引き出物は動物クッキー

カンボジアの小さな子供は、たいてい上半身か下半身が裸、あるいは上下とも裸だ。

カンボジアの小さな子供は、たいてい上半身か下半身が裸、あるいは上下とも裸だ。

 ピックアップトラックは赤茶けた道を土煙を上げながら疾走していた。道の両側には刈り取りの終わった田んぼが広がり、疎らにいる水牛が枯れ草を食んでいる。僕はそんな単調な風景を、ピックアップの荷台の上から眺めていた。動物クッキーを囓りながら。
 昨日の結婚披露宴の引き出物として渡されたのが、動物クッキーだった。祝儀袋と引き替えに、ビニール袋に入った動物クッキーを手渡されたときは、さすがに面食らったが、形式張らないカンボジアの披露宴に相応しい引き出物ではあった。
「それ、ひとつ貰える?」
 隣に座っているオーストラリア人の大男が、クッキーの袋に手を伸ばした。ターミネーターみたいな太い腕の男が、ペンギンのクッキーをもそもそと頬張っている姿は、何だか可笑しかった。
「うん、悪くないね」
 彼の言う通り、動物クッキーは多少パサパサしているけれど、素朴で懐かしい味がした。
 カンボジアの北部には、路線バスはほとんど走っていないから、陸路での移動となると「乗り合いピックアップトラック」を使うのが一般的だ。助手席に2人と後部座席に4人、残りの人間は荷物と一緒に荷台に乗る。国境まで座席なら6ドル、荷台なら4ドルである。
 でも僕には、座席か荷台かを選択する余地はなかった。早朝、宿の前にやって来たピックアップの座席は、既に大柄なドイツ人3人組とカナダ人の男女に占領されていたからだ。荷台には乗客全員の荷物が並べられ、その上に僕を含めた8人の旅行者が乗り込んだ。身動きひとつ取れないという状況ではなかったけれど、大柄な人間はかなり窮屈な体勢を強いられていた。

1640  シェムリアップの町を離れてしばらくは、道も良く、旅は順調に進んでいた。空気は乾燥していたけど、まだ暑さを感じるほどではないし、荷台を吹き抜けていく風は清々しかった。僕の向かいに座っている日本人の女の子は、出発後すぐにバックパックを枕にして眠り始めていた。どこでも眠ることができるというのは、長旅における重要な才能のひとつである。いい意味で鈍感にならないと、一人旅なんてできないのだ。

 ドライバーは前に車がいると抜かずにはいられない性格であるらしく、クラクションを景気よく鳴らしながら、荷物を満載したトラックを次々とパスしていった。雲ひとつない青空と一直線の道。スピードと振動。心地よい風。舞い上がる土煙。一番後ろに座っているアメリカ人2人組は、よくわからない奇声をあげながら、空に向けて拳を突き上げている。「なんだ、狭い座席に座っているよりも、荷台の方が全然いいじゃないか」
 オーストラリアの大男がそう言うと、みんなその通りだなと頷いた。

 
 

これじゃジャンピング・ロードだ

1681 でも、それが間違いだと気が付くにまでに、それほどの時間はかからなかった。僕らはカンボジアの悪路というものを甘く見過ぎていたのだ。そう、あの「ダンシング・ロード」が、再び僕らの行く手に現れたのだ。

 平坦だった道は、徐々にクレーターに浸食されるようになり、それでもスピードを緩めない僕らのピックアップは、所々で月面車のようにポンポンと跳ねた。僕はいつ来るかわからないジャンプに備えて、荷台の縁をしっかりと握りしめ、間違っても振り落とされないように注意しなくてはいけなかった。言うまでもないけど、これを3時間も4時間も続けていると、かなり消耗する。おまけに座り方が悪かったのか、お尻の皮が少し剥けたらしく、車が跳ねるたびに痛みが走った。
 アメリカ人2人組にも当初の元気はなくなり、「これじゃジャンピング・ロードだね」というオーストラリア人の冗談も、疲労した乗客にはあまり受けなかった。
 でも、振動以上に僕を悩ませたのは、すさまじい埃だった。昼近くになって道路の交通量が増えてくると、前の車が立てた土煙の中を走るようになる。荷台には何も遮るものがないから、僕らは土埃の直撃をまともに受けることになるのだ。

 オーストラリアの大男は、埃対策のための様々なアイテムを準備していた。頭にはニット帽を被り、鼻と口はタオルで完全に覆い、目には競泳用ゴーグルを付けた。元水泳部の山岳ゲリラみたいな格好である。対する僕は、いつもかけているサングラスだけで、ほとんど無防備だった。ここまで埃がすごいとは予想していなかったのだ。

「おい、自分の顔を見てみろよ」
 出発から6時間、ようやく国境にたどり着いたとき、僕はそう言われて、ピックアップのサイドミラーを覗き込んだ。そこに写っていたのは、髪の毛が小麦粉をまぶしたように白くなり、顔がチョコレート色になった、渋谷辺りにいそうな「ガングロ女子高生」に化けた自分の顔だった。

 僕の場合は極端だけど、いずれにしろ荷台に乗っていた8人共、砂漠を越えてきたキャラバンのように砂まみれの状態でピックアップを降りた。そしてお互いの体に付いた砂埃を、パンパンと叩いて落とし合ってから、バックパックを担いで国境に向かった。

 地元民が長い列を作っているイミグレーション・オフィスの恐ろしく無愛想な係官にスタンプを貰い、物乞いの子供達の手をかいくぐりながら、僕は国境を無事に通過した。そしてバンコク行きのミニバスに乗った。

 
 

タイ製「コアラのマーチ」

1688 ベトナムからカンボジアに入ったときもそうだったが、国境を越えたことを最も強く感じるのは、道の違いだった。タイの道は綺麗に舗装され、中央にセンターラインの引かれた、日本で普通に目にするような道路だった。もちろん土煙は立たず、穴ぼこはひとつも見当たらない。そういう当たり前のインフラが当たり前に整備されているということが、この国の豊かさを象徴しているように思った。
 さらに僕を驚かせたのは、給油のために止まったガソリンスタンドの隣にある、ゴルフの打ちっ放し練習場だった。
 ゴルフ?
 僕は数人の男がドライバーの飛距離を競い合う姿を見ながら、自分がどこか別の惑星に降り立ったような気分になった。いや正確には、別の惑星から母星に帰還したような気分か。
 だだっ広い平地に建つゴルフ練習場は、日本の田舎の国道沿いで見かける光景にそっくりだった。ネットの向こうに沈んでいく夕陽の大きさだけが、少し違うような気がした。

 国境の町までTシャツを買いに来たのだという日本人旅行者が、バスの中で「コアラのマーチ」を食べていた。バンコクにはセブンイレブンがあって、そこではタイ製・日本ブランドのお菓子が普通に売られているだという。僕も摘ませてもらったが、暑さでチョコが溶けている以外は、日本の「コアラのマーチ」と変わらない味だった。

 バンコクに近づくにつれて、カンボジアとの相違点はよりはっきりし、日本との類似点はより多くなっていった。大きな機械工場には制服姿の工員が出入りし、道路には新しい日本製の乗用車が溢れていた。高架式のハイウェーからは、トヨタやキャノンといった日本メーカーの派手な広告看板が、ビルの屋上に並んでいるのが見えた。

 タイは内戦で国土が荒廃したベトナムやカンボジアとは違って、経済発展の道を着実に進んでいる。それを端的に物語っているのは、手の上の「コアラのマーチ」と、カンボジアの「動物クッキー」の違いなのかもしれない。