草原と空と雲。
モンゴルの首都ウランバートルから500km進む間に見えたものは、それだけだった。時折、草を食む羊の群れや、「ゲル」と呼ばれる遊牧民のテントが見えることもあったが、人の姿は皆無に等しかった。
定規で引かれたようにまっすぐな道を、ジープは西に向かって突き進んでいく。すれ違う車もほとんど無い。様々な形をした雲が、空を流れていくだけだ。それでも僕は窓の外の風景を飽きることなく眺め続けた。草原と空と雲。その単調で執拗な繰り返しは、僕の心に強く響いてくるものがあった。
「ところであんた、どうしてツェツェルレグなんかに行こうと思ったんだい?」
運転席に座っているシャウワさんが、大声で僕に訊ねた。僕らが乗っているのはロシアから払い下げられた旧式の軍用ジープだから、振動も音も凄まじく、大声を出さないことには意志が通じないのだ。
「特別な理由があるわけじゃないんです」僕も彼の耳元で怒鳴った。「モンゴルの田舎町だったらどこでも良かったんです。たまたま地図を開いたらツェツェルレグって名前を見つけただけなんですよ」
「あんた変わってるな」とシャウワさんは笑った。
「よく言われます」と僕は言った。
シャウワさんは40過ぎのがっちりとした体格の男である。彼はウランバートルにある学校で農業を教えていて、片言ながら英語を話すことができる。
シャウワさんは職場のウランバートルから、故郷のツェツェルレグに帰るところなのだが、一人だけで帰るとガソリン代だって馬鹿にならないので(ロシア製ジープは燃費が悪いのだ)、バスターミナルで相乗り希望者を募っていたのである。ウランバートルのバスターミナルには、彼のような帰省ついでの個人タクシーがたくさん集まっていて、僕もそこでシャウワさんに声を掛けられたのだった(ちなみに僕が彼に支払ったのは1万トゥグリク(1100円)だった)。人口が240万人と極めて少ないモンゴルでは、定期的にバスを走らせてもなかなかお客が集まらないので、このような非公共交通機関が発達しているのだろう。
幹線道路沿いには「草原のドライブイン」的なゲルがいくつかあって、僕らはそこで休憩を取った。
ゲルに入ると、必ず「アイラグ」と呼ばれる飲み物がどんぶりになみなみと注がれて出てきた。アイラグは馬の乳を発酵させたお酒で、牛乳に比べるとかなり水っぽく、酸味が強い。酒といってもアルコール分は2%ほどだから酔っぱらうようなことはないし、運転手のシャウワさんも平気で飲んでいる。馬の乳は遊牧民にとって最も重要なエネルギー源であり、夏の間他のものをほとんど食べずにアイラグを「主食」にして暮らす人もいるという。
「あんた、今までアイラグを飲んだことはあるのかい?」
とシャウワさんが聞いてきたのは、僕がなみなみと注がれたアイラグを半分ほど飲んでしまった後のことだった。
「いいえ、初めてです」
「だったら少しにしておいた方がいいな。初めて飲む人は必ず腹を壊すんだよ。我々モンゴル人でも、その年の初めに飲むアイラグで腹を壊すこともあるんだ」
「でも、もう半分飲んじゃったんですけど・・・・」
「それじゃ、もうやめておいた方がいいな」
しかし既に飲んでしまったものは今更どうしようもない。そういうことは飲む前に言って欲しかったんですけど・・・。
アイラグに口を付けてから二時間後、シャウワさんの予告通り僕は下痢に襲われた。それは自動販売機みたいな下痢だった。ボタンを押したら、ゴトンと音がして下から缶ジュースが出てくるような、即効性の下痢だった。
モンゴルの草原にはトイレというものがまずないから、下痢になると大変である。その辺にしゃがみ込んでやればいいのだが、見渡す限りなにもない平原では、隠れる場所もないのである。民族衣装を着たモンゴル人は、長い裾を利用して上手く隠すこともできるのだが、外国人旅行者にはその手も使えない。ある日本人女性は「傘で隠していましたよ」と言っていたが、逆に目立つような気もする。
僕はダメ元で下痢止め薬を飲んでみることにした。これはトルコで買ったもので、効果はさほど期待していなかったのだが、まるで魔法のように効いた。飲んだ直後から下痢の症状がピタリと収まっただけでなく、下痢から一転して三日間便秘になるほど強力に効いた。
よく効く下痢止めを携帯すること。そして馬乳酒を勧められても、最初は軽く口を付ける程度にしておくこと。これがモンゴルを旅するための必須条件である。
ウランバートルの西440kmにあるハラホリンという町を通過すると、道は急に悪くなった。ほとんどが未舗装のがたがた道になり、ジープのスピードもそれまでの半分以下になった。
道路の脇にはネズミよりやや大きめの動物・ナキウサギが日光浴をしていた。ナキウサギは臆病な動物らしく、ジープが接近する音を聞きつけると、一目散に自分の巣穴に駆け戻っていく。そしてジープが行ってしまうと、モグラ叩きのモグラみたいに穴からひょこっと顔を覗かせる。ちょこまかとユーモラスに動き回るナキウサギと対照的なのは鷹だった。食物連鎖の頂点に立つ鷹は、翼を大きく広げて上昇気流に乗り、大空を悠々と旋回していた。
小高い丘のてっぺんには、たいてい「オボ」と呼ばれる石の山があった。オボは旅の安全を願うモンゴルの遊牧民が、石を積み上げて作ったものである。僕らの乗るジープがオボのそばを通ると、シャウワさんは休憩を取った。乗客はそれぞれ小便を済ませてから、一列になってオボの周りを三回まわる。歩きながら、辺りに落ちている小石をオボに向かって投げ上げる。それがオボでの作法だった。
だったらうちに泊まったらいい
「あんた、ツェツェルレグで泊まる宿は決めているのかい?」
シャウワさんが僕に訊ねたのは、ツェツェルレグまでもう少しのところまで来たときのことだった。
「いいえ。向こうに着いてから探すつもりです」と僕は言った。
「だったら一緒に来ないか? 俺はこれから母親と兄貴の家族が暮らしているゲルに行くんだ。一人ぐらいなら泊まることもできると思う」
「もちろん行きますよ」と僕は即座に答えた。
「ツェツェルレグから2時間ぐらいかかるけど、大丈夫かい?」
「もう9時間も走っているんですよ。あと2時間かかっても同じですよ」
「そりゃそうだな」とシャウワさんは笑った。
それは願ってもない申し出だった。モンゴルに来たからには遊牧民の日常生活を見てみたいと思っていたのだけど、実際にどこに行けばいいのか全くわからなかったからだ。ウランバートルには「遊牧生活体験ツアー」なんかをアレンジしてくれる旅行会社もあるらしいのだが、そういうものには頼りたくなかった。かと言って、他の国のように町の中をぶらぶら歩いても、ゲルには辿り着けそうになかった。何しろ遊牧民はだだっ広い草原に散らばって暮らしているのだから。
それでも、ツェツェルレグに行けば何かが起こりそうだという予感はあった。特に根拠があるわけではなかったのだけど、「旅の勘」というのは意外に当たるものなのだ。
ツェツェルレグ周辺ではシャウワさんの親戚まわりに付き合うことになった。彼の一家は七人きょうだいの大家族なのだが、帰省するときにはいつも兄弟姉妹の家を一軒一軒訪ねて回るのだそうだ。移動を繰り返す遊牧民は土地との結びつきが弱く、だからこそ血縁を大切にしているのかもしれない。
きょうだいの家を訪ねるシャウワさんに遠慮はまったくなかった。ドアをノックするわけでもなく、呼び鈴を押すわけでもなく(もともと家に呼び鈴は付いていないのだが)、自分の家のようにずかずかと入っていくのだった。
親戚達も「ああ、来たんかいね」という感じで、当たり前に応対する。そして例の馬乳から作ったアイラグと、チーズを振る舞ってくれる。チーズは酸っぱいものや甘いものなど味の種類が豊富なのだが、どれも乾燥していてとんでもなく硬かった。気合いを入れて噛まないと、歯が立たないぐらいの硬さだった。
ツェツェルレグの町を抜けると、道路と呼べるものは姿を消した。草原の中にタイヤの跡が二本平行に続いているだけである。道は大きくうねり、大きな岩が行く手を阻む。ときには膝ぐらいの深さがある川を渡ることもあった。四輪駆動のジープでないと、とても進めない本物のオフロードである。
「俺はね、トヨタのランドクルーザーが欲しいんだよ」とシャウワさんは言う。「高すぎて手は出ないけど。ロシア製は駄目だ。しょっちゅう故障する」
「もし故障したらどうするんです?」
「もちろん自分で直すよ。草原には修理工場なんてないからね」
遊牧民は野菜を食べない
幸いにして故障することもなく、僕らのジープは無事に目的のゲル集落に到着した。親戚まわりに時間を取られたせいで、予定よりもずっと遅くなってしまった。太陽が西の地平線に吸い込まれようとしていた。
そこにはゲルが5つ集まっていた。住居用の大きなものが3つと、物置用の小型ゲルが2つである。ここに総勢15人が暮らしている。
「あそこが隣の集落だよ」とシャウワさんが指さした先には、確かに小さな白い点がいくつかあった。ここからは2kmほど離れているという。人口密度の低さに改めて驚いてしまった。
ゲルは木製の骨組みの上に羊の皮で作った布を重ねた円形のテントである。ゲルの中心には煮炊きをするためのかまどを兼ねたストーブがあり、そこから伸びた煙突が外に突き出ている。ストーブをコの字形に囲むように、金属パイプ製のベッドが三つ置かれている。他には小さな衣装タンスと鏡台と椅子があるだけである。家財道具が少ないために、部屋の中は意外に広く感じた。
「これは俺の父親だ。もう死んでしまったけどね」
シャウワさんはタンスの上に置かれた写真立てに手を置いて言った。三人の娘も紹介してもらった。長女は20歳だが結婚して子供もいる。次女と三女はどちらも頬をリンゴみたいに真っ赤にした、かわいらしい女の子である。
「ハロー。ようこそ我が家へ。あなたはどこから来たんですか?」
次女のニャンダルチが英語で挨拶をしてくれた。彼女はまだ15歳だが、父親よりも流暢に英語を話した。
夕食には羊の肉と臓物入りのうどんをご馳走になった。味付けは塩だけだったが、羊のダシがよく出ていたのでとても美味しかった。羊肉というのはかなり脂っこいものなのだが、よく煮込んでいるお陰で脂が抜けて食べやすかった。
遊牧民の食事は「馬の乳」と「牛のチーズ」と「羊の肉」が基本である。これにうどんなどの穀物が加わることはあるが、野菜はほとんど食べないという。市場に行けば玉ねぎや人参を買うこともできるのだが、値段も高いし流通量も少ない。モンゴル高原は野菜作りには向かない土地なのである。人々は乳製品でビタミン類をとっているようだが、それでも栄養はかなり偏っているのではないかと思う。
手を伸ばせば触れられそうな星空
夕食をご馳走になった後、ゲルの外に出てみることにした。日中はTシャツ一枚でも汗をかくほど暑かったが、日が暮れると急に冷え込んできたので、長袖のシャツの上にウィンドブレーカーを羽織った。
西の空には地平線の下に沈んだ太陽が残した蒼い光のグラデーションがあった。針のように細い新月が、太陽のすぐ後を追いかけるように、丘の向こうに沈もうとしていた。雲はなく、風もなかった。
僕は荷車の上に寝そべって星空を見上げた。圧倒的な数の星が、天頂から地平線までの空間全てを埋め尽くしていた。空を真ん中でふたつに分けるように天の川が横たわっていて、そのそばにひしゃく型の北斗七星が輝いていた。それは昼間に飲んだ馬乳酒アイラグと、それを汲むひしゃくを思い出させた。時々流れ星が音もなく空を横切った。一定のスピードで移動する小さな光の点――たぶん人工衛星だろう――も見ることができた。
手を伸ばせば指先に触れられそうなくらいに、ひとつひとつの星はくっきりと見えていた。大気の揺らぎというものがなく、星は瞬きさえしなかった。そうやって長い間星々の世界と向き合っていると、自分の体が大地を離れ、空に近づいているような錯覚を覚えた。
気が付くと、僕は星々の海を漂っていた。肉体を縛る重力はなくなり、星々の世界を自由に行き来できるようになっていた。僕は数千億ある星々の中から太陽を見つけ出した。太陽のそばにはいくつかの岩の塊が浮かんでいる。その中のひとつ、青い海と白い雲を持つ惑星に近づいてみる。分厚い雲の下には大陸があり、その右端におまけみたいにくっついている島国を見つけ出す。
僕の視線は自分が旅したルートをなぞるように移動する。インドシナ半島からインド亜大陸を西へ抜け、中東の砂漠を渡り、東欧の平原を北上し、シベリアの森を東へと走る。ユーラシア大陸をぐるりと一周することになる。
僕は小さな町から町へ、バスや列車を使って移動してきた。次にどこへ行くのかは、思いつきと成り行きにまかせていた。その結果、僕はこの草原に辿り着いた。流れ星がいつどの空に落ちてくるか予測出来ないように、僕の行き先も予測ができなかった。
星の世界から見れば、地球はちっぽけなものだ。そしてその地球の上をあくせく這い回っているのが、僕というさらにちっぽけな存在なのだ。でも自分がちっぽけだと感じるのは、僕にとって嫌なことではない。それは親近感にも似た感情だ。
全ての生き物が同じように小さく、同じように非力なのだ。広大な草原の中で星の世界に身を委ねていると、その事実を素直に受け入れることができた。
流れ星は悪い印
ギーという軋んだ音で、我に返った。ゲルの木戸が開き、ニャンダルチが外に出てきた。
「星を見ているんですか?」
彼女は僕の隣に腰を下ろして言った。
「そうだよ」僕は体を起こした。「日本ではこんな綺麗な星空は見ることが出来ないからね。流れ星もたくさん見えたよ」
「流れ星」を英語でなんて言うのかわからなかったので、手真似で空をひゅっと切ってみせた。
「それはモンゴルでは悪い印なんです」とニャンダルチは言った。「誰かが死ぬと星が落ちるって言われているの。だから流れ星を見たら目をそらすのよ」
「ということは、この1時間に8人が亡くなったみたいだね」と僕は言った。流れ星がいくつ見えたか数えていたのだ。
「でも僕ら日本人は、流れ星を幸運の印だって考えているんだ。もし星が流れている間に願い事を言い終えることができたら、その願いは叶うだろうって」
「それで、あなたは何を願ったんですか?」
ニャンダルチは声を潜めて言った。
「・・・何も」僕は少し考えてから答えた。「何も願っていないよ。僕の願いはもう叶えられているって思うからね。9ヶ月前、僕が旅を始めたときには、モンゴルに行くことになるなんて1%も考えていなかった。それが今ここにいて、生まれてから一度も見たことがないような美しい星空を眺めている。いくつもの偶然が重なって、僕はここにいるんだ。とても幸運だったんだと思う。だからこれ以上願うことなんて何も無いんだ」
「9ヶ月もずっと旅をしているんですか?」とニャンダルチは言った。
「そうだよ」
「それじゃ、あなたも私たちと同じですね。私たちも一年中旅をして暮すんです。来週には羊を連れて、また別の草原に移動するわ」
彼女の言う通りかもしれない。新しい草原を求めて移動する遊牧民と、新しい町を求めて移動する旅人。その両者が本質的に似ているからこそ、僕はモンゴルの遊牧民の生き方に惹きつけられるのだろう。
「もう寝ましょう。かなり冷えてきたから」
ニャンダルチは両手にはーっと息を吐きかけて擦り合わせた。圧倒的な星空に心を奪われていて気が付かなかったのだが、外の気温は急激に下がっているようだった。
「そうした方がいいみたいだね」と僕は言った。「明日の朝も早いんだろう?」
「日の出前にはみんな起きるんです」とニャンダルチは言った。遊牧民は早寝早起きなのだ。
広大な草原で身を寄せ合う家族
ゲルの中は暖かかった。家族がひとつ屋根の下に身を寄せ合っているという親密な空気が、小さくて丸い空間を満たしていた。部屋にランプはなく、小さな蝋燭がひとつ灯っているだけだったが、闇夜に慣れた目にはそれだけで十分明るかった。
「あなたはここに寝てください」
ニャンダルチが左側のベッドを指さした。ゲルの中には若夫婦と赤ん坊、ニャンダルチと妹、それにシャウワさんがいるのだが、ベッドは三つしかなかった。だから僕がベッドひとつを占領してしまうと、残りのベッドには3人ずつが寝ることになってしまう。一晩だけとは言え、申し訳なかった。
「大丈夫だよ。私たちはこういうのには慣れているんだ」
シャウワさんは僕の顔を見て言った。シャウワさんと下の娘二人は、三人で「川」の字になってベッドに入った。慣れているのかもしれないが、さすがに窮屈そうだった。
シャウワさんが蝋燭を吹き消すと、ゲルの中は完全な闇で覆われた。目を開けていても目を閉じていても、変化がわからないような闇だった。でも僕はなかなか眠ることができなかった。12時間の移動で体は疲れているのだが、意識は高ぶったままだった。
暗闇によって視覚が遮断されてしまうと、今まで聞こえなかった小さな物音がはっきりと聞こえるようになった。草原の夜は様々な音に満ちていた。羊のくしゃみ、馬の鼻息、犬が吠える声、隣のゲルから聞こえてくるくぐもった人の話し声。そのようなささやかな物音は、僕に安らぎを与えてくれた。小さな営みに包まれ、守られているのだと感じることができた。
広大な草原の中で、ひとつの家族が身を寄せ合って暮らしている。親子三人が小さなベッドを分け合って眠っている。そういう小さな世界に、僕もまた含まれている。
この世界に「僕」はたった一人だけど、「僕たち」は一人ではない。そう思えることが嬉しかった。