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山羊の海を渡る
70ccの小型バイクに荷物を括り付けて、目的地を決めずに旅をする。行き先は未定。いつも出たとこ勝負。運試しのような旅だ。
そんなあてもない旅を続けていると、地元の人たちから、
「お前、頭は大丈夫か?」
と呆れ顔で言われることがある。そんな馬鹿なことは今すぐやめて安全な日本に帰れ、とアドバイスしてくる人さえいる。
もちろんインドにも旅行者はたくさんいるが、聖地を訪ねたり、海や山にレジャーに行ったりするような目的のある旅がほとんどだ。無計画な旅をしているのは、世捨て人のサドゥーぐらいなのだ。だから大半のインド人は「まっとうな人間は行き当たりばったりの旅なんかしない」と考えている。まぁそれは日本人でも同じかもしれないけど。
確かにトラブルに襲われることは多い。アジア諸国の中でインドが飛び抜けて危険ってわけではないけれど、「安全な国」とは言いがたい。凶悪な犯罪はあまりないが、旅人を騙そうとする小悪党はそこかしこにいる。特に観光地では、よからぬ企みを持った男たちから身を守る心構えが求められる。
バイクの旅ならではのトラブルもある。たとえばインドの田舎道を走っていると、山羊や牛などの家畜の群れに行く手をふさがれるということがよく起きる。10頭や20頭ぐらいならまだいいのだが、ときには数百匹もの大群が道路を横断することもあるのだ。そんなとき我々にできるのは、ただ待つことだけ。まるで海のように視界いっぱいに広がる山羊の群れを眺めながら、彼らが通り過ぎるのをじっと待たなければいけないのだ。
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[動画]インド人は牛をとても大事にするが、中には牛をひき殺さんばかりの勢いで強行突破を試みるドライバーもいる。 |
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交通事故大国を走る
僕がインドでもっとも恐れているのは交通事故だ。インドの交通事故は世界最悪の水準で、毎年23万人以上が死亡しているという。これは12億という人口を勘案しても、日本の4倍以上も悪い数字だ。インドではインフラ整備も交通マナーも順法精神も、すべてが遅れている。実際に国道を走っていると、運転席が潰れていたり、仰向けにひっくり返っている事故車をよく目にする。「こうなっちゃいけない」という残念な見本があちこちに転がっているのだ。
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木に激突して大破した4WD車。運転手は無事では済まされないだろう。 |
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バンパーに「交通規則を守りましょう」という標語を書いたタンクローリー。みんなが規則を守ってくれたら事故なんて起きないのだが・・・。 |
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インド・チャッティスガル州にある橋を渡るときもヒヤリとさせられた。何も知らない部外者が通ったら、鉄の柱に頭を強打しかねないというとても危険な橋だったのだ。おそらく大型車両の通行を阻むための柵だと思うのだが、これがバイクや自転車に乗った人間の頭にちょうどぶつかるような絶妙な高さに設定されているのだ。
事情をよく知る地元の人は、橋を通過するとき必ず頭を縮めて「お辞儀」をするので、事なきを得ている。でも何も知らない人間が夜間にここを通ったらどうなるだろう? インド人ってほとんどノーヘルだし、「痛い!」だけでは済まないような気がする。
ゲストは神様と同じ
旅で遭遇するトラブルの中で、もっとも多いのはバイクの故障だ。パンクはもちろんのこと、チェーンが外れたり、電気関係がイカレたりすることもときどき起こる。安くてちゃちなバイクだから、ある程度は仕方がないのだが。
それでも僕はバイクの修理道具を一切持たずに旅をしている。そもそもどこをどう直せばいいのかもよく知らない。簡単なパンクですら直せないのだ。ひとたびトラブルに襲われたら、完全にお手上げ状態なのである。
でも心配はいらない。たいていの場合、故障発生からそう遠くない場所に修理屋があるからだ。値段も安いし、修理の腕も悪くない。「人の住むところ、バイクあり。バイクのあるところ、修理屋あり」という経験則は、インドでもおおむね当てはまるのである。
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荒れた荒野のど真ん中に、ぽつんと建つ掘っ立て小屋。その正体はタイヤ修理屋だ。こんなところに修理の需要なんてあるのかと思うのだが、ちゃんとあるのだろう。 |
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しかし時には、周囲に修理屋がまったくないところでバイクが故障することもある。ラジャスタン州のシロヒという町を出て国道を北上していたときにも、そんな事態に陥った。何の前触れもなくエンジンが止まり、キックスターターをいくら蹴っても息を吹き返さなくなってしまったのだ。
ガソリンはさっき入れたばかりだから、ガス欠の可能性はない。プラグが焼き付いたのか、それとも電気系統が故障したのか。さっきも言ったようにバイクに関する僕の知識は素人同然なので、道ばたであれこれ考えても事態が好転しないことはわかっていた。だからいつものようにバイクを押して歩き始めた。どこにあるのかはわからないが、きっとどこかに修理屋があるはずだから。
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[動画]エンストした車を「足」で押すとんでもない男たち。インド人もトラブルは自力で解決するのが基本のようだ。 |
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しかし30分歩いても、修理屋は姿を現さなかった。全身から汗が吹き出してきて喉も渇いてきたが、飲み水もない。乾燥した大地がどこまでもどこまでも続くばかり。町も集落もまったくなかった。いったいどこまで歩けばいいんだよ、と弱音を吐きそうになった矢先だった。荒野にぽつんと一軒だけ建っていた農家から若者が出てきて、「どうしたんだい?」と声を掛けてくれたのだ。
「エンジンが止まっちゃったんだ」
と僕は答えた。彼は片言ながら英語が話せるようだった。
「そうか。ちょっと待ってろよ。俺が直してやれるかもしれない」
若者はそう言うと、家からレンチ類を取ってきて、僕のバイクを点検してくれた。彼の名前はスレーシュ。修理工ではなく、家で農業を手伝っている20歳の若者だった。
「俺たちの生活にバイクは欠かせないからね。だいたいの故障は自分で直すんだよ」
しかしそのスレーシュ君にもバイクの故障原因はわからなかった。プラグにも問題はないし、燃料フィルターも詰まってはいない。
「どうやら俺の手には負えないみたいだ」
彼は申し訳なさそうに言った。故障は思ったより深刻なようだ。
「この先に修理屋があるから、俺のバイクで連れて行ってやるよ」
どこまでも親切なスレーシュ君は、自分のバイクにロープを括り付けて僕のバイクを牽引してくれるという。修理屋はここから10キロ以上離れているらしい。
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親切なスレーシュ君(右)がバイクを牽引してくれることになった |
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しかし彼に牽引されて向かった修理屋でも、故障は直らなかった。どうやら部品の交換が必要なようで、部品を手に入れるためにはバイクメーカーのショールームまで行かなければならないという。ショールームはここから30キロ離れたシェオガンジの町にある。さすがに牽引して走れる距離ではないので、三輪のオートリキシャの荷台にバイクを載せて向かうことになった。
ここでも助けてくれたのはスレーシュ君だった。オートリキシャのドライバーに声を掛け、料金の交渉までしてくれたのだ。そして「何か困ったことがあったら、ここに電話してくれよ」と携帯番号を書いたメモを僕に渡してくれた。彼は最後まで何の見返りも求めなかった。困った人がいたら助けるのが当然、という態度をずっと崩すことなく、爽やかに去って行った。
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親切なスレーシュ君がオートリキシャにバイクを積み込んでくれた |
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ショールームにたどり着いたのは1時間後のことだった。すぐにメカニックに見てもらうと、故障の原因がオイルシステムの不具合と、シリンダーの摩耗だったことがわかった。古くなった部品8点を新品に交換し、エアフィルターの掃除とエンジンオイルの入れ替えも行った。オーバーホールに近いような大修理だったが、二人のメカニックがつきっきりで作業してくれたお陰で、1時間あまりで終了した。修理代は全部で2000ルピー(4000円)かかった。痛い出費だったが、この先の安全走行のためにはやむを得なかった。
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ショールームの地下にある修理工場でバイクを直してくれた |
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修理を待つあいだ、マネージャーの若者とチャイを飲みながら話をした。2ヶ月前からここに勤め始めたというタウシフ君は、流暢に英語を話す21歳だった。僕はここにたどり着くまでの顛末を彼に話した。一人の親切な若者に出会わなければ、僕は炎天下バイクを押して何時間も歩き続けていたかもしれない。
「ラジャスタンにはこんな言葉があるんですよ」とタウシフ君は言った。「アティティ・デオ・バワ。これは『ゲストは神様と同じだ』という意味なんですよ。あなたは遠い国からやってきた我々のゲストだ。だから必ず助けよう。そういう気持ちが我々にはあるんです」
困っている人間を見たら助けずにはいられない。ラジャスタン人のそのような心持ちは、スレーシュ君の行動からもよくわかった。彼は自分の時間を犠牲にしても、見ず知らずの他人を助けてくれた。自分の損得を抜きにして、僕のために走り回ってくれた。そうすることが当たり前だと思っていたのだ。
エンジンの故障というトラブルが起きなければ、あのような掛け値無しの親切を受けることはなかっただろう。トラブルの発生はもちろん頭痛の種だが、同時にその土地のことをよく知るチャンスにもなり得る。ものごとが順調に進んでいるときには見逃してしまうことを、トラブルが気付かせてくれるのだ。
自分はなんて無力な存在なのだろう。
旅をしていると、そう痛感させられる場面に必ず遭遇する。いくら旅慣れていても、それは変わらない。旅人とはその土地に縁もゆかりもないよそ者であり、様々なトラブルに翻弄される無力な存在なのだ。
しかし無力であってもいいのだと僕は思う。
トラブルが起きても、必ず誰かが助けてくれるはずだから。
他力本願でもいいのだ。あなた任せでもいいのだ。
そう信じて、これからも前に進もうと思う。
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