ネパールの山村には、顔つきの全く違う人々が共存していた。僕が旅したダーディン周辺では、インド・アーリア系の血を引くヒンドゥー教徒と、日本人によく似たチベット・ビルマ系の仏教徒が、だいたい六対四ぐらいの割合で暮らしていた。

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 不思議なのは、明らかに違うふたつの顔があるのに、その中間に位置する顔立ちの人をほとんど見かけないということだった。ヒンドゥー教徒が住む村と仏教徒が住む村は、多くの場合隣り合っているし、しょっちゅう顔を付き合わす関係にあるのだが、異教徒同士が結婚して子供を作るということは、まずあり得ないのだという。

ne04-3790 それが身分制度カーストのせいだと教えてくれたのは、ハイスクールで英語を教えている先生だった。
「農村ではほとんどの場合、結婚相手は親が決めます。子供はそれに逆らうことはほとんどない。親が望む結婚相手は、同じカーストかあるいは近いカーストです。自分たちがそうしてきたからです。特に異教徒との結婚に賛成する親はまずいないのです」

「でも、カーストはかなり前に廃止されたんですよね?」と僕は訊ねた。インドでもネパールでもカースト制度はとっくの昔に禁止されたと聞いていたからだ。
「その通りです。公の場にはカーストは存在しません。しかし人々の間には、カーストによる差別意識が今でもはっきりと残っています。私は長年都会で暮らしていたから余計にそう思うのでしょうが、町よりも農村の方がカースト意識は強い気がしますね」

ne04-3706 この地域に人が住み始めて既に二、三〇〇年は経っているのだが、その間ほとんど混じり合わず、敵対もせず、隣り合って共存してきたのは、カーストという強い枠組みがあったからなのだろう、というのが先生の意見だった。

 彼が教えているハイスクールの教室にも、民族のモザイク状態がはっきりと見て取れた。小さな村にもたいていひとつはある小学校と違って、ハイスクールは大きな村にしかない。だから、違う村に住み、カーストや民族も異なる生徒が集まってきているのだ。中には片道二時間もの道のりを、毎日歩いて通ってくる生徒もいるという。

ne04-3875 長い道のりをわざわざやってくるだけあって、ハイスクールの生徒達の表情は真剣そのものだった。私語も授業中の出入りも全く自由で、やりたい放題という感じだった小学校の雰囲気とは全く別物だった。さほど広くない教室に一〇〇人ほどの生徒がぎっしりと詰め込まれているので、部屋の中は息苦しいほどだったが、生徒達は黒板に書かれた例題を黙々とノートに書き写していた。

「人々のカーストに対する意識も、しばらくすれば変わると思いますよ」と先生は言った。「子供達はカーストに関係なく同じ教室で勉強しているし、宗教に関係なく友達になります。その彼らがお互いを好きになり、結婚したいと思うようになるのは、自然の成り行きじゃないでしょうか?」
「そう思います」と僕は頷いた。

 カースト制度による職業や婚姻関係の固定や、移動手段が徒歩しかないという地理的な条件が、ネパールの山村を閉鎖的にしているのは確かである。しかし、それが変化しつつあるという兆しは、ハイスクール以外の場所でも見ることができた。

 村人の手で作られた小さな水力発電所や、外国へ出稼ぎに行ったことのある男が話す英語、ハイスクールに一台だけ置かれたコンピューターは、ネパールの山村を少しずつ変えていく原動力になるだろうと思った。

 
 

貧しさとは何だろう?

ne04-3433 「まっすぐな瞳」を持つ少女・サリタと再会してから、僕はずっと「貧しさとは何だろう?」「夢を見るとは、一体どういう事なのだろう?」と考えながら旅を続けた。難しい問題だった。考えれば考えるほど、答えなんて出てこないような気がした。

 僕はサリタにしたのと同じように、「将来の夢は何?」という質問を行く先々でぶつけてみた。「先生になりたい」とか「エンジニアになりたい」といった優等生的な答えを返してくる子供もいたけれど、サリタと同じようにきょとんとした表情で黙ってしまう子の方が圧倒的に多かった。そんな子供達の姿を数多く見ていると、「夢を見るという行為は、誰もが持つ普遍的なものだ」という考え自体が誤りなのではないかと思うようになった。

 貧しさというのは、他人と自分とを比較することによって、はじめて「発見」されるものなのだと思う。ネパールの山村のような外部との交流の少ない村社会の中で、昔と変わらない日々を送っている限りは、貧しさを意識することもなければ、豊かさを渇望することもない。そういう淡々とした穏やかな日常の中では、自分以外の何者かになろうとする——つまり夢を見る——必要はないのではないだろうか。

ne04-2102 だから、僕は「サリタが夢を見ないから不幸な境遇にあるのだ」という風には考えない。彼女が豊かなのか貧しいのか、幸せなのか不幸せなのかは、外からやってきた旅人にはわからないことなのだ。「変化し続けることが豊かさの証だ」という資本主義社会の原則的な価値観の下で育ってきた僕らが、それとは全く違う社会に暮らす人々を貧しいと決めつけるのは、やはり傲慢であると思う。

 貧富の差を意識しない場所に、貧しさは存在しない。だからネパールの山村は貧しくはない。しかし、これから山村の閉鎖性が徐々に失われていくに従って、人々が貧しさを「発見」することになるのは避けられないことだと思う。電気が普及し、道路が整備され、多くの人やモノや情報が行き交うようになるという近代化の流れは、あまねく世界に広がっているからだ。

 アラブ首長国連邦(UAE)のドバイに出稼ぎに行ったことのあるという若者が、僕にこんなことを言った。
「ネパールの方がUAEよりもずっと豊かさ。確かにUAEは金持ちの国だよ。オイルマネーが腐るほどあるから、アラブ人達は働かなくたってとても良い生活が送れる。でも、あの国にあるのは石油と砂漠と、そしてあの傲慢なアラブ人だけだ。彼らはありとあらゆるものを外国から買っているんだ。トマトも自動車もレストランのコックも飛行機のパイロットも、みんな外国製なんだ。そんな国が豊かだとは思えないね。石油が出なくなったら、後には何も残らないよ」

ne04-0851 彼は軒下にぶら下がっている揺りかごをそっと揺らせた。かごの中には生まれたばかりの長女が小さな寝息を立てていた。
「俺が子供の頃は、この村の外に何があるのかなんて全然知らなかった。だけど、とにかくここを出ていきたかった。金を稼いでリッチになりたかったんだ。それでUAEに行った。でもやっぱり故郷に戻って、ここで暮らすことに決めたんだ」

「どうして?」と僕は訊ねた。
 彼は揺りかごを揺らす手を止めて、しばらくの間次の言葉を考えていた。
「ネパールには石油も出ないし、仕事もない。でも、ここには新鮮なミルクを出す牛がいる。美しいヒマラヤと綺麗な空気と澄んだ水がある。これはアラブ人には絶対に手に入れられないものなんだ。何億ドル積んだってね」
「その通りだね」と僕は頷いた。「それは僕ら日本人にも手に入れられないものだよ」

 貧しさが他者との比較によって「発見」されるものだとしたら、豊かさもまた発見されるものなのだ。彼の言葉はそのことを僕に教えてくれた。

 やがてサリタが自分の村の外にある世界を知ったときに、彼女が発見するのは故郷の貧しさなのだろうか。それとも故郷の豊かさなのだろうか。そんなことを考えながら、僕は首都カトマンズへ帰るバスに乗り込んだ。

 

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