ベトナムで一番よく食べたもの。それは『フォー』だった。フォーは米を原料にしたベトナム風うどんで、どこへ行っても食べられる最もポピュラーなベトナミン・ファストフードだった。
 細めの麺をざっと湯がいてどんぶりに入れ、あつあつのスープをかける。それにハーブやライムなどを好みに応じて入れて食べる。ハーブと言っても、見た目はその辺に生えている雑草と変わらないもので、本当にこんなもの入れて美味いんだろうか、と首をひねりたくなるのだけど、周りのベトナム人の真似をしてどんぶりに放り込んでみると、これがなかなかいけるのである。アバウトで刺激的。いかにも南国らしい味である。
 そんなわけで、僕は小腹が空いたなと思うと、迷わずフォー屋に入った。慣れない旅の緊張感で失っていた食欲も、フォーと共に回復していった。

1055 でも、ホイアンで入った屋台には、フォーはなかった。その代わりに、『カオラウ』という名前の汁無しうどんがあるという。
「ホイアンのカオラウ、とても有名」
 と屋台の女の子がカタコトの英語で言った。そこはままごとに使うみたいに小さな木のテーブルがふたつと、椅子が4つ並んだだけの小さな屋台だった。僕の他に客はいなかった。「じゃあ、カオラウをひとつ」
 僕が注文すると、彼女は「ちょっと待って」と言って、薪を持ってきて手頃な大きさに割り、マッチを擦ってかまどに火を起こした。まさか薪割りから始めるとは思わなかったので、ちょっとびっくりした。

「ごめんなさい。あなた、今日初めてのお客さん」
 と女の子は言い訳した。
「いいんだよ。時間はあるから」
 僕は首を振った。別に急いでどこかへ行く用事なんてないから、何も問題はない。むしろ、もう午後の3時を回っているというのに、まだ店にお客が一人しか来ていないということの方が問題のような気がした。

「場所が悪いんじゃないかな。ここは観光客もあまり通らない場所でしょう?」
 そう僕が言うと、女の子は黙って首を振った。それはしょうがないという意味なのか、僕の言ったことが上手く通じなかったのかはわからなかった。商売をやっているベトナム女性はとにかく押しが強く、釣った魚は絶対逃さずに尻尾まで食べてしまいそうな勢いがあるのだけど、このカオラウ屋は商売っ気がないというか、実にのんびりとしていた。学園祭の出店で、焼きそばを食べているような雰囲気だった。

 
 

日本人がベトナムに伝えた料理

 女の子の名前はチャン。20歳だという。だいたいベトナム人は年齢よりも若く見えるけれど、彼女も例外ではなかった。日本だったら中学生と言っても十分通用するぐらいの幼い顔立ちだった。
 チャンはかまどに火を起こしてから、湯を沸騰させ、麺を湯がいて、具を刻んだ。手際は悪くないのだけど、何しろお湯が沸くまで待たなくてはいけないから、出来上がるまでにたっぷり30分以上かかった。せっかくお客が来ても、これではしびれを切らして帰ってしまうかもしれない。

1004 それでも僕はチャンの小さな弟の相手をしながら、のんびりとカオラウの出来上がりを待った。
 待たされただけのことはあって、チャンが作ったカオラウは美味しかった。麺はフォーよりも太くてコシがあり、食感は日本のうどんにそっくりだった。タレは醤油風味で日本人の口にも合うものだったし、チャーシューと薬味の取り合わせもよかった。具として入っている細かく割ったせんべいの食感も面白かった。
「もう一杯もらえる?」
 と僕が言うと、チャンはまるで作文を褒められた生徒のように嬉しそうにはにかんだ。こういうところも全く素人商売だった。

 実はこのカオラウは、400年ほど前に日本人がベトナムに伝えた料理なのだそうだ。朱印船貿易が盛んだった頃、ベトナム沿岸部の町には、多くの日本人商人が海を渡ってやってきた。その中に伊勢からやってきた商人達がいて、彼らが故郷の伊勢うどんを懐かしがって作ったのが、カオラウの原型になったという。

 改めて地図を見れば、日本とベトナムが意外に近いことがわかる。少なくとも、今の僕らが「ベトナム」と聞いて感じる「距離」よりは、ずっと近い。日本から東シナ海と南シナ海を渡れば、そこにはベトナムがある。海を挟んだお向かいさんなのだ。

 
 

メリークリスマス

 次の日も、僕はチャンのカオラウ屋に行った。
「今日も僕が初めてのお客?」
 と聞くと、チャンは笑いながら頷いた。前の日よりも少しだけ打ち解けた笑みだった。

 チャンは昨日と同じように薪割りから始めたので、僕も昨日と同じように弟の相手をしながら出来上がりを待った。チャンは8人きょうだいの6番目で、姉さん達はみんな結婚してしまったので、今は自分が店を任されているのだ、と言った。

「仕事は大変?」と訊ねると、彼女は少し考えてから、「働くのは、好き」と言った。
「ボーイフレンドはいないの?」
「知り合う機会、ない」「ベトナムでは、どこで男女が知り合うんだろう?」「カフェとかバーとかで、仲良くなるみたい」
「でも君は行かないの?」そう聞くと、チャンは首を振った。
「私は行かない。ああいうところ、好きじゃないから」
 チャンはシャイでちょっと不器用ではあるけれど、働き者でいい子です、と僕が推薦したところで、彼女の力になってあげられないのが何とも残念ではある。

1260 僕は何人かのベトナム人に恋愛や結婚について聞いてみたが、まだまだ保守的な考え方が強いようだった。最近はカフェで知り合って二人でディスコに行く、というような都会的な男女も増えているらしいけど、誰も彼もが自由な恋愛を楽しんでいるわけではない。むしろチャンのようなシャイな人の方が多数派を占めているようにも思った。

 二杯目のカオラウを食べ終わり、僕が「明日の朝に出発するんだ」と言うと、チャンが「お客さん、いなくなる」と本当にしょげた顔をするので、思わず笑ってしまった。ホイアンは居心地のよい町だけど、二日もいれば十分だった。
「メリー・クリスマス」
 と別れ際にチャンが言った。
「なに?」「今日、クリスマス」
 腕時計を見ると、確かに今日の日付は12月24日、クリスマスイブだった。でも実際、ベトナムにいるとクリスマスのことも、ニューイヤーのことも、ほとんど関心がなくなってしまう。キリスト教徒でもないベトナム人たちが、クリスマスを盛大に祝う必要はないし、だいいちサンタクロースのあの着ぐるみみたいな格好は、東南アジアの蒸し暑い気候にまったくそぐわないものなのだ。

 そう考えると、キリスト教徒でもない日本人のあの騒ぎっぷりというのも、実に特殊なことなんだなと思った。いいか悪いかは別として、何でも取り入れてしまうのが日本人の特徴なのだろう。
 僕はTシャツに短パンという軽装で、海を挟んだ向こう側にある国の寒いクリスマスのことを思い出した。コートを着て肩を寄せ合う男女。ケーキ屋の前の行列。街路樹のイルミネーション。そんなものが少し懐かしかった。「メリー・クリスマス」
 僕が言うと、チャンはいつものように、小さくはにかんだ。

 宿に帰ってみると、欧米人旅行者が何人か集まって、クリスマスパーティーをやるんだと騒いでいた。お前も参加するかと聞かれたが、明日の出発が早いからと言って断った。
 ベッドに入ってからも、彼らが大声で笑い合う声が、床を通してくぐもって聞こえてきた。誰かが持ち込んだラジカセからは、ワムの「ラスト・クリスマス」が流れていた。
 ジョージ・マイケルの甘い歌声は、ホイアンの夜には完全にミスマッチだった。