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青い空を見上げたい。
思う存分、日の光を浴びたい。
僕はひたすらそれだけを願いながら、国道1号線を南下していた。
この2週間近く、僕はずっと春先のベトナム北部特有の憂鬱な天気に悩まされていた。毎日どんよりとした曇り空を見上げてはため息をつき、いつ降り出すかわからない雨の心配をしながら旅を続けることにとことんうんざりしていたのだ。南に下れば天候が回復することはわかっていた。問題はいつ青空が現れるかだった。
国道1号線はベトナムの大都市を結ぶ「大動脈」である。首都ハノイも、古都フエも、リゾート地ニャチャンも、最大都市ホーチミン市も、全てこの国道1号線で結ばれているのだ。しかし国道1号線をバイクで走るのは決して簡単ではなかった。疲労度だけで言えば、あの悲惨な泥んこ道208号線よりも上だったかもしれない。もちろん舗装状態は良いし、アップダウンやカーブも少ないから、本来なら楽々走れるはずなのだが、交通量が半端ではなかったのだ。
ばい煙をまき散らしながらノロノロと走るトラック。それを追い抜こうとクラクションを鳴らす高速バス。ブヒブヒと泣きわめく豚を荷台にくくりつけて運ぶバイク。下校途中の学生たちの自転車の列。そんな多種多様な乗り物を巧みに避けながら、一定のスピードを保って走り続けるのは、非常に神経を使う仕事だった。
一番厄介なのはわき道から不意に飛び出してくる無鉄砲なバイクである。彼らは後方確認を全くせず、スピードも緩めないまま、いきなり目の前に現れるのである。「衝突を回避するのは後方車の役割だ」と決めてかかっているのだ。この無茶な運転には何度もヒヤリとさせられた。あと数センチでぶつかるというところまで接近されて、慌ててブレーキをかけて難を逃れたということも、一度や二度ではなかった。
彼らがなぜ自分の大切な命を見知らぬ他人の手に委ねてしまえるのかが、僕にはどうしても理解できなかった。運転マナーの良い日本でなら、こういう自己中心的な運転をしていても回りが迷惑するだけで済むかもしれない。でもベトナムは違う。後方車がよそ見をしているかもしれないし、携帯電話をいじっているかもしれない。二台並んで走るバイク同士でぺちゃくちゃとお喋りをしているかもしれない(実際こういう奴らがたくさんいるのだ)。ちゃんと避けてくれる保証なんてどこにもないのである。それでも衝突して死ぬのは、飛び出した自分なのだ。こういう手合いを見ると、「自分の命ぐらい自分で守れよ!」と怒鳴りつけたくなってしまう。
待ち焦がれていた青空が現れたのは、予想していたよりもずっと早かった。ハノイから300キロ南に下ったところにあるヴィンという町で雲が切れたのだ。
「これでもう曇り空とはお別れだ!」
一気にテンションが上がったが、興奮は長続きしなかった。青空がもたらした気温上昇があまりにも急激だったのだ。僕は防寒のために着ていたウィンドブレーカーを脱ぎ、長袖のシャツも脱いでTシャツ一枚になった。それでもまだ暑かった。
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ベトナム南部の日差しは強烈だった。砂浜では女たちは頭にすげ笠を被り、子供が日傘を差していた。 |
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ヴィンからさらに100キロほど南下したところにあるキアインという町では、ついに体温を上回る暑さになった。おそらく40度を超えていただろう。強い日差しが容赦なく肌を焼き、乾いた熱風が体からどんどん水分を奪っていく。僕は何度もサトウキビジュースを売るスタンドに寄って、水分を補いながら進んだ。わずか数日前まで、北部の山の中で寒さに震えていたのが嘘のようだった。
これじゃ「北風と太陽」そのものじゃないか!
確かに僕は心から日の光を求めていた。でも、ここまでの暑さは求めていなかった。どうしてこうも極端なんだ? 君には中間ってものがないのかい?
僕は照りつける太陽に向かってそう訴えたかった。
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バイク旅行者にとってベトナム中南部の強い日差しはとても厄介だったが、その恩恵を受けているものもあった。それが塩田である。ビーチリゾートとして有名なニャチャン周辺をはじめ、中部から南部にかけての海岸線には大規模な塩田が並んでいた。強烈な日差しと、海からの風と、乾燥した空気。ここには塩作りに必要な条件が全て揃っているのだ。
ベトナムの塩は人の手と太陽の光に頼った昔ながらのやり方で作られている。海水を10メートル四方ほどの大きさに区切られた塩田に引き入れて、照りつける太陽の熱で水分を蒸発させていくと、やがて塩分だけが白い結晶となって地面に残る。それを木のスコップのような道具でかき集めるのである。
こうして作られた塩は、ミネラル分を多く含んだ良質の天然塩として有名で、日本にも輸出されているという。手間暇をかけて作られた塩は、工業的に作った塩よりも美味しいのだ。
僕はいくつもの塩田を訪れ、そこで働く人々の写真を撮ったが、その中でも特に印象的だったのは「塩を叩く」姿だった。彼らは学校の校庭を平らにならすときに使う「トンボ」に似た道具を持ち、それで塩田の土をペタペタと叩いていた。その作業によってどのような効果がもたらされるのか、僕にはもうひとつよくわからなかったのだが、どの人も真剣な面持ちで取り組んでいたから、塩作りには欠かせない工程なのだろう。
結晶化した塩をザルにかき集め、それを天秤棒で担いで運ぶのは女たちの仕事だった。女たちは頭上からの直射日光と足元の塩からの反射光の両方に晒されるので(ちょうど快晴のスキー場にいるみたいな状態だ)、肌を全く露出させない完全防備スタイルで仕事に臨んでいた。頭にはすげ笠を被り、顔には大きなマスクを着け、両手にはゴム手袋をはめている。外に出ているのはふたつの目だけ。その姿は戒律の厳しいイスラム教徒の女性のようでもあった。
ベトナム人女性の日焼けに対する危機感はかなり高い。ベトナムでも日本と同じように「美白ブーム」に湧いていて、特に若い女性は屋外で素肌を晒すのをとても恐れていた。たとえ屋内であっても、昼間はずっと帽子を被ったまま過ごすという女性もいるほどだった。
そんなわけで、外で働くベトナム女性の「素顔」を写真に撮るのは、(イスラム女性並みとは言わないまでも)なかなか難しかったのである。
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