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  たびそら > 旅行記 > インド編(2015)


40歳の誕生日の朝に


 40歳の誕生日はオリッサ州の山の中で迎えた。
 「不惑」なんて言い方はもうしないのかもしれないけど、僕が若い頃に想像していた40歳とはずいぶん違う場所に立っているのは確かだ。「惑わない」どころか、「迷い続ける」40歳。なにしろ「今日、これからどこに行くのか」さえ決まっていないほどの迷いっぷりなのだ。

 いつも宿をチェックアウトしたあと、最初に浴びる日の光の強さで行き先を決める。爽やかに晴れ渡った空なら、農村を撮るのに適している。曇り空なら街の方がいい。雨が降っていたら、無理せずに宿で休むことにする。いずれにしても、どこに行きたいのか、何を撮りたいのか、自分の心に訊ねることから一日が始まる。







 20代の頃は「写真」よりも「旅」の方が好きだった。「ここではないどこかへ向かっている」というだけで胸が高鳴った。写真は旅のオマケでしかなかった。写真なんか撮らなくても、異国の町をあてもなく歩いているだけで、十分に楽しかった。

 それがいつの間にか、写真のウェイトがどんどん大きくなっていった。写真を撮るために旅をするようになった。「撮る」という目的を持ったことで、よりディープな場所にまで足を踏み入れるようになったのだ。

 今の僕にとって、カメラは異国の地で出会った人と意思を通わせるための、そして初対面の人から笑顔を引き出すための大切な道具になった。

 笑顔に出会えたから、それを写真に撮るのではない。
 カメラを持っているからこそ、そこに笑顔が生まれるのだ。
 インドを旅していると、そんな風に感じることが多い。





 誕生日の朝は、いつもにも増してクリアな光が空から降り注ぐ、絶好の写真日和だった。南インドは一年を通して気温が高いで、澄み切った青空が広がる日は少ないのだが、この日は気温がぐっと下がり、空気の透明度が増していた。

 山間を流れる川のそばを通りかかったときに、川底の砂をトラックに運び込んでいる女たちを見かけた。色鮮やかな衣服を身につけた女性たちが、水を含んだ重い砂がたくさん入ったタライを頭に載せて、急な斜面を登っていた。

 カメラを向けられた女たちは少し恥ずかしそうな表情を見せたが、雰囲気は悪くなかった。なにより光が素晴らしかった。澄み切った青空から届く強い順光に加えて、川面に反射した光によって、特別なライティング効果が生まれていた。








 川砂を運ぶ女たちを撮った後、グンタプット村に立ち寄った。オリッサ州南部の山岳地帯に点在する少数部族の村のひとつで、280家族がほぼ自給自足に近い生活を送っている。

 村には昔ながらのろくろを回して、素焼きの水瓶やお皿などを作る一家がいた。昔のSF映画に出てくるドーナツ型の宇宙ステーションにも似たろくろは、コマのように尖った中心軸でバランスを取って回転する。手でくるくると回して惰性をつけ、粘土の塊から水瓶の姿を立ち上げていく。実に見応えのある職人技だった。



20ルピー札をくれた気前のいいおじさん
 この村を歩いていたときに、酒臭いおじさんからお金をもらった。

「俺の写真を撮ってくれよ」
 と言われたので、撮って見せてあげたら、おじさんはその出来映えにとても喜んだらしく、20ルピー札を僕に渡してきたのだ。
「こんなもの受け取れないですよ」
 と一度は断ったのだが、おじさんは「どうしても受け取ってくれ」と言って譲らなかった。酔っ払っていい気持ちになっていたこともあるのだろうが、自分をカッコ良く撮ってくれたことがよほど嬉しかったようだ。

 こんなかたちでお金を受け取るのは初めてのことだったので、すごく驚いた。しかもそのおじさんはお金に余裕があるとは思えない、どちらかと言えば粗末な身なりをしていたのだ。だからこそ、その20ルピーには実際の何倍もの価値があるように感じられた。

 もちろん、彼のような奇特な人がいたからといって、「インド人はみんな気前がいい」と結論づけることはできない。実際、同じ村の中にも「お金をくれ」とか「ペンをくれ」などとしつこく言ってくる人もいたからだ。

 お金に対して貪欲で抜け目のないインド人もいれば、そうでないインド人もいる。
 当たり前のことだけど、いろんな人がいることで、この社会は成り立っているのだ。






ガイジンを見たら逃げろ!

 オリッサ州の辺境地域にある村では、外国人が突然現れたことに驚いた子供たちが蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出すこともあった。訪れる外国人もほとんどいない閉鎖的な地域なので、ガイジンの存在に慣れていないのだろう。


子供がみんな逃げるわけではないが、少数部族の村でこんな笑顔を撮るのは難しかった
 僕がガイジンであることを顔つきや肌の色から判断しているのならまだわかるのだが、フルフェイスのヘルメットを被ってジャケットを着ているにもかかわらず、一目散に逃げ出す子供がいるのには驚いた。たぶん僕の服装や装備品から違和感を感じたのだろう。同一部族だけで構成されている同質性の高い村では、異質なものに対するセンサーがとりわけ鋭くなるのかもしれない。

 見慣れない外国人が現れたときに子供たちが取る行動は、「とりあえず逃げる」か「少し離れたところで様子をうかがう」か「好奇心を持って近づく」のいずれかだ。平地の農村に住む子供たちは様子をうかがうことが多く、町の子供は近づいてくることが多い。しかし外部との接触が少ない辺境地域の子供たちだと、かなりの確率で「逃げる」ことを選択するのだ。

 少数部族の子供たちが持つ「ガイジンを見たらとりあえず逃げる」という行動パターンが、もともとの遺伝的な特性なのか、生まれた後に学んだ文化的な振る舞いなのかはよくわからない。しかし3歳ぐらいの子が僕の顔を見るなり、まるで肉食獣の出現に驚いたサバンナの草食動物のように全速力で走り去るのを見ると、これはやはり本能的な行動ではないかと思えてくるのだった。

 おそらく、外部との接触に消極的なグループだけが何千年にもわたって独自の部族社会を維持することができたということなのだろう。逆に言えば、身内とは違う「異人」に対して好奇心を持って近づき、簡単に仲良くなってしまうような人々は、必然的に多数派と同化し、自らの民族的アイデンティティーを失っていく運命にあったのだと考えられる。


家の前に不思議な模様を描いていた少女。少数部族の村で宗教儀式が行われるようだ。

森で集めてきた薪を頭に載せて村まで運ぶ女たち。少数部族の村では、今でも薪が主な燃料として使われている。



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