いま欲しいものはバナナ

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 カンボジアの農村を旅している間、若い僧侶と話をする機会が何度かあった。シェムリアップ近郊の僧侶は語学の習得に熱心な人が多いから、外国人を見つけると積極的に英語で声を掛けてくるのである。

 そんな僧侶の一人であるハン君は、僧院に入って五年になる十九歳の青年である。つま先から頭の先までしっかりと日焼けして、細身ながらがっちりとしている。いかにも農家の息子といった体格だ。聞いてみるとやはりシェムリアップから南に100キロほど行ったところにある貧しい農村の出身だという。

「田舎の学校では満足な教育が受けられないんです。僕は外国語を勉強したかったんですが、家が貧しくて私立の学校へは行けなかった。だから僧侶になったんです。ここなら英語の出来る僧侶が毎日英語のレッスンをしてくれます。もちろんお金はかかりません」
 僧侶になれば衣食住の心配はいらないし、そのうえ英語の勉強も出来るということなのだ。

「それじゃ、何年かしたら僧院を出ていくんだね?」
「ええ、僧侶を続けるつもりはありません。いつかここを出て、普通の暮らしをします。いい仕事が見つかればの話ですが」
 いい仕事、とはもちろんシェムリアップで外国人観光客を相手にする仕事である。

ca04-3299「ここでの生活は厳しいんです」とハン君は言う。「起床は朝の四時。食事は六時と十一時の二回だけです。夕食は食べません」
 食べ盛りの時期に一日二回の食事は辛い。睡眠時間も短いから、彼はしょっちゅうあくびをしている。
「もちろんおなかは空きますよ。そんなときはお茶に砂糖を入れて飲むんです。それでしのげます。ココナッツジュースは午前中に飲むのは構わないのですが、午後に飲むのは禁止されています」
「どうして?」
「さぁ僕にはわかりません」と彼は苦笑いする。「とにかくそう決まっているんです。僧侶は結婚してはいけない。女性に触ってはいけない。お酒を飲んではいけない。それから我々は歌を唄ってもいけないんです」

ca04-4168 また「どうして?」と言いそうになったがやめておいた。どうせ「僕にはわかりません」と言われるだろうから。僧侶は普通の人と違う世界に住んでいるのだから、様々なタブーがあるのは当然なのだろう。
「今一番欲しいものは何?」と訊ねると、彼は迷わずに「バナナ」と答えた。その答えがあまりにも素直だったので、僕は思わず笑ってしまった。

「どうして笑うんです?」
 ハン君は不思議そうな顔で訊ねた。
「ごめんなさい」僕は笑いをかみ殺して言った。「なるほど、君は今バナナが食べたいんだね」
「ええ、バナナやマンゴーが好物なんです。とにかくバナナをお腹一杯食べたい。それが望みです」

 ハン君はあくまで真面目な顔で続けた。僧院での生活というのは俗世間の煩悩を断ち切るための修行の場なのだが、それを十代の若者に求めるのはちょっと酷である。ゆっくり眠りたいし、満腹になるまで食べたい。それが彼らの偽らざる本心なのだ。

 僧院での出家生活を将来のためのステップだと割り切っている若者はハン君だけではなかった。英語を話す僧侶は多かれ少なかれそのように考えていた。真面目に仏教に取り組んでいる人ももちろんいるのだが、それ以外にも勉強のために僧院を選んだ人や、生活苦からお寺に預けられた子供もいる。カンボジアの僧院はそういう様々な若者を受け入れる受け皿の役割を果たしているのだ。

 
 

教室に入らない少女

ca04-4073 小学校にお邪魔して、授業の様子を覗いてみたことも何度かあった。何しろ子供の数が多いので、自転車で少し走ればすぐに学校が現れるのである。カンボジア人らしいおおらかな性格は学校の先生でも同じで、見知らぬ外国人が廊下から授業の様子を覗き込んでいても、文句を言われたり嫌な顔をされたことは一度もなかった。

 しかしこの先生達のおおらかさは、教室の中での生徒達の勝手気ままさを助長しているようにも見えた。カンボジアの小学校は一クラス五十人ぐらいなのだが、授業に集中している子供はほんの一握りだけで、あとは黒板に背を向けて悪戯をしている子供や、ノートをびりびりと破いて散らかしている子供、廊下で待っている他のクラスの子と大声で話す子供なんかが目立つ。それも先生に隠れてこそこそというのではなくて、実に堂々としている。学校は遊び場だと思っているような雰囲気である。もし日本で同じことが起こっていたら、間違いなく学級崩壊として教育委員会が調査に乗り出すんじゃないかと思うほどだ。

ca04-4106 田舎の学校では高い教育は望めないのだ、と僧侶のハン君は言ったが、実際の授業の様子を見れば、なるほどその通りだなと納得してしまう。徹底的な管理教育を施せばいいというものでもないだろうが、それにしてもここは自由すぎる。これでは私立の学校に通わせるお金持ちの子供との教育機会の格差は、ますます広がるばかりだ。

 現在のカンボジアの公立学校に求められているのは、「みんなが学校に通える」という教育の量の拡大であって、質の向上に目が向けられるようになるのはもう少し先のことなのだろう。カンボジアの農村には、小学校にすら通えないという子供が数多くいるという現実も確かにあるのだ。

 僕が訪れた小学校でも、授業の様子を廊下から眺めているだけの女の子がいた。授業開始を知らせる鐘がカンカンカンと打ち鳴らされて、校庭で遊んでいた子供達が足早に教室に駆け込んでいっても、彼女だけはずっと廊下に立ったままなのだ。仲間外れとか、罰を受けているわけではなく、自分の意志で教室に入らないのだ。義務教育は授業料を取らないはずだから、みんなと一緒に授業を受けられないはずない。家が貧しくて教科書やノートを買うお金がないのだろうか。それとも全く別の事情があるのだろうか。

 少女は分数の足し算の授業を窓越しに覗き込んでいたが、その内容を理解しているのかどうかはわからなかった。唇を真一文字に結び、壁にもたれかかったままの姿勢で、じっと黒板を見つめている。その視線は不思議なほど中立的だった。何の感情も含んでいないようでもあり、全ての感情を含んでいるようでもある。そんな少女の横顔には静かに心を打つものがあった。

ca04-4120 僕がその横顔にレンズを向けてシャッターを切ると、耳慣れない機械音に気付いた彼女が不思議そうな顔で僕の方を向いた。「授業の邪魔をしてごめんね」という気持ちで微笑みかけると、真一文字に結んだ彼女の口元に笑顔のカケラのようなものが浮かんだ。僕らが交わすことができたコミュニケーションはそれだけだった。

 算数の授業が終わって生徒達が教室の外に出てくると、少女はそれを避けるようにして学校から姿を消した。彼女が教室に入らなかった理由は、結局最後までわからなかった。