乗り合いハイエースで首都カブールへ
ジャララバードと首都カブールを結ぶ唯一の公共交通機関は乗り合いハイエースだった。トヨタのハイエースに限界ギリギリまで乗客を詰め込んで運ぶミニバスである。運賃は200アフガニ(400円)。片道4時間の道のりだった。
車窓から見える景色はとても美しかった。荒々しい岩肌があらわになった山脈が道の両脇に壁のようにそびえ、そのあいだを翡翠のような色をした川が流れている。川のそばには小さな集落があり、小麦畑の緑が広がっている。ときどきラクダの背に荷物を載せたキャラバンとすれ違うこともある。そのような平和な光景の中に、うち捨てられた戦車の残骸が取り残されている。
カブールでのホテル探しには苦労した。タクシードライバーがまったく英語を理解してくれないので、「安いホテルに連れて行ってくれ」ということを伝えるだけでも四苦八苦だった。ようやくホテルが集まっている場所にたどり着いても、満室だと断られたり、改装工事中だったりして、部屋を選ぶことすらできなかった。
ようやく見つけたスピンザーホテルはまずまず立派な外見をした古いホテルだった。「格調高い」と言えなくもない。しかし内部の設備は老朽化しているし、共同バスルームではお湯も使えない。これで一泊15ドルもするという。パキスタンの相場と比較すると3倍ぐらい高い。それでも宿探しに疲れていたこともあって、ここに泊まることに決めた。
水シャワーを浴びるのには思い切りが必要だった。季節は初夏で日中はかなり暑くなるのだが、カブールは標高1800mに位置する高地なので朝晩はかなり冷え込み、シャワーの水も目が覚めるぐらい冷たいのである。でも意を決して浴びてしまえば、これはこれで気持ちがいい。体がしゃきっとして、気分もリフレッシュする。
カブールは賑やかで活気のある町だった。そして多民族国家アフガニスタンを象徴するように様々な顔を持つ人々が行き交っていた。青い目をした彫りの深い人もいれば、日本人とそっくりの顔立ちの人もいる。
アフガニスタンは外食に向かない国である。アフガン料理が特にまずいというわけではないのだが、食堂の数もメニューの種類も非常に限られているのだ。アフガニスタンの食堂で出てくるのは、基本的にケバブという羊肉の串焼きと座布団みたいに大きなパンのみである。羊肉の煮込みみたいなものが出てくることもあるが、特にうまいものではない。グルメを楽しみたい人にはまったくお勧めできない国である。
それでも首都カブールにはジュース屋やアイスクリーム屋があちこちにあるので、そこで新鮮な生ジュースを飲んだりヨーグルトを食べたりして、不足しがちなビタミンを補うことができた。もしそれがなくて、来る日も来る日も「ケバブとパン」の繰り返しだったら、さすがに体調がおかしくなっていたと思う。
食堂の壁にはマスードの肖像画が掲げてあることが多かった。マスードは北部同盟の司令官で、911テロの直前にアルカイダによって暗殺された悲劇の指導者である。若くてハンサムでカリスマ性があった。もし彼が大統領になっていれば、現カルザイ大統領よりもずっと強い求心力を持っただろう。
マスードの肖像画のほかには、外国の風景写真もよく貼ってあった。中国の桂林や、パリのエッフェル塔、スイスアルプスの山並みなどの「ベタな観光地」の写真である。暗い店内の雰囲気を少しでも明るくしようという心遣いなのだろう。それはいいのだが、とある食堂の壁に貼られていたのは、ニューヨークにある世界貿易センタービルのツインタワーの写真だったのである。さすがにこれには驚いた。
焼きたてのケバブを口に運びながら、僕はしばらくのあいだ考え込んでしまった。
「これにはアイロニーが込められているのだろうか。もしそうだとしたら、相当きついブラックジョークだな」
いやいや、そんなことはないな。僕は頭を振った。アフガン人はそれほどシニカルではないはずだ。それに写真の中のツインタワーはぴかぴかだった。資本主義の象徴であり、世界経済の中心地として繁栄する、憧れのニューヨークそのものであった。もしこの写真に落書きのひとつでもされていたら、「やっぱりそうか」と腑に落ちたかもしれないが、それすらもなかったのだ。
たぶん食堂の店主には特別な意図など何もなく、「たまたま」どこかで買ってきたツインタワーの写真を壁に貼っただけなのだろう。ツインタワーが何を意味しているのか、よく知らなかったのではないか。おそらくアルカイダでもなくタリバンでもないごく一般のカブール市民にとって、911テロとは「自分とは関係のない遠い国で行われた出来事」に過ぎなかったのだろう。
カブールの人々は親切だった。チャイハネでくつろぐおじさんにチャイをごちそうになったり、焼きたてのパンや街角で売られているスイカをもらったりした。危険な目にも遭わなかったし、不穏な空気も感じなかった。市内を装甲車や戦車が走ることはあったし、攻撃ヘリコプターが爆音をとどろかせて上空を飛んでいくこともあったが、それだけだった。
もちろん不愉快な経験がなかったわけではない。住宅街を歩いていたときに、子供たちから突然石を投げつけられたり(かなり大きな石で、もし当たっていれば怪我をしていたはずだ)、両足のない物乞いの少年に突然両足をつかまれて、危うく転びそうになったりもした。
天候は不安定だった。朝はさわやかに晴れているのだが、午後になると必ず風が強くなるのだ。街路樹の枝が折れてしまうほど強い風が吹き、未舗装の道が多いカブールの街は砂埃で前が見えなくなってしまう。アフガン人男性が頭に巻いているターバンや、女性が被っているブルカは、強烈な砂埃を避けるためのものでもあるようだった。
もっともカブールではブルカを被っている女性は少数派だった。ざっと数えたところ街行く人の三分の一にとどまっていた。「非ブルカ」の女性は髪をショールで覆っているだけである。面白いのは「非ブルカ」女性の多くがとてもケバいことだった。ファンデーションはぶ厚く、口紅は真っ赤で、アイシャドーも濃い。まるで舞台女優のように濃い化粧を施した女性が多いのである。
理由はよくわからない。もともとブルカを被っていてもばっちりメイクをしていたのかもしれない。あるいはタリバン政権が倒れてようやくブルカを脱ぐことができた女性たちが、手に入れた自由を目いっぱい謳歌しようと張り切りすぎているのかもしれない。
カブールの中心街は復興が進み、戦争の傷跡を目にすることはほとんどなかったが、郊外には廃墟と化した建物が目立った。激しい戦闘が行われた地域では、無残に崩れた壁が放置され、無残な姿をさらしていた。しかし元々アフガニスタンの住宅は日干し煉瓦を積んで漆喰で固めた簡素な造りだから、崩れるのも作り直すのもたやすいようだ。戦争のすさまじさを物語る壁の弾痕も、漆喰を塗ったらすぐに消えてしまうことだろう。
ハザラ人の少女ニギナ
カブールは標高1800mの高地に開けた街で、周囲を高い山々に囲まれている。もともと平地が少ない場所に多くの人が集まってきた結果、街は外に向かって膨張している。田舎の農村から身ひとつで出てきた人々が、郊外の岩だらけの斜面に家を建てて住み着くようになったのだ。交通の便も悪く、水を確保するのも難しい土地だが、そこ以外に住める場所はなかったのだろう。こうした丘の上の住宅地を歩くと、中心街とはまったく違う種類の切実な貧しさを感じることになる。道ばたにはゴミが溢れ、垂れ流された汚物の臭いが充満しているのだ。
そんな貧しい住宅街で出会ったのが、ニギナという6歳の少女だった。瞳は薄い茶色だが、面立ちは日本人に似ている。母親のナルゲスによれば、一家はモンゴル系のハザラ人だという。
ニギナは12人もの大家族の一員だった。彼女たちは10畳ぐらいの一間に肩を寄せ合うようにして暮らしていた。床には絨毯が敷かれ、部屋の隅には布団が何組か置かれている。生活は厳しいのだろうが、電化製品は意外にも充実していた。アイワ製の14インチテレビと、シャープ製のラジカセと、ソニーのVCDプレーヤー。いずれもメイド・イン・ジャパンである。日本製品はアフガニスタンでも人気が高いという。そういえばカブールの市場では「model JAPAN」という微妙な表現のシールが貼ってある魔法瓶を安売りしていたが、これはおそらく中国製品だろう。
ニギナの母ナルゲスは5人の子供を持つ28歳で、縫製の仕事をして一家を支えている。夫はなんと65歳で、病気がちなので働くことができない。ナルゲスは第二夫人で、第一夫人が産んだ4人の子供の面倒も見ているという。
ナルゲスもまた異国の客人をペプシコーラでもてなしてくれた。ムスリムの既婚女性は夫以外の男性との接触を嫌がるものだし、素顔も見せたがらない人が多いのだが、彼女はまったく気にしていなかった。どこの国にもいる肝っ玉かぁちゃん(といっても僕よりも年下なのだが)という雰囲気だった。
ナルゲスは「もしニギナが気に入ったのなら、日本に連れて帰ってもいいんだよ」と言った。僕がニギナの写真を撮っていたから、そんな軽口を叩いたのだろうが、本気のニュアンスも半分ぐらい込められていたと思う。なにしろ彼女が結婚した相手も37歳年上なのである。年の差は全然問題ではないのだろう。
「アフガニスタンの女は働き者だよ。この私がそうなんだからさ。私がたった一人で12人の家族の面倒を見ているんだ。仕事もするし家事もする。この子だってきっとそうなる。あんたがもしニギナと結婚したいんなら、2番目、3番目の妻だっていいんだよ」
「日本では妻は一人しか持てないんですよ」
僕は顔をしかめて言った。
「本当かい?」
ナルゲスは大げさに両手を広げた。
「本当ですよ」
「でも、あんたは独身だ。それならニギナにもチャンスはあるんだろう?」
「ニギナはまだ6歳じゃないですか」
「なに、あと10年もすれば立派な女になっているさ。だからそのときに迎えに来ておくれよ」
「考えておきましょう」
そんな冗談とも本気ともつかないやり取りを続けているあいだ、ニギナ本人は不思議そうに小首をかしげていた。