混乱するネパール

ne04-1693 ネパール経済は今も昔もとても厳しい状況にある。これといった資源がないことや、国土の大半が山岳地域なので交通インフラが整わないこと、海のない内陸国であるために外国からの輸入品が隣国インドを経由しないと入ってこないことなど、グローバル化が進む経済システムには不向きな要素がこの国にはいくつも揃っているのだ。

 ただでさえ厳しいネパール経済を更に混乱させているのが、反政府組織「マオイスト」(ネパール共産党毛沢東派)の存在である。王政の廃止と共和制の樹立という目標を掲げて、マオイストが武装闘争を開始したのは1996年のこと。それ以来マオイストは軍や警察関係の施設を襲撃したり、幹線道路を封鎖したり、電話交換施設やダムといったインフラに対する破壊活動を行っている。

 もちろんネパール政府も軍による大規模なマオイスト掃討作戦を展開しているのだが、殲滅に至らないどころか、逆にマオイストの勢力がここ数年で拡大する結果となっている。新聞の一面には、連日「マオイストと政府軍との戦闘で○人が死亡」という見出しが踊る。これまでの戦闘によって双方に7000人以上の死者が出ているということだから、これはもう「反政府テロリストと政府の戦い」というよりは「内戦」に近い状態であると言ってもいいのかもしれない。

 そのマオイストと道端でばったり出くわしたことがある。出くわしたと言っても、その二人組の男は灰色の長袖シャツに同じ色のハーフパンツ、それにトレッキングブーツというカジュアルな格好だったから、最初は何者なのか全くわからなかった。地元の農民にしては洗練された身なりをしているように思えたが(村の男はヨレヨレのTシャツにビーチサンダル履きである)、それがまさか「あの」マオイストだなんて思わなかった。

ne04-2909 彼らがマオイストだとわかったのは、自分から「我々はマオイストだ」と名乗ってきたからだった。ウィー・アー・マオイスト。何かの声明文みたいだった。

「君はどこへ行こうとしているんだ?」「どこの国の人間だ?」「ここで何をしているんだ?」
 二人組の小柄な方が訛りの強い英語で矢継ぎ早に質問してきた。大柄な方はじっと黙っていた。その表情と口調は他のネパール人とは違って高圧的で、質問というよりは尋問のように響いた。

「ただこの辺を歩いているんだ。目的地は特に決まっていない」
 僕はいつものように答えた。相手の出方がわからないだけに内心緊張していたのだが、冷静に対応した方が事が大きくならないだろうと思ったのだ。
「日本から来た旅行者だ。この村を一人で歩き回って、写真を撮っている。何か問題があるのかい?」
「いや、別に問題はないよ」と彼は言った。「ところでマオイストのことは知っているか?」
「少しは」と僕は答えた。「新聞に載っていることなら知っている。マオイストに会うのは君が初めてだけど」
「そうか。我々は君に危害を加えるつもりはないから安心してくれ。旅行者はいつでもウェルカムだよ」

ne04-3823 マオイストがこれまで外国人旅行者をテロの標的にしたことは一度もないと聞いていたが、どうやらそれは本当らしい。僕は少しほっとして、名前を名乗った。マオイストの男も一瞬躊躇したものの、自分はバサンタという名前で二十六歳だと自己紹介をした。張りつめていたその場の空気が、それによって少し和らいだ。

 バサンタは石垣に腰を下ろすと、シャツのポケットから煙草を取り出して口にくわえた。僕にも勧めてきたが、吸わないんだと断ると、しばらくの間一人で煙草を吹かせていた。彼は濃い無精髭を生やし、彫りの深いハンサムな顔立ちをしていた。

「ネパールには二種類の人間がいる」
 吸い終わった煙草を投げ捨てると、バサンタは話し始めた。
「つまり金持ちと貧乏人だ。金持ちとは要するに政府に近いところにいる人間だ。彼らは外国からの援助を自分のポケットに入れ、スイスの銀行の秘密口座に送っている。汚いやり方で私腹を肥やしているんだ。一方で我が国の大半を占める農民はとても貧しい。食べるのがやっとの暮らしだ。これはおかしいことだと我々は考えている。今のやり方ではいつまで経っても状況は良くならない。それどころか悪くなる一方だ」

 彼は同意を求めるように一呼吸置いて、僕の目を正面から覗き込んだ。彼の瞳は薄い茶色をしていた。僕は黙って話の続きを待った。
「政府が変わらなければいけない。貧富の差をなくし、全ての人民が同じ生活を送れるようにする。それが我々の目標だ。そのために我々は戦っているんだ」

ne04-3621 政府軍はカトマンズやゴルカといった都市を掌握しているに過ぎず、ネパールの農村を掌握しているのはマオイストなのだ、と彼は続けた。人民の九割は我々の味方であり、100万人の戦闘員と200万人の非戦闘員を抱えているのだとも言った(しかしネパールの人口が2700万だということを考えると、その数字は誇張しすだと言わざるを得ない。実際には戦闘員は2万、非戦闘員を含めると4万人程度だろうというのが一般的な見方である)。

 バサンタはマオイストがどのような組織であり、どのような主義の下で行動しているのかを熱心に説明した。特に強調したのは、自分たちが政治政党であってテロリストではない、ということだった。
「政府の人間は我々をテロリストと呼ぶ。しかし我々は罪もない人々を標的にするテロリストとは違う。我々はただ政府を変えたいだけなんだ。革命を実行しているだけなんだ。その目的のためには様々な手段を使って戦わなければいけないということなんだ」

 彼はアメリカのブッシュ大統領を引き合いに出して、アフガニスタンやイラクで罪もない子供達をたくさん殺しているアメリカ軍とブッシュこそが真のテロリストなのだと言った。マオイストはアルカイダのような国際テロ組織と繋がってはないのだが、ネパール政府がマオイスト掃討のための軍事援助をアメリカに求め、ブッシュ大統領がそれに応じて武器供与を行ったという経緯があって、アメリカを敵視しているのだ。

 
 

共産主義思想は多民族国家ネパールに浸透するのか

ne04-3976 マオイストの主張の一部が正しいことは、僕にも理解できる。2001年に起こった国王暗殺事件とそれ以降の政治的混乱は、ネパール社会に大きなダメージを与えたし、不可解な経緯で王の座に就き、議会を解散させて独裁色を強めている現在の国王を、大多数の国民が支持していないというのも事実だ。そして王政に対する民衆の不満を吸い上げるかたちで、マオイストは勢力を拡大しているのである。

 しかし仮にマオイストが政権を握ったとしても、事態が好転する保証はどこにもない。むしろネパール全土が更なる混乱に陥る可能性が高いのではないかと思う。そもそも共産主義というものがネパールという土地とその文化に根ざしたものではないのは明らかだ。ネパールは多くの民族と宗教と言語が入り交じった多民族国家であり、中国のように漢民族という圧倒的多数が存在しているわけではない。山岳地域にある集落は交通の便が悪いために孤立していて、自給自足の生活を送っている。そこではいまだにカーストをベースにした村落共同体が大きな力を持っている。そのような土地に中央集権的な政治体制を持ち込んでも、空回りに終わるのは目に見えている。

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マオイストの支配地域を示す赤旗

 バサンタは「アワ・エリア」という言葉を頻繁に使った。我々の土地。それはマオイストが農村を掌握しているという自負が窺える言葉だった。確かにこの地域ではマオイストの影響力を誇示する赤旗を目にすることが多いし、建物の壁などにはマオイストの主張が赤ペンキで大きく書かれていたりもする。バサンタ達が堂々と村を歩けるのも、外国人と道端でリラックスして話が出来るのも、この村には政府軍の力が及んでいないということの表れである。「見つかれば殺される」というお尋ね者の緊張感は、彼らにはない。

 今、農村を実効支配しているのはマオイストかもしれないが、しかしそれは「どちらかと言えば、政府よりもマオイストの影響力が強い」という程度のものである。村人達が積極的にマオイストを支援しているわけではない。結局のところ、この土地はマオイストが言うところの「我々の土地」などではなく、今も昔も自給自足的に暮らしている農民のものなのだ。

ne04-4219 マオイストはいつも予告もなくふらっと農家の軒先に現れるのだが、そうするとその場の雰囲気は静かな湖面にさざ波が広がるように微妙に変化した。家人はそれまでよりもいくらか饒舌になり、声のトーンも上がり気味になり、些細なことでも声を上げて笑うようになった。その様子は今まで悪口を言っていた上司が不意に現れた時の反応によく似ていた。そこにはマオイスト達の機嫌を損ねぬようにしながら、出来るだけ早くこの場を立ち去って欲しいという村人達の感情が見て取れた。

「マオイスト達のやり方に賛成の者はほとんどいませんよ」
 医者として山村の医療センターに赴任してきたヤンバハドゥールという青年は僕に言った。
「でも村人は彼らが武器を持っているから何も言えないんです。彼らは時々村を見回りにやってきます。そして一方的に自分たちが行っている革命の話をするんです。村人の家で食事をしていくこともあるし、金品の寄付を求めてくることもあります。もちろんそれを断ることは出来ません。マオイストが現れてから何日か後に、政府の軍隊がやってくることもあります。そんな時、彼らは『どうしてマオイストに金を渡したりするんだ』と村人を問い詰めるんです。そして『以後マオイストに味方すると痛い目に遭うぞ』と脅すんです。板挟みなんですよ。僕らはどちらの味方でもないし、どちらにも反対しません。それが生き延びるための方法なんですよ」

ne04-4498 村人達のマオイストに対する見方は様々だが、教師や医者といった英語を話せるインテリのほとんどはマオイストを支持していなかった。しかし彼らもマオイストの報復を恐れて、そのことを大っぴらに主張したりはしなかった。

 唯一の例外がハイスクールで科学を教えているリンブーという名の教師だった。カトマンズの大学で学んでいたというリンブーさんは、「マオイスト達の言う『人民全員が同じ生活を送る』なんて、ただの夢物語に過ぎないよ」と言い切った。

「確かにスイート・ドリームだけどね。しかし実現するわけがない。全ての人間は違う考えを持っているし、望むものもそれぞれに違う。宗教も文化も違う。それをひとつにまとめることなんて絶対に不可能だ。私の見るところ、マオイストを支えているのは嫉妬だよ。金持ちに対する嫉妬心や、権力を持っているものに対する嫉妬心だ。マオイストも政府もただ権力を手にしたいだけなんだ。そういう意味ではどちらだって同じようなものさ」