来るべき核戦争に備えて
モスクワの地下鉄はとても深いところにある。改札口を通ってホームまで降りる為にエスカレーターを使うのだが、それに乗っている時間がびっくりするぐらい長い。試しに計ってみると2分20秒もかかった。モスクワのエスカレーターは日本のものの1.5倍ぐらいのスピードで高速運転をしているのだが、それにもかかわらずこんなに時間がかかってしまうのだ。
どうして地下鉄のトンネルがこれほど地下深くに作られたのかは謎である。スターリン時代に国の威信をかけた大工事によって作られたということだが、ホームと地上を往復するだけで5分もかかるというのはあまりにも無駄が多いし、工事の費用だって余分にかかったに違いない。
一説によると、来るべき核戦争に備えて地下鉄のトンネルを核シェルターにしようという計画があったらしい。米ソ両国が大陸間弾道核ミサイルの数を競い合っていた頃には、核戦争が起こって廃墟と化した地上を捨てて地下都市で暮らすというSFみたいなビジョンが真剣に検討されたのかもしれない。まるで「12モンキーズ」みたいな話だ。
地下鉄のエスカレーターはかなり急な角度で、まっすぐに地下に向かって伸びている。壁面は白くてつるりとしている。広告などの余計なものは一切ない。照明は弱く全体的に薄暗い。遠くで火山が噴火しているような、ゴーという通奏低音が響いている。このまま下に降りていくと、本当に秘密の地下世界に行き当たってしまいそうなミステリアスな雰囲気があった。
モスクワの地下鉄に乗っているときに、一枚のポスターが目にとまった。書かれている文字の大半はロシア語で意味はわからなかったのだが、「Moscow Airshow MAKS2001」と英語で書いてある部分だけはわかった。宿に戻ってガイドブックで調べてみると、「モスクワ航空ショー」というのは2年に1度開かれているロシア最大の航空ショーだということがわかった。僕は今まで航空ショーなんてものに行った経験はないし、子供の頃に戦闘機に憧れていたわけでもないのだけど、何となく面白そうなので行ってみることにした。
航空ショーは花火大会に似ている
「モスクワ航空ショー」と名乗っておきながら、会場はモスクワから地下鉄と列車とシャトルバスを乗り継いで2時間もかかるような辺鄙な場所にあった。地域的にもモスクワ市ではないらしい。「東京モーターショー」を千葉県の幕張メッセでやっているのと同じような「ちょっとした嘘」である。
列車に乗ってモスクワの市街地を離れると、針葉樹林が連なる景色が続くようになる。草原と林の合間にぽつぽつと木造の農家が並んでいる。市内ではアパートと団地しか見なかったのだが、町を離れると一軒家が目立つようになる。
航空ショーはそのような片田舎にある軍事基地の一角で開かれていた。一角と言っても馬鹿みたいに広い。東京ドーム何十個とかそういう規模の広さである。さすがは世界第二位の軍事大国ロシアの基地である。
そのだだっぴろい敷地の中に、旅客機やヘリコプターや戦闘機などがずらっと並べて展示してある。国際空港でもこれほどの数と種類の飛行機を見ることはできないだろう。ひとつひとつのモノが巨大なだけに壮観である。
滑走路の端には、かまぼこ型の巨大な格納庫が並んでいる。それが世界各国の航空宇宙関連企業が展示を行うメインブースである。ここで各国のビジネスマンが商談をしたり、プレスに最新技術を紹介したりしている。この辺は「東京モーターショー」などの見本市会場と変わらない。
ロシア人の愛想の無さは前述した通りだけど、さすがに企業ブースに詰めているコンパニオン達はニコニコと愛想がよかった。なんだ、やろうと思えばできるんじゃないか、と思った。もちろん、どのコンパニオンも美人でスタイルがよく、制服がばっちり似合っている。突然ダンスチームが出てきて踊り出したりもする。秋葉原あたりのカメラ小僧を連れてきたら、小躍りしそうだ。
そういうちゃらちゃらした面もあるにせよ、一番の目的はロシアの軍事技術を外国へ売り込むことにある。ロシアが航空宇宙産業に力を注いでいるのは、当然と言えば当然のことだろう。ソ連の崩壊後、国の経済が大きく落ち込む中で、ロシアが今なお強い国際競争力を保っている数少ない分野のひとつが軍事技術なのだ。冷戦時代の果てしない軍拡競争は、ソ連経済を破綻させる大きな要素にもなったのだけど、そこで培った財産を有効利用すれば、外貨獲得の大きな柱になるはずだと見込んでいるのだ。
ロシアの軍事技術をかつての敵国であるアメリカやNATO諸国が買う、なんて光景も今では珍しいものではない。「昨日の敵は今日の客」というわけだ。
航空ショーのメインイベントと言えば「アクロバット飛行」である。神社の祭りにお神輿が欠かせないように、旧正月に爆竹が欠かせないように、航空ショーとアクロバット飛行は切り離せない。
「えー次は、アレクセイ・イワノフ中尉が搭乗しますミグ29戦闘機の華麗な飛行をお楽しみください!」
というようなアナウンスが大型スピーカーから流れてくる。フェンスの向こう側の滑走路にいるイワノフ中尉とミグ戦闘機は、轟音を響かせて離陸する。急上昇、急降下、きりもみ飛行、宙返り。花火みたいな模擬弾の発射。時々ぱらぱらという拍手が起こる。
雰囲気は日本の花火大会のそれを想像していただければいいと思う。全然勇ましくない。人々は芝生に座ってビールを飲みながら、のんびりと曲芸飛行を見物している。スピーカーからはプレスリーとかスティービー・ワンダーとか、超音速ジェット戦闘機には相応しくないポップな曲が流れている。みんな打ち上げ花火を見るように首を45度上に傾けて、口を半開きにして、忙しく飛び回っている飛行機を眺めている。
「ミグ29の尾翼部分の形状は変わっていてね、それが空中旋回能力を高めているわけさ」というような専門的な会話をしている人は、(たぶん)いない。ロシアには航空オタクっぽい人は少ないみたいだ。たぶん本当に飛行機が好きな人はエンジニアになっているのだろう。
航空ショーの花、とも言えるのが編隊飛行である。5機の戦闘機が一糸乱れぬ編隊を組んで行う技は確かに見応えがあった。シンクロナイズド・スイミングとか、あの手ものに強いロシアの伝統が生かされているのかもしれない。
アクロバット飛行を見るのは初めてだったから、最初の頃は「すげぇな」という感じで楽しめたのだけど、結局は同じことの繰り返しだったので、だんだん退屈してきた。そう感じているのは僕だけではなく、アクロバット飛行はまだまだ続いているのに、早々に家路へと急ぐ観客が目立った。
鉄道の駅と会場はシャトルバスで結ばれているのだが、みんなが同じ時間にバスに殺到するので、ものすごい混雑になった。こういうところも花火大会にそっくりである。結局、道路が渋滞して動かなくなってしまったので、僕ら乗客は途中でバスを降ろされて駅まで歩くことになった。やれやれ。
航空ショーは花火大会に似ていた。だけどその目的が軍事技術の披露や、市民と軍との交流であるわけだから、「夏の午後の平和なピクニック」みたいに無邪気に楽しめるようなものではなかった。
結局、ここに集められているのは殺し合いの道具であり、どれほど美しく装ったところで、そこに漂う根本的な胡散臭さを拭い去ることはできないのだ。