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  たびそら > 旅行記 > インド編(2015)


謎の白い塔


 マディヤプラデシュ州のど真ん中、「インドのヘソ」とも言えるような平野を走っていたときに、不思議な光景を目にした。チベット寺院を思わせるような白い塔がいくつも建ち並んでいて、そのてっぺんから白い煙がもくもくと上がっていたのだ。これまで一度も目にしたことのない奇妙な建物だった。あれはいったい何なのだろう。押さえがたい好奇心に引っぱられるようにして、僕は国道を右に折れ、塔のそばに近づいた。





 白い塔には階段がついていて、数十人もの労働者が忙しそうに上り下りしていた。人々は頭に大きなタライを載せて、何かを塔の中に運び込んでいた。
「これは石灰を作る窯なんですよ」
 と教えてくれたのは、とても流暢に英語を話す工場長だった。カメラを提げた怪しいガイジンが来たとつまみ出されやしないかと心配していたのだが、大学で化学を勉強したインテリの工場長は特に警戒する様子も見せず、親切にこの窯の仕組みを説明してくれた。
「このあたりでは質の良い石灰石がとれるんです。この炉の中で石灰石と石炭を混ぜて1000度の高温で焼くと、化学反応によって生石灰ができるんです。燃焼は三日三晩続きます。そのあいだ労働者たちは交代で石炭を入れ続けます。熱を一定に保たなければ、質の良い生石灰はできませんから」

重い石を頭に載せた男女が、しっかりとした足取りで階段を登っていく







 工場長によれば、できあがった生石灰(酸化カルシウム)はセメントの原料や製鋼、土壌改良など様々な用途に使われているそうだ。
「それにしてもこの窯はユニークですね。なぜこんな形になったんですか?」
「さぁ、それは私にもわかりません。私が生まれるずっと前から、こういう形なんです。いろいろ試してみて、これが一番良かったんでしょうね」

 とてもユニークで宗教建造物のようにも見える石灰窯だが、ここで働く人々にとっては過酷な労働の現場だった。何しろ窯の中は1000度にも達する高温だし、降り注ぐ直射日光も強烈なのだ。煙突から吐き出される煙も、容赦なく鼻や喉を刺激する。それでも人々は淡々と働いていた。文句ひとつ言わず、ときには笑顔も見せながら。実にタフな人々だった。過酷でありながら美しく、力強さに満ちた光景だった。








 石灰窯のそばを通りかかったとき、僕は何の情報も持っていなかった。このような窯の存在すら知らなかったし、どんな目的で作られたのかもわからなかった。それが良かったのだと思う。何も知らなかったからこそ、未知なるものへの好奇心が刺激され、「何としてでもこのシーンを撮りたい」という強い気持ちが湧いてきたのだ。

 白い煙を上げる窯に登り、働く人々に肉薄してシャッターを切りながら、僕はまるで密林の中に埋もれている王国を発見した探検家のような喜びを味わっていた。ここにたどり着けるのは、きっと僕しかいない。僕が撮らなきゃ誰が撮るんだ。そんな前のめりの気持ちで被写体に向かっていた。









 まっさらな気持ちで目の前の光景に向き合い、そのとき感じた驚きを素直に表現できれば、必ずいい写真になる――石灰窯の存在はそのことを改めて教えてくれた。「たくさん知っている人」よりも「何も知らない人」の方が強いこともあるのだ。

 しかし旅の経験を積むにしたがって、まっさらな気持ちで物事を見るのが難しくなっていく。ついつい「インドなんてこんなもんだ」とわかった気になってしまうのだ。自分の感覚ではなく、常識と先入観ばかり使うようになり、新鮮な驚きや発見が得られなくなっていく。その先に待っているのは「退屈」の二文字だ。









 長旅に疲れ、好奇心が摩耗し、退屈を感じるようになったら、僕はあえてカメラをバッグにしまって街を歩くことにしている。撮ることだけに集中した気持ちを解きほぐし、五感をフルに使いながらゆっくりと街を歩いてみるのだ。

 どこかからリキシャが鳴らすベルの音が聞こえる。スパイスの香りが鼻をくすぐる。湿り気を帯びた風が路地裏を吹き抜けていく。世界は自分とは関係なく動いている。しかしその世界に僕もまた含まれている。

 旅に慣れてしまった自分をいったん忘れ、先入観にとらわれた心をリセットして、子供のような目で改めてこの世界を眺めてみると、この世界がかけがえのないものとして再び目の前に立ち上がってくる。美しい光や素晴らしい表情が、いくらでも転がっていることに気付かされるのだ。









 心の奥底から「撮りたい」という気持ちが湧いてくるのは、そんな瞬間だ。僕はバッグからカメラを取り出し、その「光」に向けてシャッターを切る。もう退屈を感じている暇なんてない。

 旅人が歩くのは、いつも初めての道だ。
 たとえ何度同じ道を歩こうとも、そこで出会うものや感じることはまるで違うのだから。







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