京都の「手描き友禅」の職人さんにインタビューするという仕事をした。職人さんというのは寡黙で取っつきにくいというイメージがあるけれど、実際には話好きの人も多い。自分のやっている仕事に対して誇りを持っているし、それに対する想いを他人に聞いてもらいたい人も多いのだと思う。
 
 僕が取材したYさんはとりわけよく喋った。最初に型どおりの質問(友禅の仕事の流れ。最近の着物業界の事情など)をしたのだが、いつの間にか昔の京都を支えた職人気質の話や、中国からの輸入品による構造的な着物不況についての話など、あちこちに話が飛んでしまって、収拾がつかなくなってしまった。
 
 結局、1時間の取材予定だったにもかかわらず、Yさんは3時間も喋り続けた。僕も後の予定があれば早々に切り上げたところだけど、幸か不幸か予定は何もなかったし、何よりYさんの話がすごく面白かったから、腰を据えて聞いてしまった。
 
 Yさんは友禅染の着物に図案を手描きする職人なのだが、たまに『性格絵』なるものを描いているという。
「なんですか? それは」と僕は訊ねた。
 
「初対面の人と会った瞬間に、直感的に感じるもの、それを絵にしたものを『性格絵』と呼んどるんですわ。私は着物の展示会なんかに呼ばれることがよくあるんです。そういうときに、お客さんに『性格絵』を描いてさしあげるんです。まず名前を書いてもらいます。そしてその方を見て感じたことを、山水画に表していくんです。そないにたいしたものと違います。ものの5分で描けるもんですわ。でもね、一度も話したことのない人の性格が、この絵にはよう出てくるんですな。それでお客さんの間でちょっと評判になったもので、最近はよう描くようになったんです」
 
「占いみたいなものですか?」
「いや、占いとは違います。未来を予知したりとか、そういうことはないんです。ただその人がどういう性格をしていて、これから何で成功しそうか、何に気を付ければいいか、そう言うことが見えるんです」
 
 そういうことなら、ひとつ僕の『性格絵』も描いていただけませんか、とお願いしてみたところ、二つ返事で描いて下さることになった。
 彼は白い色紙を一枚作業机の上に置いて、適当な筆を二三本取り出した。そして薄い青の絵の具を使って、「へ」という字を色紙の真ん中に描いた。これが山を表していて、この山の高さが「志」の高さを意味するのだという。
 
「あなたの志は、高いし真ん中に来てるからいい。性格が歪んでる人っちゅうのは、どうしても左右どちらかに寄ってしまうものやから」
 Yさんの筆は片時も休むことなく動き続ける。しかも口も止まらない。
 
「地面がしっかりしてるやろ。これは意志が強い証拠。自分の決めた道をまっすぐに進んでいく人やな。そして森の茂り方がいい。これは人気があることを表している」
「何だか良いことばかりみたいですね」と僕は言った。
 
「基本的には、あなたの性格はなかなかいい。ただ、この右の森やけどな。ここがどうしてもぼやけよる。これは人から誘われると断り切れへんっていう、意志の弱さを表しとるんです。特に女性からの誘いに弱い。どうです? 当たってませんか?」
 
「でも女性からの誘いに弱くない男なんていないでしょう?」僕は一般論を持ち出してみた。
「そりゃ確かにそうかもしれませんな。でもこのあと何年かしたら、あなたは今よりもっと女性に誘われるようになる。そうなったときに、あっちにふらふら、こっちにふらふらしていると、えらい目に遭いますよ、ということですな」
 
「女難の相ですか?」僕は苦笑いして言った。
「まぁそうですな。私もな、今はこんなんやけど、35から40歳ぐらいのときはようもてた。何人もの女性から誘われたこともあります。そのときはもう結婚してて子供もいてたから、最後には家に戻ったけど、もし子供がおらなんだら、どうなっていたかわからんかった」
 
 いつの間にか、僕の性格の話からYさんの女性遍歴の話に切り替わっていた。
「私は今70ですけどな、今でも恋はしてます。もちろん女房以外の人にですよ。恋といっても、この年になったら肉体関係とか、そういうことは求めません。憧れの人を作る、それだけでも毎日の生活に張りが出てくるんですわ。男も女もそれは同じです。『あの人が見ているから、綺麗な格好しよう』って思う。それがなかったら、着物なんて誰が買うやろか」
 
 僕は無言で頷いた。Yさんは70歳とは思えないほど若々しかったが、それはきっと「張り」のある生活を送っているからなのだろう。
 
「職業柄、着物を買うお客さんとそれこそ何万人と会ったきたけど、本当に『この人や』って思える人は、ほとんどいません。万に一人やな」
「そういう人に出会えたら、どうするんですか?」
「まず手紙を書く。そこで自分の気持ちを正直に打ち明けます。もしよかったら、今度ホテルの喫茶店でお茶をご一緒しましょう、と。そうすると、相手の女性も同じように感じているという返事が来ます。で、会ってお茶を飲みながら話をします」
 
「・・・それだけですか?」
「まぁそれだけですな。さっきも言うたけど、この年になったらセックスというのはあまり重要なことではない。精神的なものが大切なんです。世間には『年寄りが恋なんてみっともない』という人も多い。でもそれは違うんです。恋をすることが、もの作りのエネルギーになってんのやな。夢を追う人間はいつまでも美しい。私はそういうもんやと思ってます」
 
 かっこいい人だな、と僕は思った。Yさんは着物という伝統工芸の世界にずっと身を置きながら、既存のものにとらわれない自由な考え方をしている。こんなに粋で色気のある70歳は、探してもなかなか見つからないだろう。
 
 できることなら、僕も70歳になっても「恋をしています」と胸を張って言えるようになりたいものだ。でもその前に、30代の「女難の時代」を乗り切らなくちゃいけないようだが・・・。