質問:光が読めない

今回、直接メールさせていただく事にしたのは、実は「光が見える(読める)」について質問があったからです。
 
私は、猫写真をテーマにしています。猫写真のみで生活しているプロがいない現実に恐怖を感じ、今は外に飛び出す勇気がありません。世界中の様々な場所に行きながら写真を撮れたら良いなと夢見つつ、今は近辺を中心に写真を撮り続けています。先日、動物写真家の岩合光昭さんにコンタクトを取り、自分の写真を見てもらいました。「焦っている(猫しか見えていない)」「時間帯がずれている」あと、「光が読めてない」というコメントをいただきました。
 
岩合さんからは、「勉強として一日500枚の写真を見る」という課題を頂きました。これは必ずこなしていきたいと思っています。三井さんはブログのコメント欄に「試行錯誤を繰り返してきた」と書かれていましたが、具体的にはどういった事をされましたか?私でも出来る事があれば、参考にしたいので教えていただけないでしょうか?
 
 

三井の答え

 「光が見えるようになる」というのは、どのような種類の光がその場を支配しているのかを理解し、それが被写体にどのような効果をもたらすのかを瞬時に判断できるということです。
 
 これは極めて感覚的な事柄です。「味の違いがわかる」というのと似ているかもしれません。もともと味覚が鋭敏な人もいるし、そうではない人もいる。それでも様々なものを食べることによって、その人が持つ味覚の「幅」は広がっていきます。味覚を広げる際に大切になるのは、「食べること」に対する興味です。食に興味が少ない人にとっては、美味しいものでもそうでないものでも、受ける感覚(あるいは喜び)はたいして変わらないからです。
 
 光に対する感覚もそれと同じことが言えます。光に興味があるかないか、光の美しさに喜びを感じるか感じないかによって、光の感覚の広がりが全く違ってくるのです。だからまず、主体的に光を捉えることから始めなくてはいけません。
 
 様々な光を感じ、様々な風景を眺め、様々な表情に出会ううちに、自分の中にいろんな引き出しができてきます。その引き出しを持っていれば、目の前の被写体を生かす光を選び取れるようになってくるのです。
 
 経験が何よりも重要です。いくら雑誌や本を読んでも、そのイタリアンレストランの味について何もわからないのと同じことです。例えばモンゴルの光の鋭さや、アフガニスタンの空の青さや、東ティモールの海の青さなどは、やはりその土地に行ってみないとわからないのです。
 
 とは言うものの、僕にとって「光の質」は必ずしも優先順位が高くはありません。僕が写真を撮るときに何よりも優先しているのは、被写体の表情、その輝きです。それがなければ、どんなに素晴らしい光が当たっていても、魅力的な作品にはならない。僕はそう考えています。
 
 だからあなたも、まずは自分らしい切り口で猫を撮ってみたらいいと思います。違ったシチュエーションで何千回、何万回とシャッターを切っていれば、きっと光は見えてくるようになります。
 
 他人の100枚の写真を見るよりも、自分で100枚の写真を撮った方がきっと役に立ちます・・・というのは不勉強な僕の言い訳でもあります。
 
 

再質問:猫写真で食べていけるのか?

 以前にメールしたとおり、今も猫の写真を試行錯誤しながら撮っています。唐突に失礼な質問かと思いましたが、やはり聞いておきたくて書いています。
 
 半年前に、写真家岩合さんに「猫の写真だけで食べている写真家はいない」と言われました。もちろん、私も「きっと、そうだろうな」と思いながら質問しました。そして、返事の答えが分かっていたにも関わらず、ショックで他の事を深く訊くのを忘れていました。
 
 「食べていく」と言うのは人によって価値観が違い、金額の差はまちまちだとは思います。私はあまり物欲はない方なので、生活していけるのであれば、好きな道を歩きたい。そう思っています。
 
 雑誌によりけりだとは思いますが、仮に月間誌に写真を掲載してもらえる状態になったとしても、それだけでは写真活動(国内や海外)の出費が大きくて生活出来ないのでしょうか ? 
 
 出版社への写真の持ち込みすら、まだしていない状態ですので、過去に何度も質問をしようとしては、削除していました。普通であれば、先に行動しろと怒られそうですが、どうしても意見を聞きたくなり質問させていただきました。
 
 

三井の答え

 猫の写真にどれだけの需要があるのかはわかりませんが、大ベテランの岩合さんが言うのだから、たぶんそれほど多くはないのでしょう。そうだとすれば、それだけで食べていくのは厳しいでしょうね。
 
 そもそも「猫写真家」というジャンルそのものがないのだから、そこでいくら稼げるかなんて考えたって仕方がないと僕は思います。それよりはまず良い写真を撮ることです。自分の納得できる作品を作って、それを何らかのかたちで発表する。
 
 それが評価される場合もあるだろうし、そうではない場合もあるでしょう。でもとにかく他人の目に触れさせることが大切です。そうしないと、いつまで経っても夢想と現実の狭間を行き来することになるからです。
 
 あなたに実力と運があれば、「猫写真家」という新しいジャンルを切り開くかもしれません。そうでなければ、諦めて別の道を探すことになるでしょう。しかしいずれにしても、行動するところから始めなければいけません。
 
 他の写真家のことはよくわからないので僕の例しかお話しできませんが、少なくとも僕の場合は「写真家で食っていけるだろうか?」というところで迷ったことはありません。「写真家になろう」と強く思っていたわけでもなくて、ただ自分が撮った作品を発表し続けていたら、いつの間にか写真家になっていたのです。成り行きだといってもいいかもしれません。
 
 厳しい現実を見据えた上で冷静に判断するなら、職業として写真家を目指すのはやめておいた方がいいと思います。あまりにもリスクが大きすぎるし、リターンだってそれほど大きくはありません。趣味で猫を撮っている方がずっと幸せだと思います。
 
 それでもなおかつ写真家を目指すというのであれば、2,3年暮らせるだけの貯金を作ってから、自分の実力と運を試してみるというのもひとつの方法です。
 
 写真家に限らず、作家というのは「自分が表現したいことがあるから表現する」のであって、それで稼げるから、というのは二の次であるように思います。
 
 また、そのような表現への強い思いがなければ、写真家として成功することはないだろうと思います。