質問:なんくるないさー

拝啓 三井昌志様
小生、会社を休職(退職)してどこへ行こうかと自問しているときにあなたのHPを偶然見かけました。以来、この2,3日お写真と紀行文を拝見しております。
 
最近、ふとした切っ掛けで生きる支えを失い途方に暮れておりました。現時点でも、仕事から解放される時間帯には喪失感・無力感に襲われます。
きつい精神状態を克服するべく、初めての海外旅行をしてみる気になりました。ただ、貯金があまりないのを悲観するあまり、片道切符になっても構わず身辺整理をしてから出国するつもりでおりました。まるで、死に場所を探すような心境でした。悲壮感いっぱいですね。
 
でも、質問箱にあるあなたの回答を拝読するに至り、私が、あなたの文章から思い浮かんだ事は、”なんくるないさ”という沖縄言葉です。なんとかなるさ、です。あがいて、もがいてみて、それでもまだ先は暗い。でも、なんとかなるさ、という感覚です。
 
私は先程、”死に場所”と書きました。そう書いたのは、金が尽きた時点で、その場所で死ぬつもりであったからです。そう思えば、どうせなら見たいモノを見てそれから事に及んでもいいじゃないか、と思っておりました。とにかく、日本には居続けられないし、居たくもない。
 
しかし。その時になって本当に、自分がどういう行動を取るのか見てみたくなってきたのです。生き続ける意欲を取り戻すか、やはり断崖絶壁を飛び降りるか、はたまた、予想もつかない事をしでかすか。
 
今読み返してみると、こいつは危険な賭けですが、あなたが撮った写真や、あなたが感じたことに触れたとき、私にはまだ(生きる)選択肢は残されているのではないか、と思うようになり、お陰でいくらか心持ちが楽になったような気がします。
 
本意ではありませんが、日本に戻って数少ない友人宅へ居候するのも現地で鳥の餌になるよりはマシではないかと思うようになりました。
 
長々と自分のことばかり書き連ねてしまい、穴があったら入って生き埋めにしてほしい心境でありますが、三井様には、『生きるヒント』をいただけたことに対して御礼を申し上げたいが為にこのような駄文を差し上げた次第です。どうかお許しください。
 
それでは、今宵はここまでに致しとうございます。
三井様のご健康をお祈りいたします。
 
 

三井の答え

 沖縄の方言「なんくるないさー」は、僕も今年になってはじめて知った言葉です。バンコクで出会った沖縄出身の女の子たちに教えてもらいました。彼女たちは初めての個人旅行で帰りの飛行機に乗り遅れるという大失態をやらかしたのだけど、親切な現地人との出会いで何とか救われたそうです。あなたのメールを読んだとき、ちょうどその「なんくるないさー」についての文章を書き終わったばかりだったから、とても驚きました。
 
 そう、僕は何かトラブルがあったり、うまく行かないことがあっても、いつも「なんくるないさー」の精神で乗り切ることにしています。旅先では、後から振り返ると冷や汗が出るような場面にも何度か遭遇したけれど、まぁ何とかなってきたのです。
 
 基本的にオプティミストなのですね。そしてその楽天的な発想には、根拠というものはありません。それは今までの経験を元にした信念なのです。人はちょっとやそっとのことで死にはしません。
 
 僕が旅においてもっとも大切にしていることは、「裸の自分をさらす」ということです。旅先において僕は全く無力な存在です。ただ海の向こうの島国からやってきた、現地語も話すことができない一人の男に過ぎない。
 
 しかし、その無力な自分を見知らぬ土地でさらすことによって、今まで知らなかった自分が見えてくるのです。自分の限界や、可能性や、弱さや、強さが。ときには自分の楽天家ぶりに驚き、ときには自分の臆病さに呆れ、強い好奇心に振り回される。そうやって隠されていた、あるいは見て見ぬふりをしていた自分の等身大の姿に向き合うことができる。それが一人旅の良さではないかと思うのです。
 
 ぜひ一人旅をしてください。そこで何が起こるのかはわからないし、それはとても不安だけれど、その不安を目一杯楽しんでください。
 
 きっと何とかなります。”take it easy”です。なんくるないさー、です。