エーゲ海を渡る風は強くて冷たかった。いかにも重そうな鉛色の雲が、北風に乗って駆け足で近づいてくる。それに応えるようにして、風の中に細かい雨粒が混じり始める。耳が痛くなるほどの風に耐えきれなくなって、ウィンドブレーカーのフードを出して被る。これじゃまるでネズミ男だ。
「なんでこんな島に来たんだろう」
僕は声に出して言ってみる。暖かな日差しと、穏やか砂浜を求めてやってきたのに、キスノス島で僕を待っていたのは、気紛れな空と、大量の海草が波に打ち上げられたままのうら寂しい砂浜だった。
どうしてそんな場所に行きたいの?
どうしてこんな島に来たのか。もちろん答えは明らかだ。自分でここに来ようと決めて、自分で船に乗ってやってきたのだ。旅行代理店の女性の「キスノスなんてやめておきなさい」という忠告を無視して。
アテネのオモニア広場近くにある旅行代理店のデスクには、初老の女性が座っていた。頭髪には白いものが三割ほど混じっていて、尖った鼻の上に紐付きの眼鏡が乗っている。彼女は流暢な英語で「何かご用?」と言って、愛想良く笑った。
「キスノス島に行きたいんですが」と僕は言った。「フェリーは何時に出ていますか?」
「・・・キスノス?」
彼女の笑みに少しだけ不穏な影が浮かんだ。
「キスノスなんて何もない島よ。遺跡もビーチもないところよ。どうしてそんな場所に行きたいの?」
「特に理由はないんですけど」と僕は言った。本当に特別な理由なんてない。「アテネから近い島を探していたら、キスノスの名前が見つかったんです」
「そりゃ確かに近いわよ。ピレウスからフェリーで3時間ね。でもあなた、悪いことは言わないわ。せっかくギリシャまで来たんだから、キスノスなんてやめて、他の島に行くべきよ」
彼女はデスクから身を乗り出した。
「ミコノスはどうかしら? あそこなら5時間で行けるわ。夏のハイシーズンには観光客で一杯になるけど、今はそれほどでもないからお勧めよ」
彼女はミコノス島の観光パンフレットを取り出して、僕に手渡した。パンフレットの写真には、典型的なエーゲ海の島のイメージがそのまま切り抜かれていた。真っ青な海、白い家、風車、美しいビーチ。
「とても綺麗ですね」僕は頷いた。「でも、やっぱりキスノスにします。理由はちゃんと説明できないけど、美しい観光地よりも、人々が普通に暮らしている場所に行ってみたいんです」
「わかったわ」と彼女は言った。この客にはこれ以上何を言っても無駄だと諦めたのだろう。「もちろんキスノスだって美しいところよ。エーゲ海の島はどこだって美しいわ」
彼女はコンピューターを使ってフェリーのチケットを手配してくれた。キスノスにはいくつぐらいホテルがあるのかと僕が訊ねると、タウンページのような分厚い本をめくって調べてくれた。
「ええっと・・・キスノスには3つホテルがあるみたいね。シングルが11000ドラクマですって」
「他の二つは?」
「一番安いのが11000ドラクマ。他のは、きっとあなたの興味を引かないでしょうから」
「その通りですね」
と僕は笑って同意した。
「キスノス。何もないところだけれど、楽しんできてね」
彼女は眼鏡を少し持ち上げて、品よく笑った。そしてこう付け加えた。
「毎年イースターが終わると、ギリシャの太陽は輝きだすの。だからこれからは晴れるはずよ」
ギリシャ人が口にする天気予報というのはあまり当てにならない(本人の希望的観測であることが多いのだ)、ということをその時の僕は知らなかったので、ふむふむそうなのかと思って聞いた。だからもちろんフェリーに乗る前は、観光パンフレットにあるようにさんさんと陽光が降り注ぐエーゲ海をイメージしていた。でも実際にキスノスの空に晴天が広がったのは、ごくわずかの時間だった。
ロバに適した島・キスノス
キスノス島の人口は約2000人。これといった特産品も名所旧跡もない(少なくとも僕が見た限りにおいては)平凡な島だ。アテネ近郊のピレウス港からは、フェリーで4時間である。
宿でもらった観光地図に載っている「キスノス島について」という文章を読むと、この島の歴史があまり明るいものではないことがわかる。キスノスに人が定住したのは今から9000年ほど前のこと。それから島は幾たびか他国の侵略や略奪にさらされている。オスマントルコ、ロシア、ギリシャ。1823年には疫病が島を襲い、多くの住民の命を奪った、とある。
島の大部分は起伏の大きな斜面と断崖で構成されている。斜面には固く乾いた草が辛うじて生えていて、それを山羊と羊がぼそぼそと食べている。農耕に適した土地でないことは一目見ればわかる。山羊は片方の前足と後ろ足を縄で縛られているので、びっこを引くような感じでひょこひょこと歩いている。石垣を飛び越えて逃げ出さないためなのだろうが、仮に山羊が石垣をひとつ飛び越えたところで、この島から出ることができないのも事実である。
ロバはこの島では一般的な乗り物だ。もちろん今では多くの人が車やバイクに乗っているわけだけど、特に老人は乗り慣れたロバの方を好むようだ。斜面を上り下りするのにロバの足が適している、という事情もあるのだろう。ロバは馬やラクダのように背中にまたがるのではなく、自転車の二人乗りをするときの女の子のように、揃えた足を横に投げ出して乗る。バランスを取るのが難しそうにも見えるが、老人は慣れたものである。
ロバの背に乗ってとことことやってくる老人に向かって、「カリメーラ(こんにちは)」と挨拶すると、にっこりと笑って「カリメーラ」と返してくれる。キスノスはそういうのどかな島だった。
キスノスには老人が多かった。町を歩いていても若者や子供を見かけることはほとんどなく、そのせいで町の中は必要以上にひっそりとしていた。若者はこれといった産業のないこの島をさっさと出て、アテネ近郊へ働き口を探しに行くのかもしれない。
老人以外によく見かけたのが教会だった。町の中心にある大きな教会以外にも、あちこちの丘の上に小さな教会が立っていた。農家の物置小屋に十字架を立てただけというような簡素な教会も目立つ。
これらは村人が個人的に建てた「プライベート・チャーチ」なのだと教えてくれたのは、元船員の男だった。彼は僕が日本人だとわかると「ハコダテ、ヨコハマ、ナガサキ」と知っている固有名詞を並べた。そして若い頃に行った日本の港はどこも綺麗だったよ、と懐かしそうに言った。
「実は俺も丘の上に教会を建てているところなんだ」男は緩やかな坂を指さして言った。「名前はセント・ラファエル教会。建物はほとんど完成していて、今は内装を仕上げているんだよ」
男は嬉しそうに教会に案内してくれた。異国の旅人に自分の信仰心の厚さを知ってもらいたかったのだろう。セント・ラファエル教会は小さいながらも、丁寧に作られた教会だった。壁はしみひとつない純白のペンキで塗られていて、窓は七色のステンドグラスで彩られていた。正面の祭壇にはキリストの磔刑を描いたイコンが飾られている。町の教会をそのまま三分の一ぐらいの大きさに縮小したような雰囲気だ。
「いい教会だろう?」と男は胸を張った。「もちろんお金はかなりかかったさ。でもそれは問題じゃないんだ。これは神様のために建てたんだから」
その言葉を聞いて、僕はミャンマーのことを思い出した。ミャンマー全土に無数に建つパゴダ(仏塔)も、個人が自分の財産をなげうって建てたものだった。
「でもこのままだと、この島に住む人間よりも多くの教会が建つことになるかもな」
と男は笑った。年老いた島民がそれぞれの教会を建てて、やがて死んでいく。それが続けば、男の言うことが現実になる日が来るかもしれない。
「この島にはあまり人がいないんですか?」と僕は訊ねた。「町を歩いてもほとんど誰とも会わないから」
「そりゃあんた、今日のような風の強い日には、みんな家の中に閉じこもってテレビでも見ているんだよ。ここは風の強い島だからね。風に逆らってはいけないんだ」
「なるほど」と僕は頷いた。
強風の中をわざわざ歩き回っているのは、たまたまこの島にやってきた物好きな旅行者ぐらいなのだ。