アフガニスタンからの難民

4589 アフガニスタンとの国境から50kmの位置にあるペシャワールの街では、多くのアフガン人に出会った。名物のアフガンナイフや革ジャンパーを売る店では、「コンニチワ」と片言の日本語で話し掛けられたし(日本人旅行者もけっこう来るらしい)、何ヶ月も履き続けたせいでボロボロになっていたサンダルの修理を頼んだ男もアフガン人だった。外国人相手の観光ガイドをしながら、コンピューターの学校に通っているというアフガン人の若者と、食堂で話をしたこともあった。

 バザールの一角にある小さなソフトクリーム屋の店主も、アフガニスタンから流れてきた人だった。彼はドイツの工業大学に留学していたことのあるインテリで、流暢な英語を話した。
「でも、私がドイツで身に付けた知識も技術も、今のアフガニスタンでは生かすことができないんだ」と彼は寂しそうに言った。「町や道路を設計するのが私の本職なんだ。ところが今は、ひとつ5ルピーのソフトクリームを売って生計を立てている。父親はアフガニスタンで裁判官をしていたんだが、内戦が始まって職を失った。裁判をする必要なんて無くなってしまったんだ。だから家族でペシャワールに逃げてきたんだ」

 僕らが話をしている間にも、近所の子供達がソフトクリームを買いに来た。男は黙ってお金を受け取ると、装置のハンドルを押しながら、慣れた手つきでコーンをくるくると回して、小さなソフトクリームを作ってやった。
「アフガニスタンはとても美しいところだった。山の空気はきれいで、川の水は澄んでいて、人々は穏やかに暮らしていた。でも今は違う。とても危険な国になってしまった。男達はみんな銃を持って殺し合いをしているんだ。そして女達は家の中に隠れて暮らさなければならないんだ」

4507 彼はペシャワール郊外にある小さな家で、家族8人と共に暮らしているという。食べるのがやっとという状態だが、それでもソフトクリーム屋の職を得ているだけ、まだマシだという。パキスタンに逃れてきた難民の多くは、仕事を得ることができないでいるし、ペシャワール郊外にある難民キャンプでは、援助物資だけを頼りに暮らす人も多いという。

「多くのパキスタン人は、アフガニスタン人を快くは思ってはいないんだ。結局、我々はよそ者(stranger)なんだ。300万もの人がアフガニスタンからパキスタンに逃げてきた。もちろん、みんな国に帰りたいと思っている。だけど平和が戻るまで、この暮らしを続けていくしかないさ」
「アフガニスタンに平和が戻るのは、いつのことだと思いますか?」と僕は訊ねてみた。
「近い将来だと信じたいね。でも、もう20年も戦争が続いているんだ。いつ終わるかなんて、誰にもわからないよ」

 僕はこの小さなソフトクリーム屋に何度か通った。男は決して愛想はよくなかったが、それでも手が空くと、僕に故郷アフガニスタンの話を聞かせてくれた。冬は寒く、自然は厳しいけれど、とても美しい。平和が戻ったら、是非君にも訪れてもらいたい、と。

「君は何日もここにいるけれど、そんなにこの街が気に入ったのかい?」と男が僕に尋ねた。
「そうですね。ここはとても面白い街だから」と僕は答えた。
「私は好きじゃないよ」男は顔をしかめた。「特にこのバザールがね。埃だらけだし、人も車もたくさんいて、とてもうるさい。私はもっと静かな場所に住みたいんだ」
「埃っぽくてうるさいところが、僕の気に入っているところなんですよ」と僕は言った。
「君は変わってるね」と男は笑った。

 
 

埃だらけの雑然とした街

4463 ペシャワールをひとことで表すとすれば、「埃だらけの雑然とした街」ということになるだろう。アフガン人の男が言った通りだ。
 特に旧市街のバザールは混乱の極みにある。大勢の人と様々な種類の車が、狭い道にひしめき合っている。まずは疲労を滲ませた表情で荷車を引くロバ車。これに乗っているのはたいていが老人で、容赦なくロバに鞭をくれるのだが、いっこうにスピードは上がらない。「そんなに鞭を打つ前に、たっぷりと草を食べさせろよな」というような恨めしげな目つきで、ロバは黙々と歩いていく。そのロバ車を猛然と追い抜いていくのが馬車である。御者は座らずに立ったままの姿勢で手綱をさばく。その方が混み合った道路の先まで見渡せるので、都合がいいのだろう。

4563 一番台数が多いのは、オートリクシャ(三輪タクシー)である。こいつはどんなに混み合っている道でも、平気で突っ込んでくる。ビービーと耳障りなクラクションを鳴らして通行人を蹴散らし、排気ガスと土埃を残して走り去っていく。迷惑極まりない奴だが、旅行者の足としては実に頼もしい存在だ。

 ペシャワールのバザールは、とにかく広くて複雑である。食料品街、日用雑貨街、靴屋街、貴金属街などの大まかなブロックに分かれていて、その中には網の目のように細い路地が張り巡らされている。地図を持たないで歩くと確実に迷うし、地図を持っていても確実に迷う。要するに、どう歩いたって迷うのである。

 だから僕は気の向くままに路地を曲がった。色とりどりの野菜が並ぶ八百屋のある角を曲がり、山盛りにされたスパイスの鮮やかな色に思わず足を止め、ケバブの焼ける匂いにふらふらと誘われ、牛乳屋の巨大タンクに驚き、暇そうな手相見を冷やかしながら歩いた。迷ったって構やしない。ホテルの名前さえ忘れなければ、ちゃんと帰り着くことができるのだから。

 
 

恋愛と結婚は別物です

4529 バングラデシュと同じように、パキスタンの市場でも働いているのは男性ばかりだった。化粧品店や女性下着店の店番も、髭面のおっさんが勤めているという徹底ぶりだった。しかし、女性下着まで男が売るのは考えものだと思う。女性だって買いにくいだろうし、マーケティングの面から考えても合理的ではない。

 それはともかく、そうやってあてもなくバザールを歩いていると、親切な男達からしょっちゅうお茶に誘われた。「誘われる」というより、半ば強制的に椅子に座らされて、「まぁまぁ一杯飲んでいきな」という感じで、ひょいと茶碗を渡されてしまうのである。

 ペシャワールでチャイといえば、いつものミルクティーではなくて、「カフワチャイ」という緑茶のことを指す。日本の緑茶と違って、カルダモンという香料と砂糖が入っているのだが、後味はさっぱりとしているので、僕はすっかり気に入ってしまった。インド以来、来る日も来る日も濃いミルクティーばかりを飲み続けていたから、余計に美味しく感じられたのだ。

 お茶の席で話す話題は、やはり女性関係のことが多かった。
「僕には恋人がいるんです」
 と打ち明け話をしてきたのは、金物屋の若き店主・イスマーム君(25歳)だった。
「でも、あなたもご存じのように、この国では結婚前の男女が一緒に出歩くことが許されていません。例えば僕と彼女が一緒に公園に行ったとしましょう。そこに彼女の父親が現れたらどうなるか。父親は僕を殴ります。そして彼女も殴ります」
「じゃあ、君たちはどうやって会っているの?」
「彼女の父親は商売をやっています。だから父親が家にいないときに、こっそりと電話をして待ち合わせ場所を決めます。秘密の約束です。もし父親が電話に出たら、もちろんすぐに切りますよ」

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大きなタンクに入れたミルクを売る

 ただデートをするだけでも、乗り越えるべきハードルがいくつもあるのだ。何しろ親にばれたらぶっ飛ばされてしまうのだから、恋愛にも体を張らなければいけない。
「君は将来、その恋人と結婚するつもりなの?」と僕は訊ねた。
「いいえ。僕にはもう親の決めたフィアンセがいるんです。僕は彼女に会ったことも、話をしたこともありませんけど」

 彼があまりにもあっさりと結婚を否定したのには驚いた。ぶっ飛ばされるのを覚悟で「密会」を重ねているわりに、彼は「恋愛と結婚は別物」というとても現実的な考え方をしているのである。勘当されるのを覚悟で駆け落ちでもしない限り、パキスタンでは恋愛結婚はできないのかもしれない。

 恋愛に関して言えば、パキスタンはとても質素な国だった。イスマーム君のように「現実に恋愛をしている」あるいは「した経験がある」と言ったパキスタン人は少数だったし、映画などの「イメージとしての恋愛」も日本のように普及していなかった。

 ハリウッド映画に代表される奔放な欧米文化も、この国にはあまり浸透していなかった。むしろ自国の文化を侵すものとして敵視する意見も多かった。時計屋を営むホセインさんは、アメリカ文化とアメリカ人のことをこんな風に批判していた。
「ビル・クリントンのことは知っているだろう? 一国の大統領が、毎日セックス・スキャンダルで新聞を騒がしている。あんなことはパキスタンじゃ考えられないね。みんな呆れているよ。『見てみろよ。アメリカって国はこういう奴がリーダーなんだ』ってね」
 ビル・クリントンの『不適切な関係』は、姦通を許していないパキスタンでは市中引き回しに値する罪である。そんな罪人が堂々と大統領職に就いていることが、彼らには不思議でならないのだ。

 パキスタンでは、ポルノ関係ももちろん御法度である。映画でもキスシーンはNG。それでも「見てはいけないものだからこそ見てみたい」という欲望は、どこの国でも共通のものらしい。そして、その欲望を商売にする輩もちゃんと存在するのだった。

 
 

怪しげな双眼鏡を覗いたら見えたもの

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怪しげな双眼鏡で商売する男

 パキスタン男性のエロスを刺激する装置を発見したのは、ペシャワールの路地裏だった。装置と言っても大袈裟なものではなく、薄っぺらいプラスチックでできた双眼鏡のようなものだった。地べたにゴザを敷いて座っていた怪しげな中年男が、その双眼鏡を手にして、
「そこの兄さん、兄さん。これ覗いてみいな」と声を掛けてきたのだ。
「何が見えるの?」
「何がて、兄さん。そら決まってるがな。え・え・も・ん。まぁいっぺん覗いてみいって。一回たったの3ルピーやから」

 僕らの間には言葉による意志疎通は全くなく、身振りと顔の表情だけで以上のような会話を交わしたのだが、「その手のいかがわしい会話」に言葉は必要ないものらしい。3ルピーを払ってその双眼鏡を覗くと、「いかがわしい」画像が見られる、という仕組みなのだろう。
 男は双眼鏡に丸いマガジンを挟み込んで、僕に手渡した。ひとつのマガジンには写真フィルムが10枚程入っていて、レバーを引くとマガジンが回転して、次の写真に切り替わる。昔の「学研」の付録にあったような単純な仕組みである。

 いざ、パキスタン流エロスの世界へ。そう思って覗き込んだのはいいけれど、中身は惨憺たるものだった。黒の下着姿で色っぽい表情をしている女性のポートレートが2,3枚あったが、それが限界だった。残りは、ドレスを着てフレームの外を眺めている女の写真や、映画のフィルムからそのまま拝借してきたらしいダンスをする男女の写真ばかりだった。もちろんヌードなどは一切ない。マガジンは全部で三つあったが、どれも同じような内容だった。
 しかしこの結果は半ば予想していた通りだった。ここがパキスタンだということを忘れてはいけない。どんなに頑張っても、黒の下着がギリギリのラインなのだ。

「これでおしまいなのかよ?」
 僕は不満たっぷりという顔をして、男に双眼鏡を返した。パキスタンではこれが限界ギリギリなのかもしれないが、これで金を取られるのは納得できない。
「ええもんが見られましたやろう?」
 それでも男はニヤニヤした表情で言った。彼が本気でこのお粗末な写真を「ええもん」だと思っているのか、それとも最初から馬鹿な男を引っかけて小銭を稼ぐつもりなのかは、僕にもわからなかった。パキスタン人はあの下着姿の女を見ただけでも、「おお、こいつはすごい!」と歓声を上げるのかもしれないから。

「ほな、お代は9ルピーやね」と男は手を出した。
「9ルピー? おいおい、最初は3ルピーだって言ったじゃないか」
「ああ、確かに言うた。せやけど、わしはひとつのマガジンが3ルピーって言うたんや。あんたは3枚見たやろう? せやから9ルピー。なんか文句ありますやろか?」
 そんなぬけぬけとした感じで(もちろん大阪弁で喋っていたわけじゃない)、男は言ったのだった。僕は男の厚かましさに腹を立てるよりも先に、思わず吹き出してしまった。

「おっさん、よう言うわ・・・まぁええ。9ルピー取っとき」
 僕が仕方なく金を渡すと、男は「まいどおおきに」という感じで、受け取った金を大事そうにポケットにしまい込んだのだった。