香ばしい肉の焼ける匂い
ラホールの街には、肉の焼けるいい匂いが漂っていた。炭火の上に並べられた串刺しの羊肉。鉄板の上でジュージューと音を立てる牛肉のハンバーグ。ぶつ切りにしたレバーと刻んだトマトを一緒に焼いたパキスタン版「モツ焼き」。インドとは違って、パキスタンは肉が安い値段でたくさん食べられている国だった。パキスタン人がマッチョなのも、彼らが肉をたくさん食べるからなのだろう。
香ばしい肉の匂いは、インドで失われていた僕の食欲を大いに刺激してくれた。
僕は食堂に入ると、だいたい定食メニューを頼んだ。定食には生野菜のサラダとサフランで色付けした炊き込み御飯「プラウ」と牛肉、それにチャパティーとデザートのヨーグルトが付く。どれも美味しくて、お腹が一杯になって、たったの55ルピー(110円)という安さである。パキスタンの安食堂は、インドとは比べものにならないぐらいレベルが高かった。
パキスタンは果物も豊富だった。僕はよく街角の行商人から、ブドウやイチゴやみかんやビワなどを買って、ホテルの部屋で食べた。
チャイもうまかった。インドのチャイ屋ではやかんに作り置きしたものを温め直すのが一般的だが、パキスタンのチャイ屋はそれをしない。注文があれば、一人分からでもその場で作ってくれる。鍋で沸騰させて水に茶葉を加え、ミルクと砂糖を入れて、きちんと味見をしてから出す。手間をかけた分インドのチャイよりも値段は高めだけれど、味は格段にいい。何ごとも手を抜いてはいけないのだ。
パキスタンに来て以来、僕は第二次成長期みたいにむしゃむしゃとよく食べた。毎日肉を食べ、ヨーグルトを食べ、フルーツシェークを飲み、果物やナッツを頬張った。そのお陰で、インドで下痢が続いたせいでげっそりと痩せていた顔の輪郭も、すぐに元通りになったのだった。
甘いものと肉をこよなく愛するパキスタン人が、それ以上に熱心に愛好するのが煙草である。成人男性で煙草を吸わない人はまずいないと言ってもいい。そして、何かのきっかけで話をするようになったパキスタン人は、必ず「あんたも吸うかい?」とポケットから煙草を一本取り出すのだった。それがこの国の礼儀なのだ。
当然のことながら、ラホールの街にはたくさんの煙草屋があった。僕は煙草を吸わないので、値段はわからないのだが、おそらくものすごく安いのだろう。煙草屋はただ煙草を買うだけの場所に留まらず、周りの男達と世間話でもしながら一服するという「憩いの場」としても使われているようだった。
電気ライターと人力観覧車
その煙草屋で、面白い装置を見つけた。店の壁に小さな電熱器のようなものがあって、スイッチを押すとニクロム線が赤く熱せられ、そこに煙草を押し付けると火がつくという仕掛けだった。つまり「固定式電気ライター」である。パキスタン人は煙草好きのくせにライターを持ち歩かない人が多く(僕も何度か「火を貸してくれ」と言われた)、そのためのサービスらしいのだが、わざわざこんな大がかりな装置を作るほどのものかねぇ、と思わないでもない。この国ではライターは貴重品なのだろうか。それとも、パキスタンの男はすぐにライターをなくしてしまうのだろうか。
「固定式電気ライター」の他にも、ラホールにはいろいろと珍しいものがあった。例えば「人力観覧車」。これは町中を移動しながら、お金を取って子供を乗せる、「流し」のアトラクションである。
「観覧車」とは言っても、高さは4mほどで、ゴンドラも二つしかないのだが、その代わりに、おっさんはものすごいスピードでゴンドラを回してくれる。ゆっくりと眼下の景色を楽しむものではなく、目がぐるぐる回る絶叫系の乗り物なのだ。
一人1ルピーの料金で、1分ほど回る。その間、子供達はキャーキャーと叫びっぱなしである。やがて時間が来てゴンドラが止まってしまうと、子供達は「おじさん、もう少し回してよ」とせがむのだが、おっさんの態度は冷たい。
「時間だ。さぁ、降りた降りた」という風に、強制的に降ろしてしまう。子供が好きでやっているというよりは、商売だから仕方なくやっている、という姿勢だった。
「人力観覧車」と同じような仕組みの「人力ブランコ」というのも町を流していた。こちらは観覧車ほどアクロバティックな動きはなく、老人がブランコをゆっくりと揺らせてやるだけののんびりとしたものだった。
ラホールで二日間過ごしてから、バスでラワールピンディに向かった。
バスの代わりに列車を使うという手もあったのだけど、パキスタンの鉄道事情はインドとは正反対で、まったくお粗末なものだった。ラホールとラワールピンディは共に大きな都市だというのに、その間を結ぶ列車は一日に三本しかないというのだ。
しかもラホール駅の駅員は、「列車の予約はできないので、発車の2時間前には駅に来なさい」と言うのである。
そして「どうして予約できないんです?」と訊ねると、
「できないものはできないんだ。バスで行きなさい。その方がいい」と投げやり気味に言い出す始末だった。
駅員の言う通り、バスは30分ごとに出ているので待たされることもないし、エアコンも利いていて快適そのものだった。ラワールピンディまでの道は、片側三車線の立派なハイウェーが整備されていた。開通したのがわずか一年前というだけあって、舗装は真新しく、バスはスケートリンクを滑るようにスムーズに走った。絶え間ない振動にひたすら耐えることに慣れていた体には、静かすぎて逆に違和感を感じるほどだった。
あなたはヨーロッパに行くんですね?
道路を見れば、その国の経済状態をある程度推し量ることができる。例えば、アジアの中でも貧しい国であるカンボジアの国道一号線は、「ダンシング・ロード」と呼ばれる穴ぼこだらけの悪路だった。タイの高速道路には、日本と変わらない規模の立体ジャンクションが備わっていた。人口爆発に悩むバングラデシュの主要道路は、常に渋滞と死亡事故に悩まされていた。
パキスタンという国について僕が知っていることは少なかったけれど、このハイウェーを見れば、この国が社会インフラを整備する余裕を持っているのだということがわかった。双子関係にあるバングラデシュとの経済的な格差は歴然としていた。
バスの中で、一人の大学生が話し掛けてきた。僕がインドを越えてパキスタンを旅しているんだ話すと、彼は言った。
「それじゃ、あなたはヨーロッパに行くんですね?」
そんな風に聞かれたのは、旅に出てから初めてのことだったので、とても驚いた。今までの国では、「目的地はどこなんだ?」と聞かれて、「ヨーロッパだ」と答えると、相手は「そんな遠くに行くのかい? 信じられないな」と大袈裟に驚くのが常だったからだ。それがパキスタンに入ると事情が変わる。パキスタンからイラン、そしてトルコを西に進めば、ヨーロッパはもう目の前である。
アジアの強烈さに触れ、それに飲み込まれながら旅を続けてきた僕にとって、ヨーロッパは遙かに遠い存在だった。もちろん、いつかは辿り着くだろうとは思っていた。でも、それはおぼろげなイメージでしかなく、道の先にはっきりと見えているものではなかった。
「あなたはヨーロッパに行くんですね?」
この何げないひとことが、僕にアジアの終わりとその先のヨーロッパを意識させるきっかけになった。それはまた、この旅がそろそろ半ばを過ぎようとしているということを、否応なしに意識させることでもあった。
バスで乗り合わせた大学生・アリーは好奇心旺盛で、日本についての知識も豊富だった。
「東京では、海を埋め立ててビルディングを建てているという話ですが、どうしてそんなことをするんですか?」
「日本の工場では、人の代わりにロボットが働いているというのは本当ですか?」
「日本の戦闘機の性能は、アメリカよりも優れているのですか?」
などなど、僕の英語力では簡単に説明できそうにない質問を、矢継ぎ早にぶつけてきた。「ハイテク立国」日本の名は、ここパキスタンにも轟いているようだった。
アリーとはいろんな話をした。インドのこと、イスラムのこと、恋愛観や結婚観。話好きの人間がいると、バスの旅も楽しくなる。
天気のことも話題になった。これも僕にとって新鮮だった。僕が今までに訪れた国では、天気について誰かと話した記憶がなかったからだ。それもそのはずで、乾季なら雲ひとつ無く、暑季なら毎日暑く、雨季なら決まった時間に雨が降る、というような決まりきった天候の続く地域では、「今日は雨が降りますかな?」というような話題は無意味なのだ。
でも、パキスタンは日本と同じように天気が曖昧な日が多いので、人々はよく空模様について話をした。実際にラホールにいたときには、かんかん照りだった空に急に黒雲が広がって、激しい風が吹き始めるという天気の変化に遭った。季節の変わり目にあたるこの時期は、天候が不安定なのだそうだ。
日本の二倍の面積を持つパキスタンは、地形も気候も変化に富んでいる。北東部のカシミール地方はヒマラヤから連なる険しい山岳地帯だし、西部は雨の全く降らない砂漠地帯である。インダス川流域は穀倉地帯だが、暑季には50度近くにもなる。いずれにしても、温暖湿潤な日本の気候とはずいぶん違う。
「今は晴れているけど、午後から雨が降るかもしれませんね」
とアリーは言った。バスは青空の下を走っていたのだが、前方の山にかかる黒雲が怪しいと、彼は言うのだ。
アリーの言った通り、バスがラワールピンディに近づく頃になると、外は雨模様になった。僕は傘を持っていなかったので、バスを降りるとすぐに近くのホテルまで走った。かなり激しい降りになっていたので、ホテルの軒先に辿り着く頃には、髪の毛はぐっしょりと濡れてしまった。でも、大粒の雨が顔を打つ感触は、思いのほか気持ちいいものだった。
この前雨に遭ったのは、もう何ヶ月も前のことになる。アンコールワットに突然降り注いだ激しい夕立。あれ以来だ。
乾いた町に雨が染み込んで、生々しい匂いを放ちはじめた。僕はその雨の匂いを、少し懐かしい気持ちで吸い込んだ。