写真家・編集者の都築響一さんが発行している有料メルマガ「ROADSIDERS’ weekly」で、僕の写真集『渋イケメンの国』を大々的に取り上げていただきました。
<美しさに絶句する写真集もあれば、刺激的な内容に絶句する写真集もある。でも、「なぜこれが一冊の本に!」と存在自体に絶句する写真集にはなかなか出会わない。そんな驚きで、久しぶりにフラフラな気持ちにさせてくれたのが『渋イケメンの国――無駄にかっこいい男たち』だった。「渋イケメン」にフォーカスした写真集はさすがに初めて。おそらく類書もゼロだろう。>
都築さんと言えば、全国各地の珍スポットを巡った写真集『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』を出版された方。その他にも「秘宝館」「暴走族」「ラブホテル」など、誰も注目してこなかったものをテーマに撮影を続けられていて、「人を絶句させる写真家」の代表格と言ってもいい方です。『渋イケメンの国』はその都築さんを絶句させた。我ながらすごいじゃないか、と思ってしまいました。
<「男前の浪費」! かつてこのような眼で世界を見た写真家がいるだろうか。>
企画段階で「誰も注目していないけど、本当の意味で美しい写真集を作ってやろう」という意図は間違いなくありました。わざわざ超ニッチな分野に進出する人はいますが、僕の場合はそれとは少し違って、「旅で当たり前に目にする滅茶苦茶カッコいい男たちを、なにかのかたちでまとめられないか」と考えていたのです。そこで出てきたのが「無駄にカッコいい」というフレーズでした。無駄、という言葉に僕は最大限の賞賛を込めています。計算された狙ったイケメンではないのです。そこが素晴らしい。
<突き詰めていくと、カメラマンにとっての理想の境地とは、だれが見ても完璧な写真を撮ることではない。自分が見た、自分に見えたとおりに写真が撮れること。カメラが眼になることだ。そのときカメラは撮影者の世界観を映すパレットになり、絵筆になる。>
<言い換えれば写真の技術とは、いろんな豆知識を貯めこむのではなく、「自分が見たもの」を見えたままに画像化するために、そのあいだにある雑音を取り除いていくプロセスでもある。「無駄にかっこいい」と言いながら、全カットが被写体である「渋イケメン」へのリスペクトにあふれた三井さんの写真は、そんなふうに世界を見る三井さんの眼、そのものなのだろう。>
都築さんのおっしゃるように、僕は自分が撮りたいものしか撮りません。「これはイケメン好きの人に受けるから撮ろう」なんてまったく考えていない。ただただ、目の前にいる無駄に男前なおじさんの姿を、写真に残したいと願っているだけなのです。
カメラというのは身近にあってしかも強力な「褒め」の道具です。インドの庶民にとって外国人に大きな一眼レフを向けられる経験なんて一度もない。でも、他でもないあなただけにフォーカスして、ばしばし写真を撮られているという非日常の経験は、悪い気はしないはず。「あなたが素晴らしいんだ」という思いが確実に伝わる。僕はそう思って、日々インド人を撮っています。
写真家は見たいものを見る。自分が美しいと感じたものだけにフォーカスする。その「見たいもの」は人によってまったく違います。だからこそ、誰かと同じ場所を歩いても、そこで撮れる写真は驚くほど違うのです。
<ブスかわいい犬猫の写真集みたいに、笑いを誘うタイトルだけで本書を判断して手に取らないひともいるだろうけれど、少なくとも旅を愛し、旅に焦がれる人間にとって、本書は驚くほどまっとうにポジティブな人間賛歌であり、抗いがたい旅への誘いでもある。>
『渋イケメンの国』というタイトルに賛否両論あることは承知しているのですが、みなさんどうか恥ずかしがらずに手に取ってみてください。都築さんが「まっとうな人間賛歌」と表現してくださったように、僕がシャッターを押す瞬間に感じている気持ちの高まりをきっと感じてもらえるはずです。
写真家・三井昌志の8冊目の著作『渋イケメンの国』が12月2日に雷鳥社から発売されました。アジア各地で撮影した渋くてカッコいい男たちがテーマの異色の写真集です。