af04-5699

タリバンによって爆破された巨大な石窟仏像

 首都カブールを夜明け前に出発した乗り合いハイエースは、デコボコの山道を順調に走り抜き、午後一時前にバーミヤンに到着した。僕はさっそく食堂の二階にある安宿にチェックインして、ベニヤ板で仕切られた簡素な部屋に荷物を置き、町を歩いてみることにした。

 バーミヤンはタリバンによって爆破された巨大な石窟仏像があることで知られた土地なので、僕もまずはそこに向かったのだが、仏像の修復作業の様子を一通り見物した後は、例によって目的も定めないままぶらぶらと歩き回った。

 

af04-5682 バーミヤンは「町」と呼ぶには小さすぎるし、「村」と呼ぶには大きすぎる、という土地である。「山里」という表現が一番ぴったりと来る。里の北側に万年雪を頂いた山が聳えていて、そこから流れ出る雪解け水が畑を潤している。農民達が住む家は高台の上に建てられていて、どの家も日干し煉瓦を三メートル以上も積み上げた高い塀に囲まれているのだが、大地と同じ色をしているので、印象は控え目だった。

 

af04-5741 人々の主な移動手段はロバである。普通に歩く人よりも、ロバの背にまたがった人とすれ違うことの方が多いぐらいだ。人だけでなく、干し草や水の入ったタンクなどの荷物を運ぶロバの姿も多かった。たまには馬のように軽快なリズムで駆けているロバを見かけることもあったが、それは例外的な存在で、ほとんどのロバは人が歩くのとあまり変わらないスピードでトコトコと進んでいた。バーミヤンは砂埃を巻き上げて疾走するジープよりもスローペースなロバの方が似合う、のんびりとした土地柄だった。

 

af04-5734

af04-5895

af04-6003

af04-6024

af04-6222   

女性を撮るのが難しい土地

af04-5932 僕は様々な国で数多くシャッターを切ってきたけれど、バーミヤンで撮った写真は今までとは明らかに違う雰囲気を持つものになった。その理由のひとつが、光の質の違いだった。

 バーミヤンの空に輝く太陽は、標高が高く空気が澄み切っているために、非常に強い光を放っていた。それは鋭利な刃物のように硬質な光だった。その光は全 てのものを光と影の領域に二分してしまう力を持ち、全てのものの輪郭を非現実的なまでに鋭くさせていた。必然的に、ここで撮った写真は他にはないコントラストの強さとシャープさを併せ持つことになった。

 

af04-5764af04-5885 女性の写真をほとんど撮らなかったのも、他の国と異なる点だった。アフガニスタンでは女性を撮りたくても、なかなか撮らせてもらえなかったのである。チャドルやブルカを被って顔を隠している大人の女性に対してカメラを向けるのは、大変失礼なことだからまずやらなかったし、たとえ子供であっても十歳を超えるぐらいの年齢になると、カメラを構えた途端にわっと逃げられることが多かったのだ。「女性は家族以外の男性にむやみに顔を見せてはいけない」というのは、イスラム国に共通する習慣であるけれど、アフガニスタンほどそれを忠実かつ強固に守っている国はなかった。

 というわけで、思わず足を止めたくなるような美しい女性を見かけたとしても、ほとんどの場合は撮りたい気持ちをぐっと堪えて通り過ぎなければいけなかった。

 しかしアフガンの男たちが被写体としてとても魅力的だということに気が付いてからは、女性を撮れないこともそれほど気にならなくなった。女性が写真を撮られるのを頑なに拒むのと反対に、男達はカメラに対してとても鷹揚だった。一見すると眼光鋭く近寄りがたい雰囲気を持つ老人が、カメラを向けた途端に無邪気な笑顔を見せてくれることもあった。

 バーミヤンの男達の働く姿は、とても存在感があった。農夫の顔に刻まれた彫刻刀で彫ったような深い皺や、畑仕事で鍛えられた厚みのある手は、この土地で生きることの厳しさを雄弁に語るものだった。

af04-6140

af04-6146