停電も悪いことばかりじゃない

my04-4380 その国でしか味わえない味や、その国にでしか嗅げない匂いがあるように、その国でしか聞けない音というものがある。例えばバングラデシュに特有の音は、リクシャが鳴らす「カランコロン」というベルの音だし、数千という数のバイクから一斉に響く凄まじい騒音はベトナムの街ならではものだ。礼拝を呼びかけるアザーンの声が幾重にも折り重なって聞こえてくると、ここがイスラム圏なのだということをいやでも意識させられる。

 ミャンマーに特有の音は、「ダッダッダッダ」という小型発電機のエンジン音である。この国の電力事情は最悪で、停電は日常茶飯事なのだが、そうなった場合商店やホテルなどでは自家発電機を一斉に稼動させるのである。ヤンゴンの夜は特にひどかった。ほとんど毎晩のように数時間の停電が起こり、そのたびに発電機が発する建設現場のドリルみたいな騒音が、街中に響いていた。

 
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ヤンゴンのシンボル「シュエダゴンパゴダ」

 一度、停電中の夜のヤンゴン市街をホテルの屋上から眺めてみたのだが、予想通りとても暗かった。まるで灯火管制の敷かれた戦時下の町のようだった。しかしその暗闇の中でも、ミャンマー仏教のシンボル的存在である黄金の仏塔・シュエダゴンパゴダだけは、明るい光に包まれて輝いていた。それはたとえ何が起ころうともパゴダを照らすライトだけは消さない、というミャンマー人の意地みたいなものを感じる光景でもあった。

 もっとも、停電すると一斉に自家発電機が回り始めるのは、ヤンゴンやマンダレーなどの大都市だけであって、地方の町では「停電したら回復を待つだけ」というところがほとんどだった。

 ヤンゴンから北へ二百キロほど行ったところにあるタウングーという町も、停電時はひっそりとした静けさに包まれた。ひっそりというよりは、墓場のような静けさと言った方がいいかもしれない。

「今のところ、この町で電気が使えるのは一日に二時間だけなんです。しかも、その二時間がいつになるのかは、誰にもわからないんです」と宿の主であるチャンさんは申し訳なさそうに言った。
「いつ電気が来るのかわからないんじゃ不便ですね」と僕は言った。

 

my04-7462「そうでもありませんよ」とチャンさんは言った。「ミャンマー人は停電には慣れているんです。今に始まったことじゃありませんから。この間ニューヨークで停電騒ぎがあったでしょう。何時間か停電しただけで大パニックになった。ああいうことはミャンマーではあり得ません。十日間ずっと停電していたことだってあるくらいですから」

 「停電慣れ」を自慢してしまうというのも、ミャンマー人ならではの発想である。停電の原因を追及したところで状況が改善される見込みはないのだから、「そういうものなんだ」と納得して生活するしかないのだろう。
「それに停電だって悪いことばかりじゃないんですよ。ほら、窓の外をご覧なさい。月と星が綺麗に見えるでしょう?」

 

my04-6683 彼の言う通り、町の明かりに邪魔されることのない夜空はとても綺麗だった。チャンさんは窓から射し込む月明かりを頼りにして、マッチで蝋燭に火を付けた。温かで親密な光が部屋の中に広がった。
「今回の停電には理由があるんです。五日ほど前に、政府軍とカレン族ゲリラとの間で大きな戦闘がありましてね、それで送電施設が破壊されたらしいんです」

 ミャンマー東部のカレン州に住む少数民族のカレン族は、ミャンマーからの分離独立を求めて、長年政府軍と戦っている。多数派であるビルマ族とは言語も宗教も文化も違うカレン族は、常に迫害の対象にされてきたのだ。彼らはネパールのマオイストのように山岳地帯を舞台にゲリラ戦を展開しながら、政府施設へのテロ攻撃を繰り返しているという。

 経済的なダメージを考えれば、送電施設への攻撃は効果的なテロであると思う。しかしすっかり「停電慣れ」した住民に与える心理的な影響は少ないようだった。なにしろ「停電なら月を見よう」と言ってしまえる人々なのだ。

 少数民族カレン族の村を訪ねることにしたのは、宿の主チャンさんが熱心に勧めてきたからだった。彼は宿にやってくる旅行者のためのツアーもアレンジしているのだ。

 

my04-6571「カレン族といっても、政府と戦っている人達とは違います。そもそもカレン州は外国人の立ち入りが禁止されていますからね。このバゴー管区にもカレン族の村がいくつかあるんです。彼らは山の奥のそのまた奥で、今でも自給自足的な生活を送っています。もちろん簡単には行けません。道はひどいし、時間だってかかります。バスも走っていません。でもあなたはそういう辺鄙な場所がお好きなようだから、行ってみる価値はあると思いますよ」

 チャンさんによれば、カレン族の村を訪れる方法はふたつあるという。四輪駆動車を使う場合には、そこそこ快適だし時間も短くて済む。バイクの二人乗りで行く場合には、非常にタフな旅になるけれど、料金は四駆の半額以下だという。僕は当然のごとくバイクを選んだ。

 運転手兼ガイド役のソーはよく日焼けしたおじさん臭い風貌の男だったが、実際の年齢は僕と同じ二十九歳だった。二十歳を超えると急速に顔が老け始めるのは、ミャンマー人に共通した特徴かもしれない。

 僕らは110CCのバイクにまたがって、カレン族の村を目指した。まだ買ったばかりだというぴかぴかの新品バイクだったが、ネームロゴが「HANDA」となっているのが気になった。ソーによれば、これは中国製のコピー商品だという。名前だけでなく、バイクの作り自体も「HONDA」のドリームというバイクにそっくりである。ミャンマーでは本物のホンダよりも中国製のコピーの方が多く走っているという。言うまでもなく、偽物の方が遙かに値段が安いからだ。

 チャンさんの予告通り、バゴー山地の道はひどいものだった。山の麓にある軍事基地まではきちんと舗装されているのだが、そのあとは未舗装のでこぼこ道が延々と続いた。登っては下り、下っては登る。地面が柔らかい砂地になっているところでは、タイヤがスタックして立ち往生することもあった。そうなると、僕がバイクを降りて後ろから押してやらなければいけなかった。四輪駆動車で行けばこんなことにはならないのだろうが、自分で決めたことだから文句は言えなかった。

 

 

動物愛護家にはお勧めできません

my04-7000  出発してから三時間ほどで、エレファントキャンプに着いた。
「ミャンマーには働く象がたくさんいるんだよ」とソーは言う。「政府が管理している象だけでも五千頭はいる。象の仕事は山で切り倒した木を道路まで運ぶことなんだ。トラックは山の中までは入れないからね。象はとても優秀な働き手なんだ。一度訓練すれば何十年も働いてくれる。山に住む人々は、昔から象を使って仕事をしてきた。彼らと象は友達なんだよ」

 しかしソーの言葉とは裏腹に、象が働いている現場には「象と人間とが仲良く暮らしている」というような牧歌的な光景とは全く別の現実があった。ここでは象はあくまでも使役動物であり、象使いは厳格な主人だった。ミャンマーにいる象は割合に小柄なものが多いのだが、その彼らが一トン近くあるチークの丸太を引っ張って、急な斜面を登っていかなければならないのだ。象たちも必死だし、象使いも必死だった。

 

my04-6985 僕が見た現場では、三頭の象と三人の象使いが仕事にあたっていた。象と丸太は太い鎖で繋がれていて、象が足を一歩動かすごとに鎖が鈍い音を立てて軋んだ。象は四本の足をしっかりと踏ん張って前のめりになり、文字通り鼻息を荒くして、丸太を引っ張っていた。象が力むと、その長い鼻から「ブシュー」という音と共に霧状のしぶきが飛び、それが日の光を受けると、ほんの一瞬だけ小さな虹ができた。

 作業はなかなか進まなかった。三頭のうち二頭は急な坂を一気に登り終えたのだが、しんがりをつとめる若い象が坂の途中で立ち往生してしまったのだ。ここまで来るのに体力を使い果たしてしまったのか、象使いが象を鼓舞するように大声を上げても、大きな耳を掴んで思い切り引っ張っても、象はいっこうに足を動かそうとしなかった。

 

my04-6983 すると象使いの男は油を染み込ませた棒に火を付けて、象の尻の辺りにかざした。火を嫌う動物の性質まで利用して、何とか前に進ませようとしているのだ。しかしそれでも象は動かなかった。うっせーなー、疲れてんだからちょっとぐらい休ませろよ、という反抗的な態度を取り続けていた。

 しかし象使いはそのようなサボりを許したりはしなかった。男は腰に差していたナタで近くに生えている竹を切り倒し、その先端を尖らせて槍を作った。そしてその槍を象の尻に突き立てた。いくら象の皮が分厚いといっても、尖った竹槍を突き刺されてはたまらない。これにはさすがの反抗象も堪えきれずに動き始めた。象は明らかに怒っていた。時々大声で叫び、ひっきりなしに「ブシュー」という鼻息を噴霧した。その姿は暴走寸前の蒸気機関車のように見えた。

 象は尻の皮に血を滲ませながら斜面を登っていった。僕が持っていた英語のガイドブックには「エレファントキャンプ訪問は動物愛護家の方にはお勧めできません」と書いてあったのだが、確かにその通りだと思った。象使いの竹槍攻撃には、反抗的な象に対する懲罰の意味もあったのだろう。

 

my04-7029「象が人間に刃向かってきたことはないの?」と僕は聞いてみた。「もしあんな大きな象が本気で突進してきたら、象使いだって踏みつぶされてしまうだろう?」
「そういうことは絶対にないよ」とソーは笑って言った。「人間に逆らうと痛い目に遭うことは、象もよく知っているからね。もともと野生だった象を訓練するのは、決して簡単なことではないけど、象使いもプロフェッショナルだからね。半年間徹底的に訓練すれば、どんな象だって人の命令に従うようになるんだ」

 結局、竹槍で痛い目に遭った象は、それ以後反抗することなく仕事を終えた。夕方にはトラックに丸太を積み込む作業があるのだが、それまでは木陰で休んだり、川に行って水を浴びたりして、のんびりと過ごすのだという。休息を得た象は、また元の柔和な表情に戻っていた。