ペトラの巨大遺跡

6114 アカバの町からヨルダンを代表する観光地ペトラに向かった。

 ペトラは2000年以上前から交易の中継地として栄えた古代都市で、巨大な岩盤をくり抜いて作った数多くの遺跡がある。中でも高さ30mの宝物殿「エル・ハズネ」は、映画「インディー・ジョーンズ」の舞台になったことでも有名だ。

 
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バグダッドから来た運転手

 ペトラに一泊したあと、マアーンという町に向かった。マアーンはヨルダンを縦断する道路「デザート・ハイウェー」が走る交通の要衝である。しかし、それ以外にはあまり特徴のない凡庸な町だった。町の中心には銀行と小さな商店街とモスクがあり、ハイウェーには昼夜を問わずタンクローリーや大型トラックが行き交っていた。

 デザート・ハイウェーは道幅も広く、整備の行き届いた道路である。ヨルダンは総人口が500万人というラオス並みの小国であり、しかも隣国のサウジアラビアやイラクと違って石油が出ないのだが、それにもかかわらず道路をはじめとする社会インフラが整備されているのは、外国からの資金援助のお陰だという。イスラエルやイラクといった紛争の火種を抱えた国々と国境を接するヨルダンは、欧米から見て戦略的に重要な国なのだ。

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水煙草を吸うイラク人運転手

 そのデザート・ハイウェーを歩いているときに、イラク人の男と出会った。バグダッドからアカバまで石油を運んでいるタンクローリーの運転手だった。男は道端に車を停めて、水煙草で一服していた。ガスバーナーやチャイセットまで車に積み込んでいるのは、さすがにアラブ人である。

「俺には息子が二人いるんだが、どちらもトラックの運転手をしているんだ。長男は大学で建築学を学び、次男はコンピューターを学んだ。だが、その技術を生かせるような仕事がイラクにはないんだ」
 男は水煙草の白い煙を吐き出しながら言った。湾岸戦争後のイラク経済は、アメリカを中心とした経済制裁を受けて行き詰まっていた。石油は豊富に採れるのだが、それを自由に売ることができなかったのだ。生活必需品も滞るほどの物不足に陥ったという。しかし最近になって制裁措置が緩和され、ようやくタンクローリーを使って石油輸出が再開されたのだった。

「アメリカはイラクの石油を自分のものにしようと狙っているんだ。でも俺たちはそんなことはさせない。戦争にだって負けちゃいない。その証拠にサダム・フセインはまだ俺たちのリーダーだ」
 男は一服を終えると、水煙草を大事そうにしまい込んで運転席に乗り込んだ。そして出発する直前に窓からひょいと顔を出して、こう言い残した。
「そう言えば、あんたら日本人は湾岸戦争の時にアメリカに協力してたよな。俺たちはそれを忘れちゃいないからな」

 

 

美空ひばりを愛するヨルダン人

6174 偶然というのは続くものらしい。アカバの町で日本人と結婚したヨルダン人のイマダブと泳ぎに行ったばかりだというのに、ここマアーンの町でもまたヨルダン人と日本人の夫婦に出会ったのだ。
 デザート・ハイウェー沿いにある「イスタンブール」という名前のスーパーマーケットが、その夫婦の経営する店だった。ヨルダン人の夫アリさんと大阪出身の奥さんが出会ったのが、留学先のイスタンブールの大学だったことに因んで名付けられたらしい。

 アリさんは日本に8年住んでいたので、日本語はペラペラだった。
「こんにちは。僕の名前はアリといいます」と彼は僕に挨拶した。それから「アリ言うても、昆虫のアリやないで」と言って、机の上に手を置いて、人差し指と中指でちょこちょことアリが歩き回る真似をしてみせた。イントネーションも口調もコテコテの大阪弁だったし、お約束の「つかみ」ネタも、大阪のおもろいおっちゃんそのものだった。

 

6344「僕はトルコ人とヨルダン人のハーフなんやけど、日本人の奥さんと結婚してから、大阪のガラス会社で3年間働いとったんや。それから長野県に引っ越して、牧場で5年働いた。全部で8年も日本におったけど、振り返ってみるとあっと言う間っちゅう気もする。牧場の仕事は面白かったけど、そこの牧場長がけったいな奴でなぁ。仕事もでけへんくせに、人に命令ばっかりしよる。そういう人いてるやろう? だから僕社長に言うたんや。『もうここで働くの嫌です。辞めます』って。ほな社長が言わはったわ。『それやったらアリ、お前が牧場長をやってくれへんか』って。それで僕が牧場長になったんや」

 最初は外国人が牧場長をやることに抵抗を感じる日本人の従業員もいたけれど、彼の真面目な仕事ぶりと面倒見の良さは、次第に誰もが認めるところとなったのだという。彼のざっくばらんな話しぶりを聞いていると、それがよくわかった。
「でも、結局ヨルダンに帰ることにしたんや」
「どうしてですか?」
「日本も楽しかったけど、やっぱり僕はヨルダン人やしな。子供らもこっちで育てたかった。それで日本で働いて貯めたお金で、この店を始めたんや」

 アリさんの店は、小さいながらも結構繁盛している様子だった。僕らが話している間にも、近所の子供がお菓子を買いに来たり、ハイウェーを走るドライバーがジュースや煙草を買いに寄ったりしていた。
「忙しそうですね」と僕は言った。
「まぁ確かに忙しいことは忙しいけど、前と比べたら全然やなぁ。今は僕とあと一人だけでやっているけど、前は5人も雇ってたんやからな。最近ヨルダンの景気があんまり良くないんよ。理由は僕にもようわからんのやけどな」

 

6222 レジの脇に置かれたラジカセからは、美空ひばりの「悲しい酒」が流れていた。まさかヨルダンで演歌を聴くとは思わなかった。お酒も飲めない国だというのに。
「演歌は好きでいろいろ聞くけど、やっぱりひばりが一番やな。歌がむちゃくちゃ上手いわ」
 アリさんは満足そうに言った。日本で買ったカセットテープは彼の宝物なのだ。
「奥さんが演歌好きだったんですか?」
「それがちゃうねん。うちの奥さんは演歌なんて聞きよらへん。好きなのは僕。日本に行ってから、ずっと演歌ばっかり聞いてるんや」
 美空ひばりの歌声を聞きながら、僕はトルコのバスで流れていた歌謡曲が日本の演歌に似ていたことを思い出した。ウェットでどことなく哀愁を帯びたメロディーだった。だからトルコ人とヨルダンのハーフであるアリさんが演歌好きなのは、それほど意外なことではないのかもしれない。

 

6324 僕はアリさんに奇妙な結婚生活を続けるイマダブの話をした。
「彼がヨルダンの日本大使館で聞いた話だと、過去15年間で日本人と結婚したヨルダン人は7人しかいないんですって。アリさんもそのうちの一人でしょう?」
「まぁなかなか珍しいわなぁ。でも実は、僕の身内にももう一人おるねん」
「誰ですか?」
「僕の弟。その結婚相手いうのがね、僕の奥さんの妹やねん。おもろいやろう? 二人は僕たちの結婚式で知り合って、結婚してしまったんや」
「その二人もヨルダンに住んでいるんですか?」
「そうや。このマアーンの町に住んどるよ」

 それを聞いて、世間ってのは意外に狭いものだなと思った。特に探し回っているわけでもないのに、過去15年の間にヨルダン人と結婚した7人の日本人のうち、3人の消息が掴めてしまったのだ。
「次は君がヨルダン人の女の子と結婚したらええねん」
 アリさんはまた冗談を言って僕を笑わせた。

 

 

美少女の町・サルト

6365 結婚したいとまでは思わないにしても、僕が見た限りではヨルダンには綺麗な女の子が多かった。特に首都アンマンからバスで30分ほどのところにあるサルトという町では、目鼻立ちがはっきりとした美少女を何人も見かけた。
 ヨルダンの町はのっぺりしたコンクリート住宅が建ち並ぶところが多かったが、サルトは珍しく味わいのある町だった。小高い丘の斜面に沿って家が建ち並び、その間を急な階段と狭い路地が網の目のように通っていた。家の多くはオスマントルコの支配下にあった100年近く前に建てられたもので、黄色い壁と丸く縁取られた窓枠に特徴があった。

 特に「サルトで一番の美人姉妹」と僕が勝手に名付けた姉妹は、どの子も手足がすらりと長く整った顔立ちをしていた。外の強い日差しにも負けない輝きを持った女の子達だった。
 もちろん僕は彼女達にカメラを向けた。カメラを向けると、その笑顔はいっそう輝いた。稀ではあるけれど、そういう子もいるのだ。家の中からスカーフを被った太ったおばさんが姿を現したのは、そんな時だった。棍棒のような腕と、大きく揺れるお腹と、分厚い脂肪でたるんだ顎。おそらく100kg以上はあるだろうという巨体だった。しかし顔のパーツだけを見れば、このおばさんが少女達の母親であるのは間違いなかった。

 僕が笑顔と身振りを使って「お子さん達がかわいいものだから、写真を撮っていたんです」と説明すると、母親は「そうだろう、もっと撮ってやってくれ」とにこやかに応じてくれた。自慢の娘達なんだろう。

 

6339 しかし、顔には出さないものの、僕は心の中で大きなため息をついていた。この少女達も将来はやはりこの母親のように太ってしまうのだろうか? イエス。間違いなくそうなるだろう。女性が表に出て働くこともエクササイズの場もないアラブの地では、何人も子供を産んだ女性は当然のようにむくむくと太ってしまうのである。これはあらかじめ体内に仕掛けられた時限爆弾のようなもので、避けようがないのだ。
 それを考えると、この子達の輝きがより貴重なもののように感じられるのだった。

 
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