1173 メコンデルタ・ツアーのハイライトはボートトリップである。僕らツアーメンバーは小さな手漕ぎボートに乗って、衣・食・住の全てをメコン川の上で行う「川の民」の生活を、手が届きそうな距離にまで近づいて見て回る。
 その中でも、最大の見所は水上朝市だった。朝市は6時から7時に賑わいのピークを迎えるものだから、それに合わせて朝の5時に叩き起こされる(と言っても、叩くのは部屋のドアである)のだけど、眠い目をこすりながら見るだけの価値はあるものだった。

 すげ笠を目深に被ったおばさんが操る手漕ぎ船が、カフェオレ色のメコン川の上をゆっくりと滑っていく様は、とても優雅だった。体の前で交差させた二本の櫂をバランスよく使って、水面に緩やかな波紋を描き出していく。
 おばさんだけでなく、子供達も実に巧みに小舟を操っていた。船が多少揺れても、全くバランスを崩さない。彼らはまるで自転車を漕ぐように、自然に小舟を操っていた。

1342-w1024 市場の周囲では、様々なものが売り買いされていた。米や野菜などの食料品はもちろん、雑貨や衣類などの日用品を売買する船や、コーラやジュースを売りに来る「水上カフェ」もあった。モーターボート用の水上ガソリンスタンドというのもあったし、船のための交通標識というのもあった。
 もっとも、人々がその交通標識を遵守しているかは、かなり疑わしいところだった。手漕ぎ船やモーターボートは、それぞれが右へ左へ行きたいように進んでいて、まるで休日のスケートリンクの様相を呈していたからだ。水上でも陸上でも、ベトナム人は交通ルールを守るのが苦手らしい。

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 人々は文字通り川の上で生活をしていた。川に浮かぶ「浮き家」に住み、川の水を汲み上げて炊事や洗濯をし、ついでに水浴びもする。「浮き家」に暮らしているのは人間だけではなかった。屋根の上に鶏が、そして囲いの中には豚が飼われていた。生まれてからずっと水の上で育った鶏や豚は、陸のものとは味が違ったりするのだろうか。

 
 

団体行動が苦手な日本人もいる

1235 メコン川に住む人々は、とても陽気でフレンドリーだった。子供達は僕ら外国人が乗ったモーターボートを見つけると、家の中から駆け出してきて「ハロー!」と声を張り上げて、思いきり手を振ってくれた。大人達でさえ仕事の手を休めて、にっこりと微笑んだ。そんな風に歓迎されると、こっちも笑顔で手を振りたくなった。

 でも、その歓迎ぶりが行く先々で同じように繰り返されると、僕は妙な居心地の悪さを感じるようになった。僕らは彼らの路地裏の生活空間―――子供が川で体を洗い、母親がまな板の上で野菜を刻み、父親が仕掛け網を引く―――に集団でずかずかと踏み込んでいって、好奇の眼差しを向けているのだ。それにもかかわらず、彼らはニコニコと歓迎してくれている。普通の田舎町では、太った欧米人の女が歩いているだけで、ちょっとした騒ぎになっていたのに、ここのリアクションは180度違う。

 その理由はおそらくこういうことだろう。メコンデルタツアーのルートに組み込まれた村の人々は、毎日やってくる外国人の存在にすっかり慣れていて、それを日常の光景として受け入れている。僕らはゲストであり、彼らはそれを迎えるホストである。ここは、そういう役割分担がしっかりと決まっている土地なのだ。だから、みんな手放しで歓迎してくれるのだ。

 そのことに気付いてから、僕は落ち着かない気持ちになった。それはディズニーランドに行ったときの居心地の悪さに似ていた。ディズニーキャラクターや機械仕掛けの動物の間を、軽快な音楽に乗せて走るアトラクション。ああいうものに乗っていると、僕はなんだかお尻のあたりがムズムズしてしまうのだ。

1316 もちろん、ここの人々の日常は観光用の作り物ではないし、子供達の屈託のない笑顔が営業用スマイルであるはずもない。だけど、「決められたルートを予定調和的に楽しむ旅」というものは、ディズニーランド的なものと本質的に変わらないんじゃないかという思いは、僕の中でむくむくと膨らんでいったのだった。

 というわけで、ツアーの後半になると、僕はガイドに頼んで団体行動から外してもらうことにした。若いガイドは融通の利くタイプらしく、「迷惑をかけない範囲でなら好きにしてもいいよ」と言ってくれた。こうして僕は、他のメンバーが仏教寺院やフォー工場や少数民族村を見学しに行く間、一人でその辺の村をぶらぶらと歩き回ることにした。やはり人には向き不向きというものがある。
「日本人っていうのは協調性がある人々だと思っていたけど、君は違うのかい?」 イタリア人のマルコは僕の単独行動を見て、不思議そうに尋ねた。
「日本人にだって団体行動が苦手な人間もいるんだよ。イタリア人にだって、陰気な人やパスタが嫌いな人はいるだろう?」
 僕がそう切り返すと、彼は少し考えて言った。「いや、そんなイタリア人はいないよ」
 そしてマルコは大きく口を開けて笑った。

 
 

プライバシーとは無縁の暮らし

 僕はツアーから外れて、目が痛くなるぐらいに鮮やかな緑が広がる水田地帯を歩いた。メコンデルタの水田では、田植えからわずかに3ヶ月で収穫できるのだという。豊かな土壌と強烈な日差し、そして何より豊富な水のお陰だ。その恵まれた土地で、人々は決して物質的に豊かな暮らしを送っているわけではないけれど、とてものんびりと生活していた。昼過ぎの暑い時間になると、年寄りや子供は、家の柱に吊るされたハンモックに揺られて昼寝をし、女達は日陰でお喋りに興じる。急いだって、米が早く収穫できるわけじゃない。

 

1200 村の雰囲気は、ベトナム北中部とはかなり違っていた。ひとことで言えば開放的だった。気温が高い為に、家の戸や窓はすべて開けっ放しの状態だった。もちろん家の中の様子は隣近所から丸見えだから、個人のプライバシーというものとは無縁の生活である。見られては困るような秘密も、盗まれたら困るような財産も、ここにはあまりなさそうだった。

1244 そういう土地柄だと、人々も陽気になるらしい。外国人に対する視線も、北部や中部よりいくらか柔らかいように思った。でもボートトリップのときのように、向こうから気軽に声を掛けてきたり、にこやかに手を振るような人は少なかった。見慣れない外国人に対しては、意外にシャイなのだ。

 道路には舗装工事を手伝う子供達の姿があった。引き剥がしたアスファルトを金だらいに入れて運ぶのが、彼らの仕事だ。上は15歳ぐらい、下は5歳の子供が一緒に働いていた。
 でも、そこには働かされる子供の悲壮感のようなものはなかった。彼らはがやがや騒ぎながら、遊びの延長のように当たり前に働いていた。そんな子供達にカメラを向けると、仲間を押しのけて我先に写ろうと突進してきたので、僕は思わず後ずさって、その拍子にしりもちをついてしまった。それを見た子供達は、もちろん大笑いした。
 シャイだけど、とにかく元気で好奇心が強い。それがメコンデルタの子供だった。

 

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 僕にとって、ベトナムという国はその距離以上に遠い存在だった。
 入ってくる情報と言えば「ベトナム戦争」「枯葉剤」「奇形児」といったネガティヴなものばかりだし、それに基づいて漠然としたベトナム観が出来上がっていた。多くの日本人にとっても、それは同じだと思う。だからこそ、僕はベトナムという国に行ってみたかった。本当はどんな場所であるのか、自分の目で確かめるために。

 
 

自分の世界地図を塗り替える

1315 実際にベトナムの町を歩いて感じたのは、ここはなんて生き生きとした世界なんだろうということだった。それを一番強く感じたのはベトナムの市場だった。この国の魅力をぎゅっとひとつに濃縮したのが、市場という空間だった。買いもしないのに、ひとつひとつの店を冷やかしながら見て回るのは、ベトナムに来て以来の日課のようになっていた。

 メコンデルタの町でも、もちろん市場巡りは欠かさなかった。魚屋の前を通ると、威勢のいい若い女が「これ買っていきな」と、大きな川魚の頭を僕の目の前に突き出してみせる。まだぴちぴちと跳ね回っている魚は、彼女の太い腕で押さえつけられ、大きな包丁であっさりと頭を落とされ、手際よくさばかれていく。肉屋の店先には血の気を失った豚の頭と、切り分けられた内臓とが無造作に陳列されている。店のオヤジは肉の周りにたかる無数の蝿を、けだるそうにはたきで追っている。全てのものが、包装もされず、ケースにも入れられずに、剥き出しのまま頭上の太陽にさらされている。

 市場は生臭い。魚や肉や香草の強い匂いが混じり合っている。
 市場はうるさい。鶏の鳴き声やら、売り子の声やらでいつも騒然としている。
 市場は鮮やかだ。バナナの青、ドラゴンフルーツのピンク、豚の内臓の赤。目に飛び込んでくる色は、どれもヴィヴィッドだ。
 そこには五感に直接訴えかけてくる、はっきりとした手応えがあった。

1319 僕がボートトリップをしているときに、テーマパークにいるような違和感を感じたのは、それが予め用意された道具と役割分担によって成り立っているツアーだったからだ。観光客と現地住民の間には、はっきりとした壁があった。僕らは常に壁の「こっち側」にいて、壁の「あっち側」にいる人々の姿を見物する。

 でも、町中や市場に一人で足を踏み入れると、そんな壁は存在しなくなる。そこでは、僕らが見物する側になることもあれば、逆に注目を浴びる側に回ることもある。彼らが笑いかけてくることもあれば、こちらから声を掛けることもある。歓迎されることもあれば、無視されることもあるし、相手が言いたいことがわからなくて苛立つこともある。

 それでも自分の足で歩き、迷い、予期しなかったアクシデントに出くわすことによって、今まで見えていなかったことがだんだん見えてくるようになる。自分の中のイメージと、現実とのギャップを埋めていくことができる。
 たぶん旅というのは、そうやって自分の中の世界地図を少しずつ塗り替えていくことなのだ。

 この2週間で、僕の中のベトナム地図はすっかり形を変えてしまった。そしておそらく、この先も僕の常識や価値観は揺さぶられ続けるだろう。
 でも、そのことが何故かとても楽しみに思えるのだった。