職業は美少女写真家?
旅先で出会った人と話をしているときに、「職業はなんですか?」と聞かれることがたまにあるのだが、そんなとき僕はいつも返答に困ってしまう。決まった職に就いているわけではないし(もしそうだったら何ヶ月にも渡る長旅なんてできるはずがない)、かといって眩しそうに空を見上げながら「ただの旅人ですよ」なんて呟くような柄でもないからだ。
一度冗談で「美少女写真家です」と言ってみたことがあったのだが、口に出してみると案外それも肩書きとしては悪くないんじゃないかと思うようになった。職業かどうかはともかくとして、僕が外国を旅する目的のひとつは写真を撮ることだし、被写体として選ぶのはほとんどが人であり、それも綺麗な女の子にレンズを向けがちだという傾向があったからだ。
世の中には星空を専門に撮る写真家もいれば、世界中の海に潜って珊瑚礁を撮り続けている写真家もいる。鉄道ばかり撮る人もいれば、廃墟を巡って写真を撮っている人だっている。だから世界を旅しながら美少女を撮り歩いている人間が一人ぐらいいても、別におかしくはないと思うのだ。
被写体として少女の存在を強く意識するようになったのは、ネパールを旅した頃からだった。ネパールが美女の産地として有名だという話はあまり聞いたことがないのだが、どういうわけか僕が出会う女の子はみんな美しいスマイルの持ち主だったのだ。ただ顔立ちが整って美しいというだけではなく、表情が実に生き生きとしていて、瞳が宝石のように光り輝いている少女がネパールには何人もいた。その瞳の輝きに吸い寄せられるように、僕は毎日少女を撮り歩いた。言うまでもなく、それは素晴らしい経験だった。
もちろんネパールの山村に住む少女達は写真を撮られることに慣れてはいない。ネパール人にとって写真はまだまだ貴重なものであり、個人でカメラを所有している人はまずいないからだ。大きな一眼レフカメラを向けられた経験なんて、今までに一度もないに違いない。
それにもかかわらず、ネパールの少女達は見知らぬ外国人——つまり僕のことだ——が目の前に現れて突然カメラを構えても、恥ずかしがって逃げ回るわけでもなく、無理に笑顔を作るわけでもなく、ありのままの自然な表情で見つめ返してくるのである。その傾向は美しい女の子ほど顕著だった。美少女はいつも堂々としていて、決して物怖じしない。彼女達は「美しさの自覚」とでも言うべきものを自然に身に着けているようだった。
特別な輝きを持った少女
僕がネパールを最初に訪れたのは、2001年3月だった。一週間かけてネパールの山村を歩き回っていたときに立ち寄った村で、一人の少女と出会った。年は六歳か七歳ぐらいで、腕に幼い弟を抱きかかえて、柱の影からこちらの様子を窺っていた。僕と目が合うと恥ずかしそうに顔を少しだけ背けたが、笑いかけると安心したように頬を緩めた。どこにでもいる、ごく普通の田舎の娘だった。でも彼女の瞳にははっと息を飲むほどの輝きがあった。
特別な少女なんだ。ファインダーを覗いた瞬間、僕はそう感じた。彼女はある時期に現れて、ある時期を境に消えてしまう特別なオーラを身に付けた少女なのだ。シャッターを切るたびに、彼女は違う表情を見せた。まだ生え揃っていない前歯を見せて無邪気に笑ったかと思うと、その次の瞬間には母性の芽生えを感じさせるようなまなざしで、腕の中の幼い弟をじっと見つめたりした。
少女と僕が一緒に過ごした時間は十分にも満たないほどわずかなものだったにもかかわらず、彼女のまっすぐな瞳の輝きは暗闇を飛ぶ蛍が残す光跡のようにいつまでも僕の記憶の中に留まり続けた。ネパールを離れて他の国を旅しているときも、日本に帰ってからも、僕は彼女のことをたびたび思い出した。
僕は彼女についてほとんど何も知らなかった。年齢も名前も家族構成もわからない。ただ数枚の写真が手元に残っただけだった。しかしだからこそ、想像の余地はたくさん残されていた。あの子は毎日どのような生活を送っているのだろう。何を食べ、何を学び、何を幸せに感じて生きているのだろう。どのような夢を持っているのだろう。そんなことを繰り返し何度も考えるうちに、実際に彼女の口からそれを聞いてみたいという思いが強くなっていった。
そんなわけで最初の出会いからちょうど三年後、2004年の春に僕は再びネパールの山村を歩くことにした。
少女の輝きは一瞬のもの
少女との再会自体はそれほど難しいものではなかった。住所も名前も知らなかったけれど、彼女が住んでいた村の名前とだいたいの場所は覚えていたから、そこに辿り着くことさえできれば、あとは村人に写真を見せて「この子を知っていますか?」と聞いて回ればいいだけだった。ノリとしては指名手配犯を捜す刑事みたいなものだが、それよりはずっと簡単である。これが日本の都会であれば、隣人の写真を見せられても「さぁ、知りませんねぇ」なんて言う人がいても全然おかしくないのだけど、ネパールの農村では村中みんなが知り合いだから、「ああ、この子なら知ってるよ。俺についてきな」ということになるのだ。
親切なおじさんに案内してもらって、僕は少女の家に向かった。この子の名前はサリタっていうんだ、とおじさんは教えてくれた。サリタの家は村のメインストリート(と言ってもたいしたものではない)の裏手にある斜面に建てられていた。豊かとは言えない村の中でも、とりわけ貧相な作りの家だった。石の積み方も雑だったし、屋根は今にも崩れ落ちてきそうだった。
戸口に立って部屋の中を覗いてみると、暗がりの中で赤ん坊に乳をあげている女の姿が見えた。整った顔立ちの若い女だった。彼女はサリタの母親だよ、と親切なおじさんは言った。僕が「ナマステ(こんにちは)」と声を掛けると、彼女は困惑したような表情で「ナマステ」と言った。見知らぬ外国人が家の前に立っているので、びっくりしているようだった。
僕は突然訪問したわけを母親に英語で説明した。
「三年前、僕はこの村である少女の写真を撮ったんです。とてもかわいい女の子でした。今日はその写真を彼女に直接手渡そうと思って、またここにやってきたんです。彼女はサリタという名前だと聞いたんですが、この家の子供ですか?」
もちろん母親は英語がまったくわからないから、ネパール人のトレッキングガイドに訳してもらった。僕はどの国でも一人で気の向くままに旅するのを好むのだけど、ネパールだけはガイドを雇って旅をした。一度山に入ってしまえば道はあって無きようなものだから、土地に詳しい人に道案内をしてもらう必要があったからだ。それに、ネパールの農村には旅人が泊まれるような宿は一切なく、したがって普通の民家に寝泊まりさせてもらうことになるのだが、ネパール語を話すことができない僕がそういった交渉をするのは不可能だという事情もあった。もちろんこのように地元の人と複雑なコミュニケーションを取る必要がある場合も、英語がわかるガイドの存在は心強かった。
ガイドの説明で、母親はようやく事情を飲み込んでくれたらしく、にこやかに僕を家の中に招き入れてくれた。明かりがひとつも灯っていないので、昼間なのに部屋は真っ暗だったが、その暗さに慣れてくるにしたがって、部屋の隅っこに三人の子供が並んで座っているのが見えてきた。男の子が二人と、女の子が一人・・・いや、よく見ると一番年上の子はショートカットにしている女の子のようだ。年は八歳か九歳ぐらい。ということは、彼女がサリタなのだろうか。
「君がサリタなの?」
僕が指を差して呼びかけると、彼女は「何だろう?」という顔で母親の方を見た。
「そう。この子がサリタよ」と母親は頷いた。
さらに二歩三歩と近づいてみると、サリタの顔がはっきりと浮かび上がってきた。僕が「ナマステ」と挨拶すると、彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。はにかんだ表情は三年前と同じだった。間違いない、あのときの少女だ、と僕は思った。
サリタはこの三年でずいぶん成長していた。身長もぐっと伸びていたし、顔の輪郭もシャープになっていた。最初男の子かと思ったのはショートカットの髪型のせいだけではなく、彼女の顔からあどけなさがさっぱりと消えてしまったからでもあった。三年前の「無邪気で奔放な女の子」という印象から一変して、今のサリタは「控え目でシャイなお姉さん」になっていたのだ。
もちろんサリタが可愛らしい少女であることは、今も変わっていない。でも、かつて目撃したような圧倒的なまでの輝きを、今の彼女の中に見出すことはできなかった。やはりあのときに感じた特別なオーラは、ごく短い間だけしか身につけることができないものだったのだ。
少女にとって、三年という年月は決して短くはない。青虫がサナギを経て蝶になるように、ヒヨコの羽毛が生え替わって鶏になるように、人も日々成長し変わっていく。その変化がもっともドラスティックに起こるのが少女期なのだと僕は思う。
サリタがかつての特別な輝きを失っていたのは、とても残念なことだった。しかし成長したサリタの姿は、少女期に宿る輝きの本質が「移ろいゆく儚いものである」ということを改めて僕に教えてくれた。それは風に揺らめく蝋燭の炎のように、あるいは作ったばかりのシャボン玉のように、脆くて儚いものなのだ。
その輝きは少女にとって一生に一度だけのものかもしれない。だから僕は「写真」という永遠のフレームの中に、その一瞬の輝きを捉えたいと願うのだ。そのために僕は見知らぬ土地を歩き回り、何千回もシャッターを切り続けているのだ。