「―――白い砂浜と緑したたる椰子の並木。コバルト・ブルーに輝く吸い込まれそうなぐらいに透き通った海。椰子の木陰にパラソルを開いて日光浴をするツーリスト達―――」
ニャチャンとはそういうところだと、ガイドブックには書いてある。ベトナム随一のリゾート地であると。
でもクリスマス過ぎのニャチャンには、そんな開放的な空気は全くなかった。その代わりにあるのは、人気の少ない海岸道路と、吹きすさぶ強風と、陰鬱な灰色の空と、ゴミだらけのビーチである。
「岸壁の母」のワンシーンにでも使えそうな大波が、ザッバーンと音を立てて砂浜に打ち付けている。もちろんビーチ・パラソルなんてお気楽なものは、ただのひとつとして開いていない。鉛色の空からは、細かい雨が降り続いている。これのどこがビーチ・リゾートだよ、と言いたくなるような光景だ。
それでも一組の欧米人カップルが、果敢にも水着姿で海に向かって走っていく。男の方は競泳用、女の子もビキニ姿。まったく、彼らの温度感覚というか、何が何でも海に入ってやろうという思いには呆れるほかない。成せばなる、というやつである。
でももちろん、カップルは強い波に2、3度洗われてから、諦めてとぼとぼと引き上げてくる。「とにかくニャチャンに来て海に入ったんだから、それでいいじゃないか」と男が女の子に言い聞かせているようにも見える。女の子だって、まさか本気でこの海に挑もうとは思っていない。
「せっかく水着を持ってきたんだからさ、一度ぐらい入ってみたっていいでしょう?」そんなノリなのだ。
カフェで荒れた海を眺める
僕はビーチ沿いのカフェでオレンジジュースを飲みながら、その無謀な欧米人カップルの姿を見ていた。オレンジジュースはハノイやフエにある普通のカフェの2倍はする値段である。オフシーズンのくせに、値段はハイシーズン並みなのだ。
ニャチャンの海岸通りには、高そうなところから庶民的な店まで、各種のカフェやレストランが立ち並んでいたが、どこも見事なぐらい客が入っていなかった。僕以外の2、3組のツーリスト達も、みんなぼんやりと荒れた海を見ていた。荒れた海を眺めるのが好きな人間は誰もいないと思うけど、それ以外にやることがないのだ。カフェの全ての座席は、海に向けて並んでいる。海は荒れている。だから荒れた海を見るほかない。
ところで、ベトナムのカフェでオレンジジュースを頼むと、ウェイターに「ホットにしますか?アイスにしますか?」と尋ねられることがある。
一体誰が熱いオレンジジュースなんて頼むんだろうと不思議に思って聞いてみたら、「アイス」は氷入りを、「ホット」は氷抜きのものを指しているのだそうだ。外国人の中にはベトナムの氷でおなかを壊す人もいるから、わざわざ「ホット」というメニューを用意しているらしい。でもどうせなら、「アイスか、アイス抜きか」とか、もう少しわかりやすく説明してくれても良さそうなものなのに。
カフェの従業員達は、暇を持て余してトランプに熱中していた。ときどき目の前のビーチを物売りたちが通り過ぎていく。右から左へ、左から右へ、舞台役者のように入れ替わり立ち代り、いろんな種類の物売りが登場しては去っていく。煙草、古いコイン、ガム、本、フルーツ、その他諸々。
片足が不具の物乞いが、悲しそうな目で汚れた帽子を差し出す。隣の席のご婦人は、物乞いなんて存在しないんだという風に、彼の背後にある荒れた海を見続けている。彼は諦めて僕の方に視線を移す。
《君達は1万5千ドンもするジュースを飲んでいるじゃないか。千ドンぐらい恵んでくれたっていいだろう?》
彼の目は、そう訴えかけているようにも見える。物乞いは僕の目をじっと見つめたまま、時々汚れた帽子を差し出す仕草をする。僕は男の視線に自分の視線を重ねながら、僕という人間はこの男の目にどのように映っているんだろうか、と考えてみる。
でも、結局は何もわからない。グラスの中の氷が、カタンという冷たい音を響かせる。高い波が海岸に打ち寄せては砕けていく。やがて物乞いは諦めて、片足を引きずりながら去っていく。
僕がニャチャンを訪れたのは、ビーチ・リゾートで日光浴をしようと思ったからではなく、ここがホイアンからホーチミン市に至る道のりのちょうど中間点に位置していたからだ。ついでだから、ここに一泊してみようとおもったのだけど、冬のニャチャンの退屈さは、僕の想像を超えたものだった。
ビーチには「なんだか間違ってたところに来ちゃったな」という顔をした(本当にそんな顔をしているのだ)欧米人ツーリスト達と、「どうせこんな日に客なんか来ねぇよ」という実にやる気のない態度のカフェの従業員しかいなかった。
市場にも全く活気がなかった。僕はベトナムを移動する間にいくつもの市場を見てきたけれど、程度の差はあってもどこにも活気があった。生活の匂いが溢れ、人々の怒鳴り合う声と鶏の鳴き声とが交じり合っていた。だけどニャチャンの市場というのは、ベトナムには珍しいぐらいに「しけた」市場だった。
まず観光客を相手にしたレストランからの需要がない。海が荒れているから、港からの魚の水揚げもない。そのうえ前日に降った雨で、市場の地面はぐちゃぐちゃにぬかるんでいる。
それでも商魂逞しいベトナムのおばちゃん達は、数少ない客をなんとか捕まえようと、すげ笠の奥で目を光らせている。でも彼女たちには悪いけど、この市場で買うようなものは僕にはなかった。
ベトナム三大娯楽。カラオケ、ビリヤード、無駄話
これといってすることもなく、雨も本格的な降りになってきたので、宿に戻って昼寝をすることにした。だがそれも、壁の向こうから聞こえてくるオヤジの歌声に邪魔されてしまった。宿の隣がカラオケ屋だったのだ。
この国では、基本的に女性は働き者で、逆に男の方はあまり熱心には働かない。安宿にいる男性従業員も、一日の大半をソファに横になってテレビを見ているような奴ばかりだし、シクロマン達も働くよりぐうたら昼寝をしている時間の方が長そうに見えた。奥さんに尻を叩かれないと、働く気にはならないらしい。
そんなベトナムの男達の三大娯楽といえば、カラオケ、ビリヤード、それに喫茶店での無駄話である。特にカラオケの人気は高く、町のあちこちに「KARAOKE」という看板が出ていて、開けっぱなしの窓からスピーカー音がガンガン鳴り響いていた。ベトナムには「防音装置」とか「周りの迷惑」という概念がないらしい。
カラオケ屋から聞こえてくるのは、だいたいが演歌っぽいベトナム歌謡曲だった。たまに日本の古い歌(もんたよしのり、長淵剛、そして何故かとんねるず)や、アメリカン・ポップスのスタンダード・ナンバーが流れてくることもあるが、ほとんどがベトナムの鳥羽一郎とかその類のあまり明るくない歌である。
昼下がりに、壁の向こうからベトナム風「兄弟舟」を聞かされると、外の天気と同じように気持ちまで湿っぽくなっていくのだった。
このようにオフシーズンのニャチャンというのは、灰色の絵の具を使って「退屈」というテーマの絵を描いているようなところだった。(そういえば町外れにあるツーリストのいないビーチでは、高校生達が海を写生していた。どういうわけで、彼らが雨降りの中、わざわざ荒れた海を写生しなくてはいけないのか、僕には理解できなかった。もしかしたら、相当に偏屈な美術教師がいるのかもしれない。でも学生たちは、けっこう楽しそうに筆を走らせていた)
にもかかわらず、この町は不思議と僕の印象に残っている。あの眠たげで半分投げやりな雰囲気というのは、ベトナムの他のどの町にもないものだったからだ。 だからといって、もう一度行ってみたいとは思わないけど。