トルコ国境を越えてからも、長距離バスを乗り継ぐだけの日々が続いた。気持ちはイスタンブールに向かっていた。
アヘンやヘロインの原料になるケシの栽培は、野菜や小麦を作るように普通に行われていた。
道のりがハードになるほど、得られるものが大きくなる。アフガニスタンとはそういう土地だ。
死ぬことは別に怖くはなかった。父さんや母さんにもう会えないんだな、と思っただけだ。
アフガン人がよそ者に対して抱く強い警戒心は、タフな土地で生き抜くために必要不可欠なものなのだろう。