質問:民族対立について
日本では、周囲の国々との歴史問題が常に取り沙汰されていますが、やはり三井さんが旅されている中でもそのような隣国隣人(民族間)の問題というのはしばしば体験されることなのでしょうか。
私が聞いたのは、タイとミャンマーの確執。ミャンマーに黄金の寺院が多数あるのはタイから金を全部持ち出したため、と現地人から(怒りを込めた)説明がありました。
そして、今は地域内優等生のタイへカンボジアやミャンマーから多数出稼ぎに来ていて、それがまた摩擦を生んでいるということ。
また、マレーシアへのスマトラからの出稼ぎ労働者も社会不安を引き起こしているそうです。
引ったくりやスリなど、犯罪が増加している一因になっているのです。
三井さんは人々の笑顔を撮るという目的がありますから、基本的にそういった確執のない状況を歩かれていると思うのですが、やはり隣人間のトラブルは人類の永遠のテーマなのでしょうか。
少子高齢化で外国からの出稼ぎを受け入れるかどうか、などという話も日本では出てきていますが、その辺の問題がどうしても引っかかって、自分の中ではなかなか前向きな方向で考えられないのです。
三井の答え
民族問題というのは、なかなか根深い問題です。旅に出ると、僕はそのことを強く感じます。
僕が旅しているのは、あなたがおっしゃるのとは反対に、むしろ「確執がある」地域が多いように思います。スリランカ内戦の傷を引きずるタミル人自治区にも行きましたし、多くの民族を抱えるアフガニスタンや、旧ユーゴ紛争の中心地であるボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボにも行きました。
僕は民族対立の場を旅の目的地に選んでいるわけではありませんから、これは「民族対立というのは、世界中にありふれたものなのだ」という事実を示しているのだと思います。あくまでも僕の体験を通しての意見ですが。
現在、僕はインドネシアのスマトラ島という日本列島よりも広い面積を持つ島をバイクで横断しているのですが、このスマトラ島にも津波で有名になったアチェの民族独立問題が存在します。去年にインドネシア政府とアチェ独立を求めるゲリラとの間で停戦が結ばれて、今のところアチェ州は平和が保たれているのですが、スマトラ島の他の州に住む人々は、「アチェはとんでもなく恐ろしいところだ」という思い込みをいまだに強く持っています。
だから僕がアチェをバイクで旅してきたというと、決まって「怖くはなかったか?」と聞かれるのです。「怖いも何も、とても平和だったよ」と答えると、「そりゃ運が良かっただけだ」と言うのです。
人がもっとも恐れるのは未知のことです。自分の知らない土地、知り合いのいない土地というのは、基本的に恐ろしいところなのだ、という思い込みは誰もが持っているものです。
結局のところ、偏見というのは「自分の知らない土地に住む、知らない人々」に対して抱くものなのです。未知のものは怖い。だからとりあえず「彼らは○○だ」というレッテル貼りをする。それでわかった気になって、安心を得るのです。
言葉が違う、文化や風習が違う、食べ物が違う、宗教が違う、肌の色が違う。人は様々な違いから、「我」と「彼」とを区別したがります。そしてその違いを誇張し喧伝して、自分の権力のために利用してきたのが政治家なのです。
「彼らは我らとは違う。だから彼らは敵になる可能性がある。我々はそれに対して備えなければいけない」
そういうことを言っている指導者は、今も昔も世界のいたるところにいますね。
ところで、僕がスマトラを旅する際に頼りにしているのは、たった一枚の地図「200万分の1・スマトラ全図」だけです。主な道路と町の名前が書いてあるだけ(それさえもときどき間違っている)。それ以外の情報は、その町に着いてから収集するわけです。
旅行者は皆無。どこに何があるのかも分からない。そういう状況は多少不安ではあるけれど、怖さは全くありません。むしろ次に何が待っているか、どんなトラブルに巻き込まれるのか、楽しみなのです。
そういうことを地元の人間に言うと、「お前はクレイジーだ」と笑われます。まぁ確かに多少クレイジーなところはあるかもしれない。しかし僕はどこかで信じているのです。人の性善説を。
生まれもって悪い人間などいない。もしそうなのだとしたら、違う民族や違う国に住む人が、自分とそんなに違うわけはない。わかりあえないはずはない。そういうことを、心のどこかで信じている。そうでなかったら、こんな無茶な旅はできません。
僕が旅の中で知り得た真実のひとつ。
それは「笑顔に国境はない」ということです。
シンハラ人もタミル人も同じように笑います。バッタク人もアチェ人も同じように笑う。日本人も中国人も同じように笑う。
その真実を前にすれば、乗り越えられない違いなんてありません。僕はそう思います。前向きにいきましょう。
質問者の綾森さんからのお返事
旅の道中お忙しいところ、丁寧なご回答をいただきありがとうございます。
実は疑問のメールを送信させていただいた日の夜、三井さんがアチェやスリランカ、ボスニア等、紛争地帯を歩かれていたことを思い出しまして、自分の疑問は愚問ではなかったかと考えていました。
同時に紛争地域で撮影された笑顔はどうしてこんなにも素晴らしいのか、見るものに感動を与え得るのか、その矛盾にむしろ戸惑いは大きくなるばかり。
しかし、今回ご回答をいただいた中で、人間は思い込みを起こしやすく、異質な存在に対する恐怖を常に感じていること。その思い込みから対立が容易に起こり得る構造が見えてきました。
確かに人間は生まれてきた時、何も思想に色のついていない透明な状態なのでしょうから、いかに年を重ねる中での思い込みの蓄積が大きく作用しているか、ということなのでしょう。
笑顔は万人共通なものということに納得できました。
私には三井さんのように世界中で笑顔を受け取ることはできそうにありませんが、性善説を信じたいという思いは強く持っています。
お話を聞いて、前向きに生きていけるような気がしてきました。
私とのやりとりメールは(氏名も含め)、ぜひブログでご活用ください。
綾森 康二
三井の返信
僕がアジアを旅するのは、そこに自分が暮らす日本の日常とは違った風景があるからです。「違い」や「差異」を求めて旅をしているわけです。
僕がその「差異」を強く感じるのは、その土地と人々の生活とが結びついた場所――つまりは田舎――であることが多いのです。都会というものは日本でもアジアでも比較的似通った生活スタイルになるものだから。
実は今もスマトラ島の東の端にあるバンダランプンという(スマトラの中では)大都会にいて、あまり街の中を歩く気にもなれなくて、宿でパソコンに向かっています。
アジアには多様な暮らしぶりがあり、多様な文化がある。そのことを直に感じるために、僕はわりかし辺鄙なところを旅しています。そしてその多様な暮らしぶりを写真に収めています。
しかしそれと同時に、その多様な暮らしぶりの中に、ある種の普遍性を認めないわけにはいかないのです。民族の違いや宗教の違いを超えて、誰もが生まれながらに持っているもの。そのひとつが「笑顔」なのではないかと思うのです。
あるいは「笑顔には国境がない」というメッセージは、ありきたりで陳腐に聞こえるかもしれません。そんなこと言ったって、世界には対立や紛争がなくならないし、現実の厳しさから目を背けているだけではないかと。
だからこそ、僕は写真を撮り続けています。多くの人々の姿を、その美しさを切り取った写真というフレームを、何百何千と積み重ねていくことによって、浮かび上がってくる「何か」があると信じているのです。