようになる。棚田の観光地化は、村人が棚田を維持するモチベーションを失わせる結果にも繋がりかねないのだ。

 もちろんイフガオ族の人々は棚田に誇りを持っているだろう。代々受け継ぐべきものだと思っているだろう。しかし棚田での米作りは「労多くして功少なし」のきつい仕事だし、他に現金収入を得る楽な方法があればそちらに流れていくのはごく自然なことで、誰かに止められるものではない。

「イフガオ族は子だくさんだから大丈夫よ」と食堂のおばさんは笑って言った。「5人ぐらいは子供を生むの。そのうちの三人は町へ出て働けばいい。土産物屋とか、トライシクルのドライバーとか、ガイドとか。残りの二人が農作業をするの」
 長男は棚田を受け継ぎ、その他の子供は町へ出て現金収入を得る。確かにそれは理に適ったやり方かもしれないが、果たしてそんな風にうまく行くのかは疑問だった。割を食うことになる長男が黙って農業を継ぐとも思えない。


 いずれにしても、近い将来バナウェは大きく変わることだろう。今よりもずっと多くの観光客が訪れ、悪路に悩まされることなく、容易に棚田を見学できるようになるに違いない。

 しかし、それによってイフガオ族にとって大切なもの――歴史的な存在意義のようなもの――が永遠に失われることになるのだとしたら、やはりそれは哀しいことだと思う。



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