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働く女たち
オリッサ州を抜けてチャッティスガル州に入ると、働く女性の姿が目立つようになった。ガソリンスタンドや携帯電話ショップに若い女性店員がいるのが当たり前になり、女性警官の姿も珍しくなくなった。オリッサ州ではあまり見なかったバイクに乗る女性も一気に増えた。
インド女性の社会進出の度合いは、地域によって大きな差がある。オリッサ州は比較的保守的だが、お隣のチャッティスガル州の女性たちは意欲的に外に出ているようだ。
カルチャ村で小学校の先生をしているモニカは、「女の子には教育などいらない」という旧弊な考え方が、最近になってようやく変わってきたと実感している。彼女が勤める学校でも、長らく男子生徒の方が女子よりも数が多い(つまり女の子の何割かは小学校に通っていない)状態が続いていたのだが、今年から男女比がほぼ同じになったという。「男女平等」の実現にはまだほど遠いが、インド社会も少しずつ変わりつつあるのだ。
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カルチャ村の小学校の先生たち。右から2番目がモニカ先生。 |
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学校給食は女子の就学率を高める切り札のひとつだ。昼休みに無料で給食を出すようにしてから、それを目当てに登校してくる子供(特に女の子)が増えたという。最初は食べ物につられて通いだした子供でも、毎日学校へ通ううちに勉強が楽しくなってくる。学ぶ意欲が芽生えてくる。しかも給食によって貧しい家の子供たちの栄養状態も改善されるというから、まさに一石二鳥である。
ちなみに給食の献立はご飯と豆スープとカレー味のゆで卵。もちろん豪華なものではないが、ちゃんと栄養にも配慮したメニューだった。
モニカは頭の回転がとても速い、好奇心旺盛な女性だった。流暢に英語を話し、日本の経済や文化について僕にいろいろと質問してきた。きっと優秀な先生なのだろう。
「でも教師をずっと続けるつもりはないんです」とモニカは言った。「給料が安すぎるから。月給1万5000ルピー(3万円)じゃ暮らしていくのは難しいわ。今は他の仕事を探しているところ。チャッティスガル州にはプライベートカンパニーは少なくて、大きな工場や会社はだいたいどこも国営なんです。鉱山とか製鉄所とか、そういうところね。もし国営企業に勤められれば、月給は4万から6万ルピーになります。でもそれには厳しい試験を通らなければいけないの。私は3年前から試験を受けているんですが、まだ合格できないんです」
国営企業に採用されるには、厳しい試験に合格する必要がある。それは逆に言えば、試験にさえ通れば、女性でも男性と同じ条件で働くことができるということだ。優秀な女性たちがこぞって公務員や国営企業を目指す理由は、そこにあるようだ。
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カルチャ村で出会った男たち。収穫した米の量をカゴに入れてはかっている。半分は地主の分、残りの半分は自分たちの取り分になるそうだ。小作農の苦労を感じさせる光景でもあった。 |
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夢はボリウッド俳優
オリッサ州とチャッティスガル州の州境にあるスクマという町で、サジッドという若者に出会った。僕がガソリンスタンドを探して右往左往していたときに、彼が親切に道案内してくれたのだ。
サジッド君の職業はファッションモデルだ。少なくとも彼はそう自己紹介した。若者向けのカジュアルファッション(リーヴァイスやナイキ)の広告モデルをしているという。言われてみれば、確かに整った顔立ちをしている。目は大きく、鼻筋も通っている。でもモデルにしてはちょっと背が低い。170センチにも届かないぐらいだ。それにこんなガソリンスタンドすらないような田舎町にモデルの仕事なんてあるのだろうか?
「もちろん、ここにはモデルの仕事なんてないさ。普段はハイダラバードに住んでいるんだ。インドでも有数の大都会だから、モデルの仕事も結構ある。ギャラは1日あたり2万8000ルピー。悪くないね。でも仕事があるのは月に3回ぐらいなんだけど」
インドのモデル事情はよく知らないが、月に3日働くだけで8万4000ルピー(16万8000円)ももらえるんだったらたいしたものである。それだけでも十分に食べていける収入だ。
もっともサジッド君自身はお金のことをあまり心配しなくてもいい立場にいる。実家がお金持ちなのだ。父親は鶏を30万羽(!)も持つ大きな養鶏場や魚の養殖場などを経営する地元の名士で、サジッド君もいくつかのビジネスに携わっているという。彼が普段乗っているマヒンドラ社の四輪駆動車は100万ルピー(200万円)もする。もちろんトヨタのランドクルーザーには遠く及ばないが、それでもオンボロのトラックばかりが行き交う田舎町では、明らかに人目を引くイカした車だった。
「僕の夢は俳優になることなんだ」とサジッド君は真面目な顔で言った。「ファッションモデルだけで終わるつもりはないよ。歌って踊れる俳優としてボリウッド映画に出るのが夢なんだ。実は映画にはもう何度も出演しているんだ。端役だったけどね」
インド中の若者の憧れの的である「ボリウッド俳優」になる。もちろんそれが簡単に叶う夢でないことは、彼にも十分わかっているのだろう。外国人相手に大口を叩いているだけなのかもしれない。それでも、とてつもなく壮大な夢を何のてらいもなく語ることができる素直さが、僕には羨ましかった。自分の身の丈に合わないほどの大きな夢を見るのは、たぶん若者だけに許された特権なのだ。
陸の孤島を走る
サジッド君と別れてからコンタの町に向かったのだが、その道のりは悲惨だった。スクマとコンタを結ぶ国道221号線がとんでもない悪路だったからだ。まともに舗装されている部分はほとんどなく、大半が月面を思わせるガタガタ道。しかも乾いた砂が路肩を覆っているので、荷物を満載したトラックが通るたびに埃がもうもうと舞い上がる。間違いなくインドでも最悪の道のひとつだった。
ノロノロと進む大型トラックを追い抜くためには路肩を走らなければいけないのだが、ごつごつした石ころでバランスを崩しやすく、常に転倒の危険と隣り合わせだった。とはいえ安全第一でずっとトラックの後ろにくっついていたら、いつまで経っても目的地には着けないし、大量の埃を浴びせられることになる。だから危険を冒してでも追い抜くわけだが、それに成功したと喜ぶのもつかの間、すぐにまた次のトラックが前方に現れるのだった。
僕はフルフェイスのヘルメットを被っていたから、埃の被害は最小限に抑えられたのだが、インド人ライダーの大半はここでもノーヘルだった。その代わりにスカーフを顔にぐるぐる巻いて、その上からサングラスをかけるという「月光仮面スタイル」で埃を防ごうとしていたのだ。そんな面倒なことをするんだったら、さっさとヘルメットを被りゃいいじゃないか思うのだが、インド人はどうしてもヘルメットを被りたくないらしい。ヘルメットは彼らの美意識に反するものなのだろうか?
仮にも国道と名付けられた道路がこんなにもひどい状態で放置されているのは、共産系ゲリラ組織「ナクサライト」のせいだった。オリッサ州とチャッティスガル州にまたがる森林地帯にはこのナクサライトが潜んでいて、政府軍とたびたび衝突しているのだ。州政府がインフラ整備を進めようとすると、それを阻もうとするナクサライトから攻撃(爆弾テロや要人の誘拐)を受けるので、この地は半ば陸の孤島と化しているのだった。
そんなこんなで全身埃まみれになりながら、ようやくたどり着いた町バドラチャラムでは、一泊180ルピー(360円)のハードコアな安宿に泊まった。部屋はほどほどに汚かった。テーブルも埃だらけなので、新聞紙で埃をぬぐってものを置けるようにするところから始めた。インドでは「安宿の掃除は泊まり客がする」のがお約束なのだ。
もちろんホットシャワーは出なかったが、ボーイが電熱器を持ってきてくれたので、お湯を使うことができた。バケツに水を汲み、そこにシンプルな電熱コイルを入れ、電気を通してから40分ぐらい待つと、熱々のお湯ができあがる。イヤというほど浴び続けた土埃を、お湯できれいさっぱり洗い落とすのは、なにものにも代えがたい幸せだった。
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ワクワクする40代でいこう
お湯を浴びて着替えを済ませてから、硬いベッドに横たわって、今日撮った写真を改めて見直してみた。何枚かいい写真はあるが、大半は今ひとつの出来だ。打率はせいぜい1割程度。いつもと同じ水準だ。悪くはない。でもまだ向上の余地はある。
一日中悪路を走り続けて体はヘトヘトに疲れているはずなのに、なぜか気分は高揚していた。40歳になっても、こんな風にあてもなく旅できるのが、とても幸せなことだと感じていたからだ。
旅を始めた20代の頃は「こんな旅は若い時にしかできない」と思っていた。バックパッカーなんて自由なスタイルの旅ができるのは若い間だけだから、今のうちに精一杯楽しんでやろうと思っていたのだ。
でも40歳を迎えた今は、全然そんな風に考えていない。自由な旅はいくつになってもできるし、それを求める強い気持ちさえあれば、よりハードでよりディープな旅だってできるはずなのだ。
インド屈指の悪路を走り続けて埃だらけになり、1泊360円の安宿の硬いベッドの上に寝転がって朝を迎える。そんな一日であっても「俺は幸せなんだ」と感じられるのは、美しい光と素晴らしい笑顔に出会えたからだ。
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旅に定年はない。
もちろん「永遠に若いままでいたい」なんて思っているわけではない。誰がなんと言おうと、時間は不可逆的に流れている。いずれ僕にも体力的な限界が訪れるだろう。そうなったらただ黙ってそれを受け入れるしかない。でも今はまだ、そのときではないはずだ。
「ボリウッド俳優になるのが夢だ」とサジッド君は言った。
彼の夢が叶えられる確率は低いだろう。でも馬鹿みたいに壮大な夢を見る権利は誰にだってあるし、それは若者だけに許されたものでもない。そう、夢を見るのは若者だけの特権ではないのだ。
40歳になっても、大きな夢を見てもいいんだと思う。
40歳になっても、毎日迷っていてもいいんだと思う。
ワクワクする40代でいこう。
大きな夢を見る40代でいこう。
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