|
|
|
|
|
牛糞ですべる道を歩け
ダッカの街はおびただしい数の牛で溢れていた。のんびりと草を食べる牛。ボテッとした糞を遠慮なく垂れ流す牛。遠くを見つめたまま微動だにしない牛。いつもならリキシャや通行人でごった返しているはずの道が、なぜか牛たちに占拠されていたのだ。
狭い路地にでんと牛が寝そべって人の往来を邪魔しているのは、インドではごく当たり前の光景である。牛を神様の乗り物だと考えるヒンドゥー教徒は、たとえ用済みになった雄牛でも決して殺すことはなく、野良となった牛たちが街のゴミを漁るのを許容しているのだ。
しかしバングラデシュは国民の8割をムスリムが占めている国。インドのように街が野良牛で溢れているなんて光景はあり得ないはずだった。それではこの牛たちはいったい何なのだろう?
「もうすぐコルバニ・イードって祭りが行われるんだ」と教えてくれたのは、牛の手綱を引っぱって歩いている男だった。「何十万頭って牛がいっせいに殺される。その肉をみんなで分けて食べるんだよ」
牛や山羊などの肉を神様に捧げる犠牲祭(イード)は、バングラデシュだけでなく世界中のムスリムが行う儀式である。もともとは預言者アブラハムがアッラーから「信仰心を示すため、お前の息子を生け贄に捧げよ」という無茶ぶりをされて、それを真に受けたアブラハムが本当に息子を殺そうとしたときに、アッラーが「息子はいいから、代わりにこいつを生け贄にしなさい」と羊を与えたのが始まりなのだそうだ。
この逸話のどのあたりに教訓があるのか、異教徒の僕にはいまいちよくわからないのだが、神話とは元来そのようなものである。意外性と多義性に満ちていて、常識では計り知ることができないのだ。
神への生け贄となるべく集められた牛は、ダッカの街に大混乱をもたらしていた。車やリキシャの通行は妨げられ、街のあちこちで大渋滞が起きていた。もともと人口過密で迷路のように入り組んだ街に、無数の牛たちが新たに障害物として加わったのである。これで街が混乱しないはずがないのだ。
牛が垂れ流す大量の糞尿によってドロドロになった道で、うっかり足を滑らせる人も続出していた。転んで全身牛糞まみれになるのを選ぶか、裸足になって(もちろん足が牛糞まみれになるのを覚悟の上で)牛糞の中をズブズブと進むのか、究極の選択を迫られる通行人もいた。
それでもダッカの人々はこの状況を粛々と受け入れていた。宗教儀式は何よりも大切なものであり、経済活動や社会生活よりも優先される、というコンセンサスが出来上がっているようだ。牛のせいで交通渋滞が起きようが、足がウンコまみれになろうが、ひどい臭いが街に充満しようが、それはやむを得ないことなのだ。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
コルバニ・イードはバングラ人にとってお正月のようなもの。みんながこの祭りを故郷で祝うために大規模な帰省ラッシュが起こっていた。ダッカのバスターミナルや船着き場は、大きな荷物を抱えた帰省客でごった返していた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
船着き場には屋根の上まで人を満載した連絡船が出発を待っていた。よくこれで沈まないものだと感心するほどだ。人口過剰なバングラデシュならではの光景だった。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
その牛いくら?
コルバニ・イードの前日、ダッカの人々の興味はもっぱら牛の値段に集中していた。牛の値段はだいたいの目安はあるものの、体格や健康状態によってまちまちなので、基本的に売り手と買い手が直接交渉して決めるのである。いい牛を安く手に入れるために必要なのは、情報収集力とタフな交渉力なのだ。
牛を連れて歩いている人がいれば、すれ違いざまに「その牛、いくら?」と訊ね、条件が合えばその場で取引が成立するということもある。しかしほとんどの場合、値段交渉は期間限定で開かれている牛市場の中で行われていた。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
牛市場はダッカの街のあちらこちらに点在していて、数十頭の牛が集まる小規模なものから、千頭を超えるような大規模なものまであった。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
牛市場は線路の上でも開かれていた。列車が来たらどうするのか? もちろん逃げるのである。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
小ぶりな牛は3万タカ(3万7000円)から5万タカ(6万円)ほどで買えるが、250キロ以上ある大型の牛は10万タカ(12万5000円)から20万タカ(25万円)にもなるという。もちろん大型の牛を買えるのはダッカでも相当なお金持ちだけで、会社経営者やビルのオーナーといった資産家にしか手が届かないもののようだ。
大きな牛を買うことは、自らの信仰心の強さを示すだけでなく、ある種のステータスシンボルにもなっているようだった。親戚やご近所の人にたくさんの牛肉を気前よく振る舞うことが、「あの人は富を独り占めしない立派な人物だ」という評判に繋がるというわけだ。
「私は60年ダッカに住んでいるけど、こんなにたくさんの牛を見たのは初めてだよ」
旧市街で文房具屋を営むマハブーさんはうんざりした顔で言った。彼によれば、コルバニ・イードで殺される牛の数は年々増えているという。それはバングラデシュが豊かになって、消費に回せるお金が増えた結果なのだが、あまりにも牛が増えすぎたせいで、ダッカの交通渋滞が深刻化し、物流が滞っているのも事実だった。
「バングラデシュで育てた牛だけじゃとても足りないから、インドから運んでくるんだ。インドは牛がとても安いからね。インドで1万タカで買った牛が、バングラでは5万タカで売れるって話だ。5倍に跳ね上がるわけさ。ほんとにいい商売だよ。あんたもお金を持っているんだったら、インドの牛を飼うことだな。ミリオネアになれるよ」
「内外価格差」を利用して利益を生み出すというのは貿易の基本だが、そんなにボロいビジネスがいつまでも成り立つとは思えない。マーケットに「見えざる手」の力が及べば、牛の価格も適正なところに落ち着いていくのではないか。
それはともかく、バングラデシュ国内の牛不足を解消するために、インドやネパールから大量の牛が輸入されているのは事実だった。水田が多く、ウシの飼育に適した乾いた草原が少ないバングラデシュでは、もともと牛を飼っている農家が少ないのだ。
その一方で、インドではたくさんの牛が使役牛や乳牛として飼われている。しかもヒンドゥー教徒たちは牛を決して殺さないから、常に牛が余っているのだ。そんなわけでインドで役割を終えた牛たちが、ドナドナよろしくバングラデシュまで運ばれてきて、最期を迎えることになるのである。
ただしインドから入ってきた牛は食肉用に飼育されたものではないから、味はそれほどよくないという。肉の脂肪分が少なく、筋肉質で硬く筋張っているのだ。市場でも牛肉は鶏肉よりも下の扱いである。鶏肉1キロが400タカなのに対して、牛肉1キロは280タカしかしない。「日本では牛肉が最高級の肉なんだ。1キロ1万タカするものもある」と僕が言うと、絶句されてしまった。
「ムスリムは牛を食べるからハートが熱い。ヒンドゥー教徒は牛を食べないからクールなんだ」
というのがマハブーさんの持論である。確かに同じ国に住むムスリムとヒンドゥー教徒を比べると、性格や人当たりがずいぶん違う。暑苦しいほど親切で、過剰にフレンドリーなのは、たいていの場合ムスリムだ。それが食べ物のせいなのかどうかは僕にもわからないのだが。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
犠牲祭の前日には家の前に牛が繋がれ、家人に優しく世話される光景があちこちで見られる。子供たちは干し草などのエサを与え、牛の頭を優しくなでてやっている。明日になれば問答無用で殺される運命にあるのだが、それまでは大事な家族として扱われているのだ。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|