アテネからエジプトのカイロへ
僕は飛行機という乗り物が好きだ。離陸前に静々と滑走路へ向かう時間も、テイクオフ直前の騒音と加速感も、上昇中に腹に加わる適度なGも、小さな窓から見える現実感を失った町の景色も、みんな好きだ。だいたいあの巨大な金属製の物体が苦もなく空を飛んでいること自体、とてもすごいことだと思う。一応僕も文明人の端くれとして、「こんなの当たり前でしょ」と澄ました顔でシートに腰を下ろしているのだけど、内心は「すっげぇなぁ」と子供っぽく感心しているのである。
でも空港という場所はどうしても好きにはなれない。空港に降りると、僕はいつも間違った場所に来てしまったような、いたたまれない気持ちになる。空港を出て、ベルトコンベアーに載せられてくる荷物を受け取って、とぼとぼとタクシー乗り場まで歩いていると、「今俺はひとりぼっちなんだな」と強く感じることになる。
飛行機という乗り物は、ほとんど「瞬間」と言ってもいいようなスピードで、町から町へ移動する。飛行機は「移動」という行為から、「時間」をごっそりと奪ってしまう。きっとそのことが、僕の戸惑いの原因なのだと思う。
せいぜい時速80kmでノロノロと移動するバス――それがアジアの旅の足だった。とても疲れるし、極めて非効率だ。だけど移動にかけた時間と、移動に伴う疲弊は、「新しい土地」に辿り着いたという実感を僕の肉体にもたらしてくれた。だから国境を越えて新しい町に着いても、そこの空気にすぐに馴染むことができた。
アテネ空港を飛び立ってからわずか2時間で、地中海を飛び越えてカイロ空港に降り立ったときも、妙に浮ついた気分だった。地に足が着かず、体がまだ空中をふわふわと漂っている感じがしばらく続いた。飛行機という快適でスピーディーな移動装置には、旅の実感というものが欠けているのだ。
カイロという街に馴染むには少し時間がかかるかもしれないな、と僕は思った。そしてその予想通り、カイロ滞在はいつもより長いものになった。
ストリートシャークに気を付けろ
「ストリートシャークに気を付けろよ」
カイロ初日の夜に、宿の主人からこう釘を差された。
「ストリートシャークって何ですか?」と僕は聞いた。
「カイロには外国人旅行者を騙そうとする悪い奴らがたくさんいるんだよ。彼らは最初、君に親切に声をかけてくるだろう。でも絶対に信用しちゃいけない。彼らの目的は君の金なんだ。あらゆる手を使って、君の財布から金を出させようとするんだ」
なるほど。親切を装って旅行者に声をかけ、安心させてから牙を剥いて襲いかかってくるから「ストリートシャーク」なのだ。
「大丈夫です。その手の連中は、香港にもベトナムにもインドにもたくさんいましたから」
と僕は言った。旅のスタート地点である香港でオカマ詐欺師に危ない目に遭わされて以来、「人を簡単に信用してはいけない」と自分に言い聞かせてきた。そのお陰で、金目当ての親切を見抜く力は、ある程度付いてきたつもりだったのだ。
「それでも気を付けることだ」と主人は言った。「エジプトのストリートシャークはなかなか巧妙なんだ」
怪しげな男達が声を掛けてくる
確かにカイロの街には怪しげな男達がたくさんいた。典型的なストリートシャークは、まず「ホワット タイム?」と言って近づいてくる。腕時計を忘れたから時間を教えてくれというのだ。本人達はさり気ないつもりなのかもしれないが、かなりわざとらしい。
「・・・3時30分か。サンキュー、マイフレンド。助かったよ」
男は馴れ馴れしく僕の右手を握りしめる。
「ところで君はもしかして日本人? そうかい! いやぁ偶然だなぁ。実はね、俺は今度日本人の女の子と結婚するんだ。名前はカナコ。写真を見るかい?(ポケットから写真を取り出す)どうだい、かわいいだろう? 3ヶ月後にはカナコの両親に会いに日本に行くんだ。結婚したら日本に住むんだ。日本はいいところかい? 物価が高いんだって? 大丈夫、俺には関係ないよ。俺の父親はコンピューター会社の社長をしているからね。お金は持っているんだ」
彼の自己紹介は淀みなく続く。今までにも何度となく繰り返してきたセリフなのだろう。
「ところで、この近くに僕の従兄弟がやっている土産物屋があるんだ。興味はある?」
と彼は話題を変える。
「君はマイフレンドだから、それにカナコの故郷の日本から来た人だから、特別に安い値段にしてあげられるんだ。どうだい、一緒に見に行かないか?」
金持ちの社長の息子が、どうしてケチな土産物屋の客引きなんかやっているのか、そのあたりの事情はよくわからないが、とにかくこういう話は断るに限る。
「急いでいるし、土産物には興味がないんだ」
そう言って立ち去ってしまえば、それ以上追いかけてくることはほとんどない。カイロのストリートシャークは数は多いものの、しつこくはないからまだ御し易いとも言える。大切なのは、ストリートシャーク達の「背びれ」を見極めることだ。どのタイミングで「商談」を切り出してくるかを見極めさえすれば、彼らはそれほど危険ではない。
僕が地下鉄に乗ろうと町中で地図を広げているときに、ハローと声を掛けてきたのは、30代後半のマッチョな男だった。
「どこへ行きたいんだ?」と男は言った。
「地下鉄に乗ってサダトに行くんです」
「サダトだったら、ここから2駅しか離れていないじゃないか」と男は言った。「歩きなさい。その方が君の健康にいい」
どの交通機関を使おうがこっちの勝手じゃないか、と思ったけれど、男は「私も一緒に歩くよ」と言って、強引に僕の背中を押した。親切な男なのか、あるいは親切さを装ったストリートシャークなのか、この段階ではわからない。
「健康は大切だよ」
男は爽やかな笑顔で言った。彼はカイロタワーにあるスイミングプールでインストラクターをしているんだと言って、胸のポケットから写真を取り出した。それはどこかの海岸で撮られたものらしく、男は小さなオレンジ色のビキニパンツ一枚でボディービルディングのポーズをとっていた。
「何年前の写真ですか?」と僕は聞いた。
「去年だよ」と彼は言った。「去年の夏、アレクサンドリアの海岸で撮ったんだ」
変な男だな、と思った。何故ならその写真は色褪せてセピアがかっていたし、顔だって今よりも全然若いのだ。どうして見え透いた嘘をわざわざ付くんだろう。
「昔はボディービルの選手だったんだ」男は構わずに続けた。「若い頃はずいぶんもてたんだよ。ところで、君は結婚しているの?」
「いいえ」
「そうか。私も結婚していないんだ。一人身は気ままでいいからね。行きたいところに行き、したいことをする。子供なんて作ったら、ずっとかかりきりじゃないか。それにこの国とカイロのためにも、そのほうがいいんだよ。これ以上人間が増えたら、この街は一体どうなると思う?」
男の言うことはもっともだった。7000万を数えるエジプトの人口のうち、カイロには1200万人が住んでいると言われる。東京やダッカやデリーに匹敵する世界有数の過密都市なのだ。男はカイロの人の多さと騒々しさについて話し、こんなひどい街はさっさと出た方がいいと忠告してくれた。
20分ほど歩いて、僕らは目的地のサダト駅に着いた。
「歩いた方が早いし、君の健康にもよかっただろう?」
男はにっこりと言った。健康マニアなのだ。
「わざわざありがとう。それじゃ行きますから」と僕は言った。
「もう行ってしまうのかい?」男は残念そうに言った。「実はこの近くに私の家があるんだけど、よかったら寄っていかないか? 美味しいオレンジジュースが冷やしてあるんだ。何しろこの暑さだ、君も喉が渇いただろう? 間違ってもコカコーラやペプシは飲んじゃダメだ。あれは健康によくないからね」
オレンジジュースを飲みに来ないか、という言い方がいかにもアラブの男らしくておかしかったが(ムスリムはお酒を飲まない)、彼についていこうという気にはならなかった。おそらく金目当ての悪人ではないだろう。しかし30代後半の独身ボディービルダーという経歴も、やたら「健康」という言葉を連発するところも、色褪せた写真を去年のだと言い張る頑なさも、どこか怪しかった。
「気持ちは嬉しいんですが、このあと用事があるんです」と僕は嘘を付いた。もちろん用事なんてあるはずがない。
「それは残念だな。私はこう見えても料理が得意なんだ。君に本物のエジプト料理を作ってあげられるんだけどね。いや、今日は仕事はないから暇なんだよ。それに、前から日本人には興味があったんだ。我々アラブ人とは肌の色も違うし、ヨーロッパ人とも違う。君はとても背が高いね。それにとてもスリムだ。つまり・・・」
男はしばらく言い淀んでから、声を落として言った。
「君に興味があるんだよ」
一瞬、背中がゾクっとした。やっぱりか。やっぱりそういう趣向を持った人だったのか。ある程度予想していたとは言え、実際に男から「興味がある」なんてことをはっきりと言われると、拒否反応がまず先に立ってしまう。
「本当に急いでいるんです」
僕は精一杯の作り笑顔を浮かべて言った。
「そうかい・・・とても残念だよ」
と男は呟いた。それで諦めてくれたようなので、僕はほっと胸をなで下ろした。男は最後に「グッドラック」と言って、足早に雑踏の中に消えていった。ビルドアップされた男の体が、心なしか少し縮んで見えた。
親日家の老人の場合
住宅街にあるチャイハネでお茶を飲んでいるときに声を掛けてきたのは、84歳になるという老人だった。彼は足が不自由らしく、杖をつきながら僕のテーブルまで来て、「アー ユー ジャパニーズ?」と言った。歯が全部抜け落ちているにもかかわらず、ずいぶん聞き取りやすい英語を話した。
「わしは若い頃、貨物船に乗っていたんだ。日本にも何度か行った事があるよ。日本人はとても礼儀正しくて、いい人達だった」
老人は懐かしそうに言った。そして誰かに教わったらしい日本風のお辞儀をして見せた。
「私は日本が大好きなんだよ。礼儀正しいところも、勤勉なところも、清潔好きなところも。日本人は家に入るときに靴を脱ぐんだろう?」
僕らはチャイを飲みながら、しばらく世間話をした。彼はムスリムが大半を占めるエジプトでは少数派のコプト派キリスト教徒で、病気の奥さんと二人暮らしだという。
エジプトのチャイハネはとても開放的である。トルコやイランのチャイハネには煙草の煙が充満し、店の中も暗いので、いつもどんよりと淀んだ空気が漂っていた。それに対して、エジプトのチャイハネはヨーロッパのオープンカフェ風に全ての窓が開け放たれているので、明るくて広々としている。日中の気温が高いエジプトでは、そうでもしないと暑くて仕方がないのだ。
そしてエジプトのチャイハネには、必ずムバラク大統領の肖像画が掲げられている。トルコのチャイハネにはケマル・アタチュルクの肖像画があり、イランのチャイハネにはホメイニ師の肖像がある。チャイ屋には国家の象徴を戴く、という考え方はイスラムの国に共通したものらしい。写真で見る限りムバラク氏はなかなかの男前で、映画俳優だと言われても信じてしまいそうだった。
「ところで、君はエジプシャンパウンドとドルとどっちを持っているのかね?」と老人は聞いた。
「どちらも持っていますよ」と僕は答えた。「USドルはトラベラーズチェックで持っているんです」
「そのうちのいくらかを私にくれないか?」と老人は言った。
僕は突然の展開にびっくりして、老人の顔を覗き込んだ。老人の表情はそれまでと全く変わらなかった。だから僕はなにかの聞き違いじゃないかと思った。
「ドゥー ユー ウォント マネー?」
一語ずつゆっくりと発音した。
「イエス」
老人はきっぱりと頷いた。こうもあからさまに金を要求されたことは初めてだったから、僕は呆気にとられてしまった。老人は当然の権利を主張している、という堂々とした態度だった。
ショックだった。散々「日本人は礼儀正しくていい人だ」なんて言っていたのは、単なるお金欲しさのリップサービスだったのだ。そう思うと少なからず腹も立った。それだったら、最初から「お前達日本人は金持ちなんだから少し分けてくれ」と言ってくれた方が、まだ納得できる。
しかし老人のあまりにも堂々としたものの言い方に感心して――というよりも観念して――僕は財布から3ポンド(90円)出してテーブルの上に置いた。チャイ二杯分には十分すぎる金だ。
「これだけか?」
老人は不満そうに言ったが、これ以上関わり合いになりたくなかったので、僕は何も答えずにチャイハネをあとにした。何とも後味の悪い別れ方だった。
誰がストリートシャークで、誰がそうではないか。その判断はとても難しい。チャイハネにいた老人にしたって、あんなことを毎日言っているわけではないと思う。そこは観光客がまずやってこないような普通の住宅街にあるチャイハネだったからだ。たまたま金持ちそうな(実際はそうじゃないけど)日本人がやってきて、それで「あわよくばお金をもらえないかな」と思ったのだろう。「あわよくば精神」はインドでもトルコでもよく見られるものだった。
お金を取られるのはいい。それはたいした問題ではない。問題なのは人の親切を信じられなくなることの方だ。人から親切に道を教えてもらっても、お茶を飲んでいけよと誘われても、「ひょっとしたらこの人は『お金をくれ』と言い出さないだろうか?」という考えが頭から離れないのはちょっと切ない。
かと言って、あのマッチョ男に誘われるまま彼の家を訪れていたら、恐ろしいことになっていただろう。まさに貞操の危機である。それを考えると「少々疑り深い」ぐらいの態度が、旅人して適当ではないかとも思う。