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  たびそら > 旅行記 > インド編(2015)


無神論者のジェイミーさん


 僕が40歳だと言うと、たいていのインド人は驚く。もう中年にさしかかろうという40歳の男が一人でふらふらと旅をしているなんて理解できない。まったく日本人は何を考えているのか、とまで言われることもある。す、すみません。日本の40歳がみんな僕みたいじゃありませんよ。ちゃんとしている人はちゃんとしているんですから、と一応謝るようにはしているのだが。





 しかしアンドラプラデシュ州西部の町カルヌールで知り合ったジェイミーさんは違った。
「40歳なんてまだまだ若いじゃないか」と言ってくれたのだ。「私は今46歳なんだが、フォトグラファーになるために勉強中なんだ。これからが私の本当の人生だって思っているよ」

 ジェイミーさんはもともと小さな建設会社を経営していたのだが、40代半ばになってカメラマンになろうと決心して、20代の若者に弟子入りし、写真の撮り方を基礎から学んでいる。彼が働いているフォトスタジオは穴倉のように薄暗い部屋で、そこにニコンの一眼レフが2台、ストロボが2台、パソコンが1台置かれていた。スタジオで証明写真を撮影するのと、結婚式や行事などで記念写真を撮るのが主な仕事だ。
「インドでは芸術写真はまだ認知されていない。動物や風景を撮る人はいるけどね。それで食えている人はほとんどいないんじゃないかな。でも、私が目指しているのは人を感動させる写真なんだ。心を豊かにするアートなんだよ」


結婚式の様子を撮るために動員された二人のスチールカメラマンと二人のビデオカメラマン。インドではこれが普通なのだ。


 ジェイミーさんはイギリスのホテルで5年間働いていた経験があるので、とても流暢な英語を話す。その頃に付き合っていたイタリア人のガールフレンドがファッションモデルをしていたのが、カメラマンを目指すきっかけになったという。
「彼女は思いっきり人生を楽しんでいた。仕事も食事も恋愛もね。いつも言っていたよ。『人生は一度きり。だから世界は美しい』って。私もそう思うんだ。一度しかない人生なんだから、この美しい世界をできるだけ楽しまなくちゃ。本当にやりたいことをやらないまま人生を終えるのは嫌なんだよ」

「人生は一度きり。だから世界は美しい」
 それはとてもシンプルな言葉で、捉えようによってはありきたりなフレーズでもあった。しかしインド人のジェイミーさんの口から発せられると、また違った意味を持つようにも感じられた。輪廻転生を信じているヒンドゥー教徒は「人生は一度きり」とは考えないはずだからだ。彼らは来世への生まれ変わりを信じている。だからこそヒンドゥー教徒はお墓を作らないし、火葬した灰をガンガーに「還す」のだ。





「あなたは輪廻を信じていないんですか?」と僕は訊ねてみた。
「もちろん信じていないよ」とジェイミーさんはあっさりと頷いた。「人は死んだらそれっきりさ。生まれ変わることはない。私は神様だって信じていない。もちろん子供の頃は親に連れられて寺院にも通ったし、ヒンドゥーの儀式にも参加したよ。カルマも輪廻も信じていたし、何の疑問も持たなかった。私が変わったのはイギリスに出稼ぎに行ってからだ。いろいろな人に出会い、違う考え方に触れて、世界の見方が一変したんだ。イタリア人の恋人も神を信じていなかった。とても自由な人だった。自分の考えというものをしっかりと持っている人だった」

 インドで無神論者に出会うことはほとんどない。ヒンドゥー、イスラム、キリスト教、ジャイナ、仏教。どの宗教を信じるかが、どの共同体に所属するのかを決めているこの国にあって「どこにも属さない」という選択肢は基本的にないのだ。ジェイミーさんはレアケースだった。





「インド人にはまだ宗教が必要だと思う。ヨーロッパ人のように宗教なしで生きていくのはとても難しいことだからね。特に貧しい人には何かすがるものが必要なんだ。でも宗教はその人の手と足を縛るものでもある。宗教に頼ると、自由にものを考えることができなくなる。それはヒンドゥーでもイスラムでもキリスト教でも同じさ」
「でも、この国で『神様はいない』なんて言ったら、問題になりませんか?」
「意外にそうでもないさ。私は家族にも友達にも『お寺にも行かないし、儀式にも一切参加しない』と公言している。私には私のやり方があると、はっきり主張している。誰も文句は言わないよ。もちろん神様から文句を言われたこともないしね」

 強い人だった。私には私の生き方がある、という個人主義を強固に貫けるジェイミーさんだからこそ、無神論者でも生きていけるのだろう。



人生は一度きり。だから世界は美しい

 ジェイミーさんと別れてから、カルヌールの旧市街を一人で歩いた。カルヌールは埃っぽくて猥雑で、クラクションのうるさい町だった。決して美しい場所ではない。典型的なインドの田舎町だった。

 夕方の柔らかな日差しが町に降り注いでいた。楽しげに語り合う人もいれば、苦しげに座り込む人もいた。野良犬が横たわり、カラスがゴミを漁っている。









 町を行き交う人々を眺めながら、僕はジェイミーさんの言葉を思い出していた。
 人生は一度きり。だから世界は美しい。

 そうなのだ。もし我々に永遠の命が与えられていたとしたら、この世界はまったく違うものに見えるはずだ。
 人はいつか必ず死ぬ。有限の肉体を持つちっぽけな存在だ。しかしだからこそ、我々はこの世界をかけがえのないものだと感じることができるのだ。そしてこのかけがえのない世界を、なんとかして写真に残したいと願うのだ。









 親密で、笑顔にあふれ、光に満ちた世界。
 僕は旅することで、この世界の美しさの秘密を知った。

 なにか温かいものがこみ上げてくる感覚があった。
 いいんだ。僕は今この世界のために涙を流している。
 美しく切ない、この世界のために。









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