アジアで主に泊まるのは安宿である。僕はホテルの予約というものを、一度もしたことがない。たいていの町には安宿の集まる場所があるので、そこに辿り着きさえすればまず宿にあぶれるということはない。シングルルーム一泊の値段は一番安いところで60円(バングラデシュのスリモンゴルという町の宿)、一番高いところで1500円(アフガニスタンのカブールは宿が少ない上に高い!)であった。
 
 こういう安宿は日本にはないものだとばかり思っていたのだけど、そうではないということを去年知った。ライターの仕事をしているときに、「京都のバックパッカー宿の取材に行ってくれ」と言われたのである。いつもは料理旅館とか湯豆腐専門店とか、そういう記事ばかり載せているところなのだけど、たまには毛色の違うネタを扱ってみようという企画だったのだ。
 
 僕が取材に行った「ウノハウス」は、ひとことで言って「変」な宿だった。外見は京町家風。「町家」なんていうと文化遺産のようにも聞こえるけれど、要するにただの古い民家である。たぶん築80年ぐらいは経っているのではないか。階段も狭くて急だし、床もふにゃふにゃしていて、手入れが行き届いているとは言い難い建物である。強い地震が来たら、とても保たないんじゃないかと思う。
 
 宿泊のための部屋は二階にある。畳敷きの部屋に布団を並べて、雑魚寝する。いわゆるドミトリースタイルである。定員は決まっていないそうで、ハイシーズンになると人でぎっしりと埋まってしまうらしい。小学校の修学旅行とか、体育会系クラブの夏合宿みたいなノリである。
 
 部屋は雑然としていて、決して清潔とは言えない。そこら中に丸まった布団とバックパックが転がっている。壁に吊されたハンガーには、ブラジャーとパンティーが無造作にぶら下げられている。あんまり細かいことを気にする人は、ドミトリーに泊まってはいけないのである。ちなみに泊まり客の6,7割は外国人なのだそうだ。
 
 一階はキッチンとリビングルームになっていて、ここで泊まり客同士が旅の話に花を咲かせる。こういうのもアジアの安宿と同じである。僕はこのリビングでベンというアメリカ人の若者に話を聞いた。ベンは15歳で初めて日本に来て以来、すっかり日本に魅せられてしまって、何度も日本に来ているのだという。だから日本語もかなり上手だった。
 
「僕は今、京都のホームレスの人と話しています」と彼は言う。「僕の夢、ドキュメンタリー・ムービーのディレクターになること。今、僕が興味を持っているのは日本のホームレスとアメリカのホームレスとの違い。それを作品にしてみたい」
「日本とアメリカのホームレスは違うの?」
「違います。日本はホームレスが増えたと言っても、まだ少ない。アメリカはたくさんいます。アメリカのホームレスは働こうと思っても働けない人。でも日本のホームレスは、失業した人。働けるのに働こうとしない人。そこが違います」
 
 そう言われてみれば、この十年で京都にもホームレスの人が増えたように思う。京都の中心を流れる鴨川の橋脚の下は、ホームレスの人々の格好の寝場所になっている。景気後退の影響もあるのだろう。
 
 ベンはホームレスの人達と仲良くなったら、彼らと一緒に橋の下で生活するつもりだという。彼はまさに体当たりの手法でドキュメンタリーを撮ろうとしているようだった。
 
 安宿には一風変わった人間が集まってくる。これは京都であってもデリーやカイロであっても、同じように当てはまる法則なのだろう。アメリカ人のベンもかなりの変わり者だったが、日本人の泊まり客にも変な人がいた。
 
 その時泊まっていた客の中で、最も異彩を放っていたのが「主」である。「主」はもう2週間もこの宿に泊まり続けていて、アジアの安宿のように何週間も「沈没」するような客がほとんどいないウノハウスの中では、まさに「宿の主」のような存在だった。年の頃は50前後。おじさんバックパッカーの多くが醸し出している「この人はいったい何をしている人なんだ?」的オーラを全開に漂わせている人だった。要するに外見も言動もなんだか怪しいのだ。
 
「どうして2週間も泊まっているんですか?」と僕が尋ねてみると、「主」は「うん・・・家の事情があってなぁ」と曖昧に答えた。どうも夫婦喧嘩をして家を飛び出てきたらしい。しかし「主」は英語が上手く世話好きなので、次々に入れ替わる旅人とコミュニケーションを取りながら、楽しい「家出ライフ」を送っているようだった。
 
 奇妙な出来事が起こったのは、僕とベンがホームレスの話をしているときだった。たった今到着したばかりの泊まり客がリビングに入ってきたので、「主」がさっそく声を掛けた。
 
「Are you Japanese?」と「主」は流暢な英語で聞いた。新入りの彼はどこからどう見ても日本人にしか見えなかったのだけど、中国や韓国から来ている旅行者である可能性もないわけではないから、礼儀として英語を使うのは間違いではない。
「Yes」新入りの彼はちょっと面食らった様子で答えた。
 やっぱり彼は日本人だったのだ。これで二人の会話は日本語に切り替わるだろう、と僕は思った。ところが「主」はこう続けた。
「Me too」
 
 それから二人は延々と英語で話し続けた。それはどう考えても奇妙な光景だった。その時リビングルームにいたのは、「主」と新入り君と僕とベンの4人だけであり、僕とベンはずっと日本語で話をしていたのである。なのにどうしてずっと英語なのだろう。ここはどこだっけ、と僕はもう一度自分に問い直してみた。間違いない、京都だ。共通語は日本語だ。
 
 「主」は時々英語でジョークを言っているみたいだった。新入り君の方の笑顔は心なしか引きつっているようにも見えた。すごく奇妙な光景だった。
 
 ウノハウスの不思議空間は、受付の男の子にも伝染しているようだった。彼は見たこともないような髪型をしていた。簡単に言えば「1:9分け」である。分け目が耳のちょっと上あたりにあって、片方の髪の毛はすごく短くて、もう片方はすごく長い。中曽根元首相みたいな「バーコード禿げ」なら、その髪型にも納得できるのだけど、受付の彼は髪の毛がすごく豊富なのに敢えて「1:9分け」なのである。彼は栄養がよく行き渡っていないような青白い顔色をしていた。それなのにニックネームは「青空」というらしい。うーん、シュールだ。シュールすぎて僕にはとてもついていけそうになかった。